すきなとこをいっぱい書くゾ! -キミオイ勝手考察③- | 山田裕貴について色々喋るma.naのブログ

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新宿武蔵野館にて12/6(木)まで上映延長決定めでたい!!

※ネタバレ極まりないのでご注意ください。




今回はテーマ問わずいろいろ、好きなとこを。
勝手考察もこれが最後になるかなー?
①や②で濁してたとこも書きます。
もしよろしければ、併せてお読みくださるとうれしいです。



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月光ソナタ
勝手考察②参照、浩介と真愛の間では『月』がキーワードとも言えるのですが、それを少し別方向から見られる気がするのが、真愛がひとりでベートーヴェンの『ピアノソナタ第14番 op.27-2 第一楽章』を聴いているシーンだと思います。
陽平が真愛の部屋を覗き見していて、そこにリコーダーで同じ旋律を吹きながら寿音がやってくる。
しかし真愛はサッとカーテンを閉めてしまう(笑)
カーテンを閉めたら真愛から『月』は見えなくなりますね。

夜空に浮かぶ朧月…。
陽平と寿音には乙と言いたい。

ベートーヴェンの『ピアノソナタ第14番 op.27-2 第一楽章』…『月光ソナタ』或いは『月光』として有名です。

ベートーヴェンって楽曲に個別のタイトルをつけないので『月光』も批評から生じた通称なんですよね。
真愛が聴いている第一楽章はいわば『押し隠した想いの切なさ』とも考えられていて、第二楽章、第三楽章…と聞き進んでみると、浩介と真愛の物語にもとても合っているんじゃないかという気がしてきます。


「最近あんたよく『脳』の話するよね?」
ってオカンにからかわれた時の浩介がめちゃめちゃすきです。
浩介に『脳』の話をした人物が誰かを考えてニヤニヤします。
そもそもわたし、『ボクらが恋愛できない理由』の頃から山田裕貴が演じる『オカンに反発するも結局は頭の上がらない思春期の男子』がめちゃめちゃすきなんですよ。
もう天下一品。
思えばこのときのケンジ君も『幼稚男子』の一人だった。
『○○俳優』いろいろありますが、山田氏は『オカンに反発するも結局は頭の上がらない思春期男子俳優』だと思う(なげぇわ)

※山田裕貴主演ドラマ『ボクらが恋愛できない理由』より。
ゴーカイジャー後すぐの作品のひとつでしたが、まー驚いた。芝居の質感の違いに。キャラではなく、この俳優を追うぞ! と思わせてくれた作品のひとつです。


「ウチは隠し事はナシだ」
色気づいた浩介の変化に、同じ裸族のオトンが放った一言。
隠し事=真愛への恋 っていう暗喩にもなりますね。
そこがパンツで表されるのが笑えますが(笑)
ほんとに日本版って、ちょっとずつ、ちょっとずつ、浩介が真愛に惚れていくことが積み重ねで描かれているんですよね。
ちなみにここの会話で家計を心配してバイトしようか考える浩介がナチュラルに放つ

「おからはおからだにいいもんね。」

と、それを気にも止めないオトンがじわります。 
裸族と同じくらい、浩介の駄洒落が普通のこととして受け入れられてる(笑)


「なんでそう『親切な命令』をするわけ?」
すごいすきな台詞なんですよね。
あと「町医者令嬢にでもなった気がする」みたいな当てつけとか「実践してくれよ」とか。
こういう表現が随所にあるので、浩介めちゃめちゃ言語能力高いじゃん? とおもいました。
「もー、なんでしゅかー?」「イルストテレス〜」「可愛がってたんだよ」とか他愛ないものまで含めて、真愛をからかう時めっちゃ発揮されてる。
台湾版のコートンほど自信家でわかりやすい傲慢さではなく。
見下しなんだけど、浩介のは自動的に出てくるというのかどこか軽口っぽさがあります。

こういう細かい部分って観客の記憶に積もっていって、その後の展開の理由を補強してくれますね。
駄洒落もですし気になる言葉を辞書を引くだとか、最終的に浩介が小説を書くという展開を台詞や説明でなく見せてくれているのも、キミオイのすきなところです。


浩介が教室で月を見上げてりんごを齧るシーン
りんごを齧る音がすごく心地好いのと、椅子に座っていて『月』に気づいて『おっ、月きれーだな!』とでも思っていそうな表情、窓際に佇んで眺めてる瞳や背中。
めちゃめちゃカッコいい男子と思うんですよ、あの浩介って。

外見じゃなくカッコつけたものでもなく無意識の、うーんなんだろう、あの浩介は(真愛にとって)『ただのクラスメイトの男子』じゃなくなってるのかなと。
まぁ、りんご丸かじりしながら月を眺める男子高校生っていないでしょうけど(笑)、すごい平凡だったのに急に特別な存在に見えてくる、そうそれが『恋』てやつ。
スローモーションとかハレーションとか、別に特殊効果使ってないのにあんなにかっこいいとはどうしたものか?
あの突然放たれるカッコよさ、真愛が浩介を明確に意識したのってこの月の夜なんじゃないかなーと思ったりします。
※我に返ってちょっと言い淀むし(笑)

冒頭と終盤の会場へ向かう準備で部屋にいる浩介がりんごを齧るのもかっこいいんですよね。
最初と最後で浩介が味わうりんごの味の感じかたも違うんだろうな〜と想像したりすると、やっぱり切ないです。


『壁の中から声が…』
浩介が真愛をからかって真愛がちょっぴりムキになっている会話のあと、仲間が神妙な顔をするシーン。
『あぁ、浩介のこと好きなんだなぁ〜…』って一斉に悟るというか痛感するというか。
浩介と真愛にとってはそれがもう普通になってきているじゃれあいなんですが、他の男子たちには到底できない特別な、言い換えると異様なことなんですよね。
その『単なる仲の良いクラスメイト』と『こいつら付き合うだろうな〜』の空気感の歴然とした差に、なんとなくみんな押し黙ってしまうことって確かにあるなとおもいます。
※そこでもブレずに健人を見つめる一樹、さすがですな。


『敗北を抱きしめて』
ダワー著『敗北を抱きしめて』は戦後日本に実施されたGHQによる『上からの革命』を抱擁する日本国民について書かれた本です。
わたし個人はこの本の史料性について全面的には肯定しないんですけど(それほんとに日本国民がそう思ってた?? みたいなことが無検証な感じで書かれてたりする)、それでも敗戦から目を背けるのでなく敗北を抱きしめて生き抜く日本人のたくましさについて詳しく書かれていたりします。
2001年発行。真愛や詩子が『名言』を発表するシーンのある世界史の授業で扱っているんですね。

浩介は居眠りしていて真愛に叱られていますが、道場で健人に負けたあと

「いかん。『敗北を抱きしめて』いては、ダメだ!」

と言っているところを見ると、真愛に注意を受けてちゃんと話を聞いたのかもしれません。かわいいやつめ(笑)


ポニーテールに見惚れるシーン
で、でたーーー!! 山田裕貴の真骨頂『瞳のコンマ1ミリの差異で魅せる感情表現』攻撃ーーー!!!!!

『TV局中法度』の山田裕貴コント『戦国の拳』みたいになってしまいましたが。
これですよ俳優・山田裕貴、この微細さなんですよね。
あの猫みたいな大きな瞳が、愛しい人の姿を更に捉えようと瞳孔が開いて、つい口角が上がっちゃう感じ。
表情と言えるまでも大きくない、ほぼ生理現象みたいな変化。
浩介が大人ならもっとはっきり喜びを表現できたでしょうけど、この込み上げる気持ちが把握しきれてないで知らずに出ちゃってる感じ、めちゃくちゃいいです。

※『戦国の拳』…『北斗の拳』のパロディコントで、「戦国ケンザブロウ」(ケンシロウをもじったもの)が「戦国流拳法」(戦国時代に用いられた戦術そのままではなく、史実をアレンジした独自の拳法)で、数いる道場破りの面々と戦う。また、相手が繰り出す拳法に関しては、歴史に詳しいメガネ(道場の練習生)が解説する。(Wikipediaより)
※毎回楽しみでした戦国ケンザブロウ


「すごい人間になりたい。俺がいると、少しだけ世界が変わるような人間」
この言葉を聞いた真愛の表情が、わたしには浩介に対する期待と不安がないまぜに見えるのと、その真愛の表情に浩介がただひたすらに相手を好きでいるという眼差しを向けるところがすきです。

実はこのシーンを観ると、真愛は浩介を理解しようとしているけど受け止めきれないだろうなぁ…って、その後の展開を納得できてしまうんですよ。
かといって浩介を信用してないわけでなく、失望でもなく…その言葉を言うときの浩介があまりに遠くを見ているから、視線の先の果てしなさに憧れはあるけど不安もある、というような。
浩介の見ているものを一緒に見たいけど、自分はきっとそこまで遠くに行けないんじゃないだろうか? という、置いていかれそうな不安の影がどこかにあるようで。

でも浩介は、言い終わって真愛を見つめるんですよね。
彼は彼なりに真愛を見ている。
浩介の言う『世界を変える』という意味は、漠然とはしているけどそんな大それた空想じゃなくて、遠いものでもないんだと思います。

ここには浩介と真愛それぞれが捉える『世界』の大きさや像の差がある気がします。
男女の違いかもしれないし、未分化で不確定な浩介と比較して真愛が少し成長が早く、将来を限定的に捉えていることからかもしれない。
どっちの気持ちもわかるなぁ…というシーンでした。


恋人橋(情人橋)
会話を続けながら『ここにしようよ』という感じで許願筒を欄干にかけるシーン。
台詞を言う、それを聞く、答えるという会話のキャッチボールと、言葉なく許願筒をかける場所を見つけて、ここにしよ、うん、俯いて丁寧に紐を結ぶ真愛と、筒にチューしてから結ぶ浩介という動きのキャッチボールがあって。
こういうマルチタスクって日常的に人間がやってることだし、すごく自然だなーと感じる。
ゆったりと流れる時間に、二人の息もぴったりです。
台湾版と同じ線路で撮りたかった…と言っていたけど、日本版もすごくすてきなシーンになっていると思いました。


浩介と真愛が別れたという情報は誰が?
前提として

・真愛のことを好きだったのは浩介・健人・寿音・陽平(全員知っている情報)
・ただし寿音は『詩子派』と言ってみたりもしていて、仲間として『みんなのことが好き!』ってタイプに見える
・陽平と健人は連絡を受けた側
・健人には一樹から連絡をした
・一樹が健人のことを好きなのは浩介しか知らない
・各電話シーンの相手は浩介・真愛以外の人間

家にいるときまでずっとポニーテールにしていた真愛が髪を下ろすことで、詩子は彼女の気持ちを推察します。
いや、そりゃ親友だから「別れた」ことは直接聞いているかもしれないけど、くっついたり離れたりまたヨリが戻る男女だっているわけだし。
しかし、真愛がこの別れを『決定的に捉えている』ことは、この変化を通じて(詩子にも、観客にも)感じられたのではないでしょうか。
真愛の決心を察知したからこそ、詩子は同級生に連絡をしたのかもしれません。

⇒仮説①詩子
詩子から陽平・一樹・寿音へ電話した説。
その場合、健人にだけは連絡せず、一樹に任せる判断を詩子ができるか?という疑問が出てきます。
他人の気持ちに鋭い詩子は一樹の想い(視線)にも気づいていたのでしょうか?
ただ、劇中にそういう描写がないと思うので、個人的に詩子説は弱い気がしています。

⇒仮説②寿音
詩子が寿音にだけ連絡した上で、寿音から陽平・一樹に伝えたという説。
浩介のモノローグで、健人と陽平が行動を起こしたことは触れていますが、寿音が真愛にアプローチしたかどうかについては触れていません。
真愛に対する寿音の『好き』が仲間としてのものであったことは、詩子含めみんな気づいていそうですよね。
寿音の「また連絡する」という台詞は、連絡を受けた方でも連絡した方でも矛盾はないです。
ただし、もちろんこの場合も詩子と同じように、寿音が健人に連絡しなかった理由が見つからないという…。

⇒仮説③一樹
詩子が一樹にだけ連絡して、一樹からみんなへ伝えた説。
一樹が真愛に惚れていないことについてはみんな分かっていたはずなので、詩子も一樹には伝えやすかったのかもしれません。
詩子→一樹→みんな であれば健人の問題も生じないですし。
一樹の性格なら、健人も含め、真愛に想いを寄せていた全員に対しフェアでありたい気持ちもあったかなと。


こう書き出してみると、個人的には③がいちばん納得するかな? という気がします。


見えない月と結婚式のモノローグ
電話で話しながら月を見るシーンの違いから、結婚式の浩介のモノローグも台湾版と違ってきています。

台湾版「間違ってた。〜」
日本版「初めて知った。〜」

台湾版の電話シーンのコートンは満月を見て話してるんですが、実はチアイーが見ている月はビルに半分隠れています。
コートンはチアイーが自分が見ている月と同じものを見ていると思ってパラレルの話を切り出すわけですね。
解釈はいろいろあると思うんですが、夢想を語る男の子と現実を見る女の子の対比を強く感じた、というか。
チアイーの半分はもうコートンのいない未来に向いているんだなーと思いました。
結婚式直前まで新郎に嫉妬して、祝福なんかできるか!って勢いがコートンにはあるので、新郎新婦入場で自分は「間違ってた」と考えを改めるんですよね。

日本版は、勝手考察②にも書いたんですが、二人とも同じ月=満月を見て話していますから、浩介が月そしてパラレルに秘めた想いを真愛も受け止めたんだろうなと感じます。
ただし、真愛の返事が過去形であることで浩介も彼女の現在の気持ちが分かったんじゃないかという気がしています。

そして、寿音と一樹が浩介を呼びに来るシーン。

①冒頭のシーンは『浩介と真愛の結婚式直前の様子』
②最後のシーンは『真愛の結婚式に来賓で出席する前の様子』

という違いが生じていて(現場で出演者たちで相談し、監督へ提案したそうです)、同じように見えて靴を磨いたり浩介の表情や友人たちのトーンも異なります。
日本版の①はパラレルワールドの浩介だったんですね。

作品を観ることによって②の結末へ収束していくのですが、浩介の成熟や真愛への深い愛情は②へ進んだからこそ得られたもの。
恋愛とは成就することのみが人間に有為なのではないということを浩介が知った、ということでもあります。
こういう部分からも、「間違ってた」ではなく「初めて知った」が意味を成すと思ったりしています。


「言えなかったこと」
勝手考察②から繋がります。
あの喧嘩別れの夜、

「本当に幼稚」
「……あぁ、幼稚さ。だから優等生なんかに惚れて、ずっと追いかけたんだ」
「もう……やめたら?」

ここで浩介は言い返せもせず、無言で立ち去ってしまった。
この時、黙ってしまった浩介の下唇がちょっとだけ動きます。

本当は言いたいことがある。
でも結局、自信がなくて言えなかった。
式の後、浩介が真愛に言う言葉って、これまでのたくさんの『言えなかったこと』、その想いをぜんぶ込めた答えなんですよね。

「これからも、幼稚だ」

幼稚なまま、そのままを受け入れてもらえず泣くしかなかった頃や、意固地になって言う言葉ではなく、愛する女性の幸せを願えるまで成長した浩介が敢えて言うのがすごくカッコいい。
過去に留まり続けるわけでなく、失恋に項垂れるでも想いを引き摺るでもなく、ただただ『大切な人』なんだということが伝わってきました。


空振り
結婚式に出席した後の男子ってバッティングセンター行く習性あるよね。なんで?(笑)
ここ、台湾版でコートンはナイスバッティングするんですけど、浩介は見事に空振りで。
みんなが人生うまく行ってるなかで、浩介だけが出遅れてる感じ、いいなとおもいます。
『あの頃』を小説にしたためて、浩介の人生はこれからだということが、脚本の外というかエンドロールのあとにある。

ここの浩介もなんとも言えないイイ顔するんですよねぇ。

カフェで電話を受けるまでは『彼が見る範囲が世界』という、どこか傍観者的な眼差しだった。
楽しげに通り過ぎる高校生たちを懐かしそうに、愛しそうに眺める浩介は、まだ少し『あの頃』に囚われていたかもしれません。
それが『この世界の中にいる浩介』という感じになる。
ちゃんと28歳の、これからこの世界で生きていく人間の顔になっています。

山田裕貴氏は左打ちなんですが、浩介は右打ち。
まぁ、絵面的にでしょうけど(笑)
山田氏も小学生までは右打ちだったらしいですね。


ということで
作品の細かいとこで書きたいことまとめてみましたが、新宿武蔵野館で上映延長が決まったので、また何かあれば書くかもしれません。

『キミオイ』は特に何か特殊な事件とか流行性を追っている作品ではなく、自分のこれまでの経験や記憶、知識などを引っ張り出してくれるような作品だなと思います。
山田裕貴氏が「これはキャラクター誰々の物語ではなくて、観てくださるみなさんの物語」ということを言っているのも、とても頷けるんですよね。
そして、観客がこれから何かを経験したり、勝手考察するだけでもいろいろ出てくる文学・小説・音楽があったのでまだ何かある気がするんですが、そういったものに触れたときに『あっ、そういやキミオイで出てきたな…あれはこういう気持ちだったのか? こんな意味も含んでたのか?』って思うこともあるかもしれない。

いや、きっとあるだろうと思います。
そんなときにまた、懐かしい仲間と同窓会をするように浩介や真愛たちに会いたい。
わたしにとっては、そんな作品となってくれました。

結局のとこ、長々と何をどう綴っても言いたいのは、これに尽きると思っています。



『あの頃、君を追いかけた』ーーー!!
    お前が好きだーーー!!!!!



お読みいただきありがとうございました!