会社は生きている | それもまた良し

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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

簡単に言います。
会社はステークホルダーのためにあります。

会社は株主のためにあると言う人がいます。
確かにそうですが、それが全てでは無いと思っています。それは言うならば、レンゲはラーメンの汁を吸うためにある、と言っているようなもので、ある意味で使途を限定することは問題を意図して矮小しているような気がします。



会社はもちろん株主のために存在しますし、当然そこで働く社員のために存在しますし、取引をしている会社のために存在します。

つまり、会社は会社だけでは生きることが出来ないと思っています。
そこで働く人、出資する人、金を払ってくれる人、商品を買ってくれる人。

そんな人達のお陰で、会社は成り立っています。



だからこそ、僕は思うのです。

会社は生きている。
いろんな人によって、生かされている。

つまり、浄土真宗の考え方で言う「他力本願」ですよね。
生かされている。



それなのに、会社が突然、株主に牙を剥いたり、社員を蔑にしたり、取引会社を騙したりすることがあります。
これはどういうことなのでしょうか?

株主が悪い?
ブルドックソース事件や、アデランス事件に代表されるような、いわゆるハゲタカ投資ファンドが、会社をその時点での企業価値でしか判断せず、勝手に売却しようとする。

社員が悪い?
派遣切りや雇い止めと言うけれど、派遣は最初から首になる前提で入社しているはずだし、雇用形態が違うから当然、正社員と派遣・請負は違う。

取引会社が悪い?
サブプライムローンに端を発する景況感の悪化で、今までの友好関係を築くより生き残る方が先。


確かにそうなのかもしれない。
しかし、その先に何があるのでしょうか。



会社は生かされている、と書きました。
それは人間と一緒です。

コミュニティから外れた、誰からも生かされない人間は、もはや「生きている」と言えない、と僕は考えます。
僕自身の思想として、生きているとは「生かしている」ことで実感出来る、と考えるからです。


企業も一緒ではないでしょうか?
誰かのため、何処かの企業のために存在するから、企業は生き続けることが出来る。

企業が必要とされなくなったとき、その社会的使命が無くなったとき、会社は必然的に倒産するのではないでしょうか?



つまり、会社が残り続けるには、時代に併せて変わり続けなければいけない。
株主や社員、取引会社の期待を裏切ってはいけない。

そう思っています。



いつからでしょう。
会社が、外国企業との競争という大義名分で、期待を裏切るようになったのは。

いつまででしょう。
会社が、夢や希望を語らずに、外国企業との競争を続けるのは。


株主や社員、取引会社が抱く期待。
それは「この会社ならやってくれる」という期待だと思います。

つまり、それは会社が語る夢と希望だと思うのです。



株主は、会社の夢や希望のチケットを買っていると思います。
僕はそれが「株」だと思うのです。

社員は、会社の夢や希望に胸を打たれて、そのために働くと思います。
さらにその舞台で自分を成長させるために働くと思っています。

取引会社は、会社の夢や希望の具体化・実現例に価値を感じて、関係を持つと思います。
バリューがあるから関係が築けると思います。



いつからか、夢や希望を語らなくなった日本。
夢や希望を持たなくなった日本人。

夢や希望がなくて、人間は生きられるのでしょうか?
生きれれば、それで良いのでしょうか。

では、生きているとは何なのか。
何のために生きているのか。



会社だって、そうです。
会社は生きています。

夢や希望が必要だと思うのです。
夢や希望を語る会社が、今こそ必要だと思うのです。