幸之助論やリーダーシップ論で有名なジョン・P・コッターの本を2冊立て続けに読んでいます。
『幸之助論』と『企業変革力』。いずれもリーダーシップやマネジメントに関する本であり、共通する議題は、『企業が変革の必要に迫られた時、誰が何をするべきか?』ということだと思います。
変革の必要性に迫られない企業は無いでしょうし、変わらない会社は存在しないと思うのですが、じゃあ、自分自身に照らし合わせてみて、自分の所属する組織に変革は必要か?と問われると、
「必要だと思うけど、必要なことはやっている」
という答えが、なぜか必ず返って来る。何がどれくらい必要で、また今現在、どれくらい必要なことをやっているのかと突っ込むと、決まって、
「それを知って、どうするのか?」
と不機嫌な顔をされます。
小泉改革もそうでしたが、自分には関係の無い「変革」は賛成で、自分に及ぶと、今までの無意識な「賛成」に慣れてしまったのか、危機感の無さを露呈する―派遣法の製造業解禁も、その一環だと思っています。
危機感を持つということ―それは目に見えない恐怖に怯える9.11テロ直後のアメリカではなく、目に見える危機を捉えてそれを根絶する気力を持つこと、それが大切なのではないでしょうか。
数字で目に見える範囲で言えば―
利益率が低い。
利益が前年に比較して下がっている。
売上が下がっている。
人の心の目で見える範囲で言えば―
従業員のモチベーションが下がっている。
従業員の顔が疲れている。
これを瞬時に見付けて、「これはいかん!」と思い、これと対峙する。
大切なことだけど、なぜか出来ない。
雨が降ったから、傘を指すようなものなのに。
……あ、松下幸之助氏の受け入りです。w
最近、松下幸之助の考えに触れて、
「もし松下幸之助氏だったら、この状況をどうするだろうか」
と考えます。
勤めている会社も違うし、職種も違うけれど、彼の考え方は基本的には不変で、不偏なもの。
だから自分の環境に当て嵌めた時、どうか?と考えられる。
この前も、
「君の言っていることは正しい。けど、君はまだ2年目や」
と言われました。
その時は、
「何ぃ? 2年目や3年目という理由だけで提案が却下されるんやったら、いったい何年目になったら発言権を得られるようになるんや。この世の中、正しいことだけでは罷り通らないかもしれへん。しかし、正論の通らない世の中は、いつの間にかシガラミばかりになって、必ず崩壊してしまうやろ!」
と思ったのですが、松下幸之助の本を読み返して、
「2年目、ということは、俺の言ったことが本当に実現出来るか出来ないかは抜きにして、その改革に責任が負えるか、ということを言いたかったに違いない。言うことは簡単や、けど実現する、実行するということに関しては別。つまり先輩が言いたかったことは、責任を持て、と言いたかったのかもしれん……やはり、正しいことをしたかったら偉くならないといかん。発言の自由は、実行の責任を伴う。せやから、偉くなる必要がある」
と痛感したものです。
心の中の師匠、松下幸之助氏。
生きておられたら、聞きたかった。
「企業が変革の必要に迫られた時、誰が何をするべきか?」
もしかしたら、こう言うかもしれませんね。
「そんなもん、各役職には各役割があるんや。各人が各人の責任に基づいて、各人の仕事をしていたら、問題なんてあらへん。当り前のことをするだけやがな」