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ボクの奥さん

ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

続いては、甲斐友さんの投稿…

「今年は、お二人の誕生日に加えてセイヤングの番組が始まって50年…」と読まれたトコで

「そうなんだ?50年だって!へえー!

あっ、セイヤングの番組じゃなくて、僕が(パーソナリティを)やって50年、そうです、そう…


…っていうことですね、この人が言いたいのは…スイマセン…言葉足らずでスイマセンでした

えー、みんな…セイヤングのスタッフ、ビックリしてます『ええーっ!?』って…(笑)

(『ええーっ!?(笑)みんな、顔見合して…(笑)』と松藤さん)」…とフォローなさって


「今夜は、2時間番組と聴いて嬉しいです

まさか半世紀を過ぎても、甲斐さんのセイヤングの番組を聴くことが出来るなんて…

当時は、深夜0時30分から午後(午前?)3時までの2時間半

まだ予約も一時停止の機能もないラジカセに

録音時間も最大1時間なので、CMをカットしながら聴いておりました…(『なるほど』)と甲斐さん


その頃のハガキ代は20円、現在の4分の1

初めて読まれたのが、ドラマ『新車の中の女』…(『ふーん』)…で

『一日の終わり』がかかったこと」の部分では「へえー!」とおっしゃった甲斐さんに対し

松藤さんは「ハイ」と、ご記憶がおありのご様子?…って

まあ、松藤さんが作曲され、リードボーカルを務めていらした曲ですもんね?


ただ、奥さんは「新車の中の女」の原作を読んでいたらしく

このドラマも毎週観ていたそうなんですが

「一日の終わり」が流れたことは「覚えてない」んだとか…(苦笑)

ちなみに…毎週、ほぼほぼノイズばかりの中、切れ切れに聞こえる甲斐さんの声…という

悪環境のリスナーは、この投稿が読まれたことも、それに対する甲斐さんのコメントも

「聴いた覚えがない」らしい(笑)


ともあれ…「他にも、高円寺の阿波おどりの招待状を送ったり

ナマ歌コーナーで『不思議な夢』をリクエストしたりしました

たった1年でしたが、毎週木曜日の深夜、楽しみでした

(『そうか、1年しかやんなかったんだね』と甲斐さん)…(『ですねぇ』と松藤さん)…(『へえー』と甲斐さん)


2000年になり、セイヤング21が始まり、不定期ですが

現在も続いていることに感謝しております

昔は関東近郊でしか聴けなかった文化放送も

今はradikoのおかげで、日本全国どこでも聴けるようになりました」と読み終えられると


「なるほど、へえー…あのー、だいたい文化放送っていうのは、ちょっと面白い噂があって

僕に『セイヤングやらないか?』って言ったのは、渡辺勲さんっていう、スゴい…

昔から有名な、あのー、プロデューサー…ディレクターの人だったんですよ


…で、番…いよいよ番組が始まるってことになったら

えー、い…勲さんが制作を飛ばされて…(笑)

ヒドくない?…(『飛ばされて…(笑)』と松藤さん)…『ええーっ!?』って…

そいで、そこに、元…あの…アナウンサーだった…えー、人がディレクターで…

もう、名前、言いませんけど、悔しいんで…


…で、なに?そうすると、その…元アナウンサーじゃない?

『甲斐さ、滑舌もっとなんない?』(笑)『滑舌もっと良くなんない?』

イヤ、でもさ、イヤ、これは良いか悪いかでいい…あの…

『これがいいと思って抜擢したんですよね?』って言ったら『イヤ、俺じゃないもん』

イヤ、お前はスタッフ(笑)お前は確かにそうだけどさ、スゴい…」


…と話されてましたが、このエピソードに関しては、2019年の放送の冒頭に第一声で…

「なんとね『セイヤング』はですね、1969年6月に…まあ、スタートして

なんと、今月でね、50周年…50年を迎えると…今回、51年目に突入…


僕、あのー、1年間だけ、昔…あの、76年4月からですね

77年3月まで、えー、1年間やったことあるんですけど

タナアミさんってディレクターと全く合わなかったんで(笑)

すぐ『辞めてやる!』って巣立ったんで…(笑)


だって、俺を担当にした渡辺勲って人が

俺が担当になった瞬間、制作から外されたんだよ?

まっ、実際は偉くなったんですけどね」…と、おっしゃっていて


その放送の文字起こしの際に…「この渡辺さんが甲斐さんをパーソナリティに選ばれたのは

甲斐さんが、神田共立講堂のライブで

岩崎宏美さんの『ロマンス』を歌われたのをご覧になって

『あ、こんな「ミーハー」な面もあるのか』って思われたからなんですよね?(笑)


田家秀樹さんの『ポップコーンをほおばって』によれば

渡辺さんは元々、ミキサーとして文化放送に入社され

2年で制作に…という異例の配置替えとなり、歌謡番組を担当なさることに…


深夜放送に移られ『セイヤング』のディレクターになられたものの

甲斐さんに直接『Q出し』されることなく、編成部へ異動…

この点について、田家さんは…『甲斐よしひろのセイヤングは

純粋音楽番組というより、彼のキャラクターとトークを中心にした番組だった』

…と、おっしゃってました」という風に書いておりました(笑)


それはともかく…「そいで、その2年後、勲さんが戻って来たのね、制作に…

したら『甲斐くん、やろうよ』って言った時に、僕は、その…

某国営放送からお声がかかってて、そっちを10年やっちゃったんですよね(笑)

アレ、10年やりましたからね、スゴイな…(『スゴイですねぇ』)…ハイ


『若いこだま』を4ヶ月か5ヶ月やって、で、すぐFMの番組になったんですよね

でも、ナンか、あの…文化放送に今村和夫っていう変な人がいたんで

『甲斐くん、ラジオやんない?ラジオやんない?』って言って

魔の囁きが…良かったですよね(笑)


その代わり…それが、2000年ということですね、つまりこれ…

(…とメールの紙の音がして)…えー、ありがたいですね

ナンか…こんなに続くとは思わなかった、僕…(『思わなかったですよ』)…ねぇ?

松藤と2人(で番組を担当なさるの)は、実は、違う放送局で、しけ…テストしてんですよ、僕ら…


えっと…FM COCOLO…(『ですね、えー、関西の』)…関西の…

…で、『やってくれないか?』になって、半年かナンか…(『やってましたね』)…やったよね

…で、そん時に『2人で、ちょっとやろう』ってなって

…で、2000年に(魔の囁きが)来た時に『あっ、やろやろ!』ってなったという…(『ハイ』)


…ということですね…(『そうでした』)

だから、あそこでテストパターンやっといて…ヤメなさい!遅い!今さら遅いよ!

(『テストパターン(笑)』)…イヤ、でも、ナンか…

『あっ、そっか、こういう風にやればいいんだ』って、あの時ちょっと…

(『そうですね』)…コツつかんだでしょ?…(『うん』)


だから、ワーッと、こう…しかも、AM…文化放送、AMだから余計に良かったよね?

あのー、ナンての?ぼ…僕らの、まっ、品の良い下世話さっていうのが…

ヤメなさい!もうホントに…(笑)…(『下世話は品悪いわい(笑)』)」…と

ラブリーパートナー誕生秘話?(笑)に触れられてましたが


Kainatsuさんとのラジオに関する対談の際に

甲斐バンドのメンバーとご一緒にパーソナリティを務められるお気持ちはなかったのか?と訊ねられて

「基本的にあんまりメンバーに気を遣いたくないんですよ。

ラジオって気を遣うと出るじゃない。だからやめようと思って。」と、おっしゃってましたが


Kainatsuさんが「松藤さんと2人とかなかったの?」と重ねてお訊きになると

「もう1回『セイ!ヤング』に戻ってきた時に、松藤はレスポンスが早いんで。

週刊誌全部に目を通しているっていうのが、僕と松藤なんですよ。

だから2人でやると面白いよねって言って、『セイ!ヤング』再復活の時から2人でやり始めた。

(『それがどれくらいになるっけ?』とKainatsuさん)…もう20年。飽きないよね。」とお答えになってました(笑)


余談ですが、奥さんの遠~い記憶によれば…

当時の機関紙等で拝見する限り、甲斐さんと松藤さんは、週刊誌だけでなく

小説やドキュメンタリーなどの著作物も嗜好が似通っていらしたみたいです


そうそう!この投稿者の甲斐友さんは、セイヤング21が始まってから

毎週2時間の生放送をカセットテープやMD、CDにダビングして送り続けて下さった方で

それは、我が家が、radikoのエリアフリーを利用するようになっても

まだスマホデビュー前で、タイムフリーの録音アプリが使えなかったため

かなりの長い期間、お手数を取らせてしまいました(汗)


前述のFM COCOLOの「青春大通り」オンエア時には、是非お返しをしたいと思ったものの

あいにく、我が家の受信状態が悪くて叶わず…(汗)

スマホデビューを果たし、録音アプリを使うようになってから

これまでの長きに渡る感謝を込めて、せめてもの気持ちで

以前にセイヤング21の番組内で、採用された投稿者に贈られる

「ピックギグ」を1枚プレゼントさせて頂いたそうです(笑)