祖母が、認知症だ。
正常な時もあるけど、6割~7割は行動がおかしい。
最近は夜中の徘徊だけでなく、叫んだり、叩いたりする。
ご飯を食べていないのにお腹がいっぱいだと言ったり、
暴行を受けていないのに祖父に叩かれたと言ったりする。
僕のことや母のこと、祖父のことを覚えてはいるけど、もう限界かもしれない。
もしかしたら、いつか言われるかもしれない。
「あなたは誰ですか?」
そもそも、祖母は6年前に倒れてからおかしくなった。
心筋梗塞だった。
死んだはずだったが、当時の医療が助けてくれた。
祖母は死なずに済んだ。
最近、思う。
本当は、あの時に、祖母は死んでいたのではないか。
今、僕の目の前にいる祖母は、神様のいたずらで、
祖母に対して僕が「ありがとう」と言うために存在しているのではないか。
もしかしたら、僕が「ありがとう」と言えば、消えて居なくなるのではないか。
そう思うと怖い。
だから。
ありがとう。
この一言が言えない。
もし口にしたら、目の前からいなくなりそうだから。
祖母が倒れた時、僕は病床の祖母の手を握って心の中で叫んだ。
「おばあちゃんを助けて! 僕の命を削ってもいいから、助けて!」
何度も叫んだ。
何度も。
何度も。
何度も。
天に届くように。
祖母の心に届くように。
祈った。
もしかしたら、あの祈りは通じたのかな、と思う。
神様が聞いてくれたのかな。
でも、今は思う。
あのまま、しんでいた方が良かったのかもしれない。
今、間違いなく、祖母は苦しんでいる。
薄れていく記憶の中で、間違いなく消えていく記憶と闘っている。
僕のことを忘れたくない。
祖父のことを忘れたくない。
母のこと、妹のこと、今までの人生のこと……。
もし、あの時に死んでいたら。
今、消えている記憶は消えなかった。
楽しい記憶にあふれていた。
愛にあふれていた。
テンプラを揚げている祖母の後ろ姿を当たり前だと思っていた。
祖母の肉じゃがなんて嫌いだと思っていた。
祖母の優しさなんて有り触れたものだと思っていた。
当り前のものが、当り前のものと思ったまま、お互いの頭の中で、心の中で生きたまま、死ねたら一番良かった。
でも、そうはいかなかった。
祖母は今、記憶を無くしている。
その中に僕は居たい。
僕は何ができるだろう。
僕は何をするべきだろう。
僕は無力だから。
だから、せめて祖母に対する愛を捧げたい。
母を生んでくれてありがとう、と。
ありがとう、と。
料理を作ってくれたこと。
一緒に遊んでくれたこと。
つらい時、苦しい時、そばに居てくれたこと。
感謝の思いを、愛に込めて。