NHK朝ドラ『なつぞら』と『俳優修業』のお話。 | 山田裕貴について色々喋るma.naのブログ

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最近、朝の支度をしつつ『なつぞら』を観ては、ちまちま感想を呟く健康的な毎日です(?)

で、Twitterに『創造的な生き方』って自分で呟いて、続きを投下しようとしたものをメモしといたんですが、あまりにも長くなったのでblogにしてみました。

ノベライズ未読なので、へんなこと書いてる可能性も多々あるとは思うのですがw




■創造的に生きる人々

現在『なつぞら』4週目入ったとこなんですが(ほとんどのメモを4/23までに作成しています)、題材は戦後開拓だったり畜産だったり最終的にはアニメだったりするけど、主題としては『創造的な生き方』なんじゃないのかなぁ、って思ったんですよ。


演劇とかアニメだから創造的ってんじゃなくて。

『雪月』の長男・雪次郎が読んでるスタニスラフスキー著『俳優修業』って、昭和30年代の新劇関係者は挙って学んだわけだから演劇界の世相の表現とも思うんだけど、『悪役や善役ならこうだ、と型に嵌まった演技ではなく、その人物を生きる』という演技論の始まりというか礎にもなっていてですね。
そういうね、形式に当て嵌めるものではない現代演劇に繋がる本を雪次郎がなつに貸すんですね。

これがわたしには非常に象徴的に思える。

演劇部顧問の倉田先生はいわずもがな『農民にこそ演劇が必要』と説く、生活を見つめ直す知を民衆に与えようとするリベラリスト。
彼の存在は、戦争が終わり、雪解けの中を草木が芽吹くように自由主義・民主主義への要求が高まった時代なんだなというのを強く感じますが、彼もまた、その『新しい演劇』でなつに働き掛ける人物です。

剛男も農協に勤め畜産の在り方を模索しているし、新しいお菓子を生み出そうと工夫している雪之介は、既に併設喫茶店という業務形態をスタートしていました。
さまざまな人物たちが、戦前の生活(水準)に近づけるというより、未来へ向かい高次の人生を創造しようとしてるように思えます。

視聴者はなつの視点を、まだ何をしたいのか、何者なのか判らないヒロインの感覚を通じて現代へ向かう日本を観ていく。っていう。ね。

もちろん青年たち、天陽や雪次郎、照男はこれから迷いも悩みもするとは思います。
ただ、なつはこのままでは、本当に自分の人生を生きることが出来なくなってしまうと、観ていて危惧していました。
なつが悪いのでも周囲が悪いのでもなく、本当に戦争の、時代の犠牲になってしまうのではないかと。

※倉田先生、そして天陽も雪次郎もナイスフォローでした!

これ、果たしてわたし『なつぞら』観て、へー昔はこうだったんだーとか、北海道ってこうなんだーとか言ってる場合じゃないのでは? とも感じたりしました。

それを最初に感じたのは、泰樹の「大人の事情でこの子らに何をやった。今こそ、この子らが何をやりたいかを考える時だろう」という台詞。


子どもたちから全てを奪った、自由や親や友人、時に生命さえも奪ったのは大人たちの事情だったのだと泰樹さんは言うんだけど、現代だって同じことなんじゃないかと感じて。
演劇部篇に入り、雪次郎の持ってきたスタニスラフスキーや倉田先生の在り方から、より強く思うようになりました。

現代日本は、ありがたくも戦争から遠退き文化や被造物が溢れたけど、『創造的な生き方』がしづらくもなってしまったようなところがあります。
必ずしも作品を創ることが創造的な生き方というのではなく。

人生を創造的に生きる、自分の人生を創る生き方というのがあると思うんですが、そういった余裕、アソビを持てなくなってしまっているんじゃないだろうか、なんてことを考えます。

これはいつの時代も繰り返されてきたから、大人たちの心にいつも置いておかなくてはいけない。
大人はいつでも子どもたちから創造的な生き方を奪い取ってしまえる。それをしてはいけない。と。

それと作品が、現代の大人が劣化したと言いたいとも思いませんし、『昔に比べれば』的な話をしたいとも思いません。
バブル崩壊から連なる社会の暗雲という大きな損失や空白を埋めるだけでなく、創造的に生きていくヒントはないだろうか?
作中を生きる彼らの足跡から、ちょっとだけ元気が拡がっていかないだろうか? 
という、制作側からのささやかな祈りというんですかね。

『なつぞら』ってそういった話なんじゃないか? と、ちょっと思ったりしました。


■スタニスラフスキー『俳優修業』

単に『そういう時代』の表現かと思われたスタニスラフスキーに視線を注いでいる視聴者の方々もいらっしゃるようで、ツイートに反応があったり、そこに焦点を当てた記事が配信されたり。

さすが朝ドラ…多くの人が目にするから、いろんな視点があるし、『そこ?!』みたいなところにスポットが当たったりするのはすごく楽しいです。


わたしは雪次郎役の山田裕貴ファンなので、放送前から場面写真などで雪次郎が持っていた本にやたら執着していてですね(笑)



6月の十勝ロケのオフショットで山田裕貴氏が取ったポーズと、劇中で雪次郎が持ってる本の表紙がなんだか似てたんですよね。
4/25放送の自転車シーンなどは昨年夏の十勝ロケで撮ってるのですが、この『俳優修業』自体は今年に入ってからの撮影で使ってる小道具だと思うので、よくやるお気に入りなポーズを取ったのかもな?と今は思います。
しかしそれはそれで山田氏の勘というか視る力、すごいんじゃ???って話に…

なんでもない偶然かもしれませんが、個人的には興味深い符合だなーと思ったり。
少なくとも作品を捉えるひとつの入口になってくれたので、ありがたいですな。


そういや夕見子は、雪次郎、そしてなつにめちゃめちゃ興味を持ってると思うんですよね。

『演劇なんかやってるアイツ、何考えてんだ?』『どこを見てるんだ?』『何をやろうとしてるんだ?』みたいな。

だから演劇にはこれっぽっちも興味なさそうなんだけど、雪次郎の考えてることや、なつが取り組もうとしていることを知りたくて、なつが挫折した『俳優修業』を読んでるんじゃないかなー。


家業を継がず勉学の道を進む夕見子、まさに彼女も自分の人生は自分で創造したいと思っている一人だと思います。



■4/26 追記分

軽く推敲して投下しようかなと思っていたら、本人さんからのツイートが。


当て書きでもない、となるとますます不思議です。
わたしから見ると俳優・山田裕貴ってこういう不思議なこといっぱいあって、だからいつもワクワクしてしまう。
彼も、人生を創造的に生きているなーと常々感じますね。