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令和の御代が始まって半年であるが、10月22日の即位礼正殿の儀によって本格的に始まった気がする。
ところで、ワシが大昔に勤めていた会社の社長は、名を口にするのも畏れ多い今のミカドさまの音楽(オーケストラ)上のかつてのおともだちだったんですよ
で、その社長さん今どうしているか気になったので調べてみました。
そして、2018年1月に他界されてました 【訃報】
ここからが本題。
1985年9月のプラザ合意で、為替レート安定化。日本経済は、円高不況に見舞われた。
そのころのワシは、駆け出しの若手で社内政治になど興味ないボンクラだった。
円高不況による業績悪化で混乱していたころ、社長の子飼いだか右腕だか知らないけれど、某取締役が会社の経営中枢部門を自らの腹心の課長職レベル若干名とお気に入りの女性社員数名を引き連れて制圧したのである
しかしながら、ルーティンワークのプレイヤーは前体制での主力選手が担う他はなかったから、その方々は面従背腹、忍従の日々が始まったワケである
運が良いのか悪いのか、円高不況などはすぐに終了。毎日がお祭りのようだった夢のような日々、バブルの時代がやってきた
バブル時代は国が地方自治体に1億円配ったりして、末端のボンクラ若手のワシにも恩恵があり、
財布の中に常に十人の諭吉が居るという今では考えられない夢のような状態だった
そして、某取締役は会社中興の祖とすら評されたのである
ここで1曲。
荒井由実で「やさしさに包まれたなら」
だが、1991年5月、バブル崩壊。
経営は徐々に傾き、翌年夏、親会社の意向で社長と某取締役は更迭された
バブル時代、賃上げも一時金も一発満額回答と労使協調、某取締役と一緒に果実を貪っていた労組は手のひら返しで新経営陣に阿り、某前取締役追い落としの旗を振りだしたのである
某前取締役派側はよほど上手く立ち回った一部の者を除き、かつての冷や飯組から逆襲に遭い、リストラの美名の下、ひとりまたひとりと会社を去っていった
それは、狭い会議室でひとりを取り囲み、
「おう、早く退職届出せ そしたら退職金満額出るぞ。出さなきゃ懲戒解雇にするぞ
」
と迫る、陰湿なものだったと聞き及んでいる。
有力者あるいは多数派の後ろ盾を失ったら脆いもの…
人は、「松野は猜疑心の固まりだ」と云う。その原点はここにある。
>すっぱいみかんと甘いみかん、どっちが好き?
酸っぱいの
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