組織を壊す組織を生んだ男、仰木彬 | それもまた良し

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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

リクルートという企業は、ベンチャーだろうが大企業だろうがある意味で、羨望の眼差しで見られる。
その理由として、リクルート社内が醸し出す雰囲気・空気があるのではないだろうか。

確かに、リクルート出身で成功している企業家は多く、ある意味で企業家育成企業という意味合いを持つ。
しかしそれだけでは「PL出身のプロ野球選手が多いよね」程度の感覚値でしか無い。


恐らくベンチャーや大企業がリクルートという組織に対して、羨望を持つのは、その組織にしか無い風土である。
自由、徹底された自由。
そして完全なる実力主義。

その風土が醸し出す空気を吸い込んだ社員に、羨望の眼差しを向けてしまう。
同じ大学を卒業した同じ能力の一郎と次郎、片方がリクルートに、片方が名も無い中小企業に入社したとして、3年経った頃、2人にはどれ程の差があるだろうか。



それほど、組織が持つ雰囲気や、醸し出す風土は社員に影響を与える。
仕事の進め方、価値観、考え方、捉え方……だからこそ、新入社員の初めの3年間は大切だと言われる。



前回登場した野茂英雄、イチローだけでなく、吉井、田口など様々なメジャーリーガーを輩出し、選手に対して理解のある男、という異名を持つ人間がいる。

仰木彬氏である。

あのイチローですら、仰木氏には絶対服従・絶対敬礼だったそうだ。
しかしそれは言い換えれば、仰木氏が最大限の理解者であったことの裏返しとも言える。



仰木氏と言えば、1989年に近鉄の監督として優勝を経験、そして95年と96年にはオリックスの監督として優勝を経験した、名将と言われる人物である。

選手の個性を生かし、それをグラウンド上で最大限発揮することを得意とし、言わば超二流の天才とされた。
それはおそらく、師である三原脩の大いなる影響があるだろう。


仰木氏は、打線において選手を固定することを殆どしなかった。
優勝した95年の場合、打線は「猫の目」打線と言われ、100通り以上存在していた(このあたりは、ロッテのバレンタイン監督に似通ったものがある)。
唯一、固定出来たのは1番・イチローであるが、それでも数試合、2番や3番を打っている。

なぜ、打線を固定しなかったのか?
戦力に恵まれなかったというのは嘘である。もし、そうならリーグ制覇、そして2連覇は絶対に為し得ない。


仰木氏は選手を野菜や魚に見立てて「鮮度の良い奴から使う」と言っている。
そして相手投手を見て、相性の良いバッターを使うことを明言している。

それを証明するかのように、過去、ノーアウト満塁の場面で、相手投手との相性を見て、4番打者に代打を送ったことすらある。



それを、酷と言うのは簡単である。
しかし選手の個性・良点に目をやって、AとBがいた場合、Bの方が優れていると解れば、Aが4番だろうとエースだろうと交代すること自体、勇気がある行為である。

Aのプライドを慰めるためには、Bは結果を残さなければいけない。
それ以上に、代わりとなるBに何か秀でているものが無ければならない。

一見、仰木氏の行為は組織破壊活動のように見える。
組織という枠を破壊し、フラットにした上で、選手の個性を存分に活かす。



ある意味で、現在の日本企業に一番、求められている管理職の姿かもしれない。

部下の特徴を把握する。
部下の個性を把握する。
部下の弱点を把握する。
その上で、どの部下にどのような仕事を任せれば、最高のパフォーマンスを出すことが出来るか判断する。

仕事を任せることは簡単だが、部下を把握することが難しい。
その結果が、オーバーワークや過重労働を生む。



しかし、仰木氏が壊した後に出来たのは、違う意味での組織である。

そもそも組織とは、目的を持った集団を指す。
仰木氏が率いた集団は、いずれもリーグ制覇・日本一という目的を持っていた。



では、なぜ仰木氏は組織を壊して再度、組織を生んだのか。
いや言い方を変えると、なぜ仰木氏は一度、組織を壊したのか。



今までのやり方、組織に根付いた風土のままでは成功しない、という確信を持っていたからではないか。
負けても仕方が無い、負けても当然、という人間の慢心が生んだ雰囲気が風土として定着している。

だからこそ、仰木氏は近鉄、オリックスという組織を何度でも壊せる組織を生んだのではないか。
つまり猫の目打線に象徴される、誰もが日替わりヒーローになれる土台を生み、気を抜けば一瞬でレギュラーの座から2軍に転げ落ちる風土を生んでおけば、毎日のように組織は壊れる代わりに、毎日のように誕生する。

日々新しく誕生する組織の中で、勝利をもぎ取っていた。
言わば、新陳代謝の激しい組織の中で、個々の選手は自然と120%の力が出せるようになったのではないか。



その意味で、選手にとってこれほど過酷な環境は無い。

ライバルは大勢いる。プロ野球選手である以上、一芸に秀でた人間は沢山いる。
彼らに対して、自分の領域だけは絶対に守らないといけない。

得意な投手、得意な打者、得意な守備位置、得意な変化球、速球、バント、遠くへ飛ばす力……。
しかも、自分の陣地をやっと確保出来たと思ったら、そのポジションは直ぐに壊され、今までの成績結果でしか判断はされない。


熾烈な競争だが、何よりも自分自身と闘わないといけなくなってしまう環境を生んでいる。
その手腕、あっぱれとしか言うことが出来ない。



21世紀になって、世間では競争社会と言われるようになった。
しかし競争相手は大勢いれど、自分自身が誰と何で戦っているか見失ってはいけない。

そして1位の座を獲得したからといって、安堵してはいけないのだろう。



仰木氏はなぜここまでして、組織を壊してまで組織を生んだのか。
それはおそらく、いや間違いなく、そこまでしないと優勝と言う2文字を掴み取れなかったからだろう。

ビジネスの世界もまた、同様である。
昨今の世界大恐慌のあおりを受けて、企業は減収減益を続けている。

その言い訳として、「世界恐慌が……」と言い訳する人は多い。
しかし、仰木氏のような徹底した競争原理で勝つことに執着したのか?そこを問いたい。