この胸いっぱいの愛を | それもまた良し

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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

祖母が、認知症だ。


正常な時もあるけど、6割~7割は行動がおかしい。
最近は夜中の徘徊だけでなく、叫んだり、叩いたりする。

ご飯を食べていないのにお腹がいっぱいだと言ったり、
暴行を受けていないのに祖父に叩かれたと言ったりする。

僕のことや母のこと、祖父のことを覚えてはいるけど、もう限界かもしれない。
もしかしたら、いつか言われるかもしれない。

「あなたは誰ですか?」


そもそも、祖母は6年前に倒れてからおかしくなった。
心筋梗塞だった。

死んだはずだったが、当時の医療が助けてくれた。
祖母は死なずに済んだ。

最近、思う。
本当は、あの時に、祖母は死んでいたのではないか。

今、僕の目の前にいる祖母は、神様のいたずらで、
祖母に対して僕が「ありがとう」と言うために存在しているのではないか。
もしかしたら、僕が「ありがとう」と言えば、消えて居なくなるのではないか。

そう思うと怖い。

だから。
ありがとう。
この一言が言えない。

もし口にしたら、目の前からいなくなりそうだから。



祖母が倒れた時、僕は病床の祖母の手を握って心の中で叫んだ。

「おばあちゃんを助けて! 僕の命を削ってもいいから、助けて!」

何度も叫んだ。

何度も。
何度も。
何度も。

天に届くように。
祖母の心に届くように。

祈った。


もしかしたら、あの祈りは通じたのかな、と思う。
神様が聞いてくれたのかな。


でも、今は思う。
あのまま、しんでいた方が良かったのかもしれない。



今、間違いなく、祖母は苦しんでいる。

薄れていく記憶の中で、間違いなく消えていく記憶と闘っている。


僕のことを忘れたくない。

祖父のことを忘れたくない。

母のこと、妹のこと、今までの人生のこと……。


もし、あの時に死んでいたら。
今、消えている記憶は消えなかった。
楽しい記憶にあふれていた。
愛にあふれていた。

テンプラを揚げている祖母の後ろ姿を当たり前だと思っていた。
祖母の肉じゃがなんて嫌いだと思っていた。
祖母の優しさなんて有り触れたものだと思っていた。

当り前のものが、当り前のものと思ったまま、お互いの頭の中で、心の中で生きたまま、死ねたら一番良かった。
でも、そうはいかなかった。

祖母は今、記憶を無くしている。
その中に僕は居たい。


僕は何ができるだろう。
僕は何をするべきだろう。

僕は無力だから。
だから、せめて祖母に対する愛を捧げたい。


母を生んでくれてありがとう、と。
ありがとう、と。

料理を作ってくれたこと。
一緒に遊んでくれたこと。
つらい時、苦しい時、そばに居てくれたこと。

感謝の思いを、愛に込めて。