キム兄さんが「イヤ、でももう、甲斐さん、やっぱりもう長いから
どっから言うてええんか、判らへんけど…やっぱり、歌が…声っすよね
俺はもう、喋り声も好きやし、誰もモノマネしないでしょ?出来へんでしょ?
(『そう…ホントにそうだね!?』と甲斐さん)
イヤ、俺もやる…家でやるんですよ…(『へえー』)
家でやるんですけど、ナンか、かすれはするけど、全然違う」と、おっしゃると
甲斐さんが「あのね、僕、たぶんね、違うのは、世良(公則)くんとか
その…もんたよしのりとか、いるじゃないですか?…(『ああ、ハイハイ、ハイハイ』とキム兄さん)
あの人たち、みんな声がかす…ハスキーなんですけど、まっ、ちょっとウエットなんですよ
僕の、乾いてるんですよ…(『ああ、そうですね』)
でも、ハスキーで声が乾いてる人って、ナカナカあんまり…確かにいないかも知んないですね
(『なるほどねぇ…「乾燥ハスキー」』)…乾燥ハスキー(笑)
(『まっ、ウエットで、くっ付けただけですけど…「ドライハスキー」)」と返されたトコで
千葉アナが「あの…今日のお便りテーマは『名前』で
あの甲斐バンドのヒット曲『安奈』から、実は…」と振られると
キム兄さんが「『安奈』って、僕、最初聴いた時…っていうか
ナン…何年も『あんなクリスマス』…『あのような』と思ってましたからね
(『うん、あんなね』と甲斐さん)…あんなクリスマスってなってって…♪あんな寒くは♪
『あんなぁ』て言うてはるな…みたいに思ってたら、あっ!名前か!」と関西人あるあるを披露(笑)
甲斐さんは「僕…僕、福岡なんで、あの…そういう感じですよね(笑)
『あんな、お前な、ナンだろな』っていうヤツですね?(笑)
(『そうそうそう!でも、名前…安いに奈良の奈で「安奈」』とキム兄さん)
でも、最初は、それ…えっとー、英語の響きなんだけど…だけど、漢字で書ける名前ないかなという感じで…
(『「ジョージ」とか、そんな感じの?』)…ナンかね、そうそう…(『それで「安奈」か』)
それで、まあ、そのー、全部オケ録って、その日に歌わなきゃいけないということになり…
『ええっ!?』っていう…で、でもまあ、たぶん『アンナ』がいいかな?っていう…
(『そっからアテたんですか?』)…漢字で書けるしね」と
ファンの皆さんには有名な「安奈」というタイトル誕生の経緯を説明なさってましたが
キム兄さんが「…で、これね、1番の歌詞はね、神戸で書いて(笑)
2番は渋谷のバーで書いた…って(事前アンケートに)書いてあるんですよ」と明かされると
甲斐さんは「そうです、そうです…(『移動中ですか?』とキム兄さん)
コースター…僕ね、コースターの裏に絶対書くクセがあって…(『へえーっ!』)
それ、1枚…コースター失くすともう、これ、1千万くらいの価値みたいな感じが
しないでもないじゃないですか?…(『そら、そうですよ、へえー!』)
だからもう、結構…だから、えーと…神戸のバーで、まず書いて、1番を(笑)…(『ハイハイ(笑)』)
それで…で、僕、3日…3日目の…目で忘れてなかったら、もう『OK!』っていう…(『ほおー!』)
自分のルールがあって…(『なるほど!』)…で、2日後くらいに東京帰って来て…
あのー…(『渋谷で、まだ残ってたから…』)…そうそうそう!…(『続きを渋谷のパーで…』)
そいで、そのバー入るとですね」と、これまた、ファンの皆さんには有名なエピソードを披露なさったトコで
キム兄さんから「コースター、ビニールやったら、どうするんですか?紙で良かったですね(笑)」と言われて(笑)
「そんなね、そんな時代じゃないですね(笑)」と甲斐さん(笑)
「みんな紙?(笑)」というキム兄さんの言葉に
「みんな紙(笑)…(『もう、ペン持ってはるんやね、いつもね、もうね』)」と返されてたけど(笑)
この辺りのやり取りは、後刻、スポニチAnnexにアップされてましたよね?(笑)
ともあれ…千葉アナが「あの女性コーラスから入る…」と言いかけられた途端に
甲斐さんが「そう、だから、最初のそこの所だけ空けて…
空けて、あの…オケを録ったんですよ…(『あとから…?』と千葉アナ)
そうなの、だから、そこに女性コーラスは、まっ、いないじゃないですか?…(『そうですね』とキム兄さん)
だから、まず、8小節空けて…『ナンで?ナンで?』って、みんなメンバーが…
『イヤ、まあ…まあ、ちょっと…ちょっと、あとで説明するから』みたいな…(『へえー!』と千葉アナ)
(『カッコいい!』とキム兄さん)…で、ナンか、あのー、ナンて言うんですかね?
こう…僕、歌謡曲ももう…ホンットにもう、諸々積まれた
洋楽ばっかりあるようなウチだったんですけど、歌謡曲も大好きだったんですよ
ほいで、やっぱり、こう…サウン…洋…イヤ、洋楽のサウンドで、こう…ナンかこう…沸き立って
日本語の言葉で泣く…みたいな、そういうのが理想だったんですよ
だからまあ、結局、まっ、1人で最初、生ギターでハーモニカ吹いてって行って
レコード会社と契約も決まったんですけど、契約のところで(笑)
『イヤ、実は、ちょっとバンド組みたいんですよね』って言って
みんな、愕然とした…一瞬シーンってなって…(『ええーっ!』)
ねぇ?だから、1人でもOKなんですけど…にも関わらず…(『逆ですよ、フツーは…』)
サウ…あの…バンドって、だから『それは大丈夫なの?』みたいになって
『メンバーは?』って言ったら『もう全部決まってる』と…もう、そこで…」と明かされると
キム兄さんが「スゴい!フツー、バンドからソロになるのにね」
千葉アナも「ねぇ?そうですよねぇ」と驚かれてましたが
こちらも有名な「バンド結成」秘話ですよね?(笑)
更に…キム兄さんが「洋楽、誰の影響、一番受け取ってはるんですか?」とお訊ねになると
「イヤ、ウチなんか、ジャズから、ジャンゴ・ラインハルトから全部かかってる
…で、生楽器も譜面も、ふとその辺にポンと置いてあるようなウチだったんです
(『環境かあ…まあ、イメージ湧いてったんですね?こんな曲がいいって…』)」という鉄板話も登場
そして…「そいで、僕、実は譜面書けないんですよ
(『あっ、そうなんですか?』と千葉アナ)、(『もう、口で言う?』とキム兄さん)
そいで、譜面書けないけど、耳が異常に良いんで、違い全部判る…
…で、僕、だいたい、コードもですね…こんなこと言ってる(笑)
まっ、いいですね、50年経ったら…コードも10くらいしか知らないんですよ」と甲斐さん
キム兄さんが「それでも、楽器できるボーカルの方、いらっしゃいますよね?」とお訊ねになると
「ああ、でもね、楽器は出来ないと(曲を)作れないじゃないですか?
だから、そこそこ作れるくらいは出来るんですけど…」とお答えになり
「そう思たら、松本隆さん、ドラムで(歌)詞書くって不思議やね」というキム兄さんの言葉に大笑いなさったトコで(笑)
そのキム兄さんが「『安奈』聴きたいんですけど」と、おっしゃると
千葉アナも「ぜひ!あのね、改めて、お話踏まえた上で聴いてみたいと思います
えー、甲斐バンドで『安奈』」とQを出され
前述の「女性コーラス」から始まるオリジナル「安奈」が流され、2コーラス目が終わったところで
「お届けした曲は、甲斐バンドで『安奈』でした」とカットイン
曲が流れ続ける中「ハイ、改めて、甲斐よしひろさんのプロフィールをご紹介させて頂きます
1953年、福岡県生まれ、4人兄弟の四男坊…
1970年から、同級生とバンドを組み、ライブ喫茶などで披露
1974年、フォークコンテスト全国大会優勝
その後、甲斐バンドを結成し、11月に『バス通り』でデビュー
1979年、武道館で連続2日間公演、その後、1985年まで…えーと…
7年連続で、武道館での2DAYSライブが、年末の恒例イベントとなります
そして、1986年の6月、えー、甲斐バンド解散ということで…
その後、ソロ活動を開始ということになっておりますー」とプロフ紹介があり
キム兄さんが「あのー、同級生とバンド組んでた時は、オリジナル曲ですか?」と質問なさって
甲斐さんが「イヤ、違います、違います」と返されると
「カバー…コピーやって…?」と重ねて質問され
「あの…CCR…クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルとか、そういうのがあった…
ちょっと難しい…洋楽でも難しいのを…」と甲斐さん
…が、次なる質問…「最初、作ったの『安奈』ですか?」…には「えっ!?違います」と驚かれ(笑)
「違いますよね?デビュー曲違いますもんね」というキム兄さんの言葉に
「バス通り」の話題への展開を予期されたのか?
「ハイ…で、セカンドシングルの『裏切りの街角』っていうのが
ナンか、1年通じて、75万くらい売れたんですよ…(『おおーっ!』とキム兄さん)…それが有り難かった
しかも、僕、あの…『デビュー曲売れるなよ』って、ずっと思ってたんで…」と方向転換を図られ?(笑)
キム兄さんが「どういうことですか?」と食いつかれたトコで
「デビュー曲が売れると、もうそこで、いきなりハードルが高くなるじゃないですか?
まあ、だから、理想は『2枚目か3枚目が売れるといいな』っていう…
(『「デビュー曲売れるなよ」って面白いですね(笑)なかなかコントロールしにくいですよね』)」
…と、このあたりで「安奈」が終了したものの
甲斐さんは「イヤイヤイヤ…まあ、そいで、デビュー曲出したら
フォー…フォークロックみたいな感じで扱われたんですよ
『そうか、なるほど、そらそうだな』と思って…
それで、まあ、ちょっと…3ヶ月後に(セカンドシングルを)リリースしなきゃいけなかったんですけど
半年待って貰って…で、こう…
一番、あのー、自分たちにピッタリなバンドカラーが出るような『裏切りの街角』を…
ちょっとデンジャラスなタイトルじゃないですか?…(『そうですね』)
だから、そういう感じの曲を書いたんで…まあ、それが…
しかも当たってくれたんで、有り難かったんですけど…」と続けておられました(笑)
ただ、この曲のヒットは、曲自体に魅力があったのはもちろん
「1本でも多くライブをやりたい」「どんな所でもやる」という
甲斐さんを始め、メンバーの皆さんの覚悟がそうさせたんですよね?