富沢さんが「今、ちょっと思い出してね、その辺の話をちょこっと聴きながら
当時は、私もね、判んなかったね、正直言って…」
…と「ニューヨーク三部作」の辺りの甲斐バンドの音楽について話し出されると
「判る!判る!あの…俺も説明するんだけど、判って貰えなかったもん」と甲斐さん(苦笑)
富沢さんが「でも、その前の方は『甲斐くんの歌を説明しろ』って言われたら出来たね
ところが『破れたハートを売り物に』以降…『ブルー』…」と言いよどまれたトコで
「『ブルーレター』とかね」とフォローされ
「『ブルーレター』はね、あの時と、ちょっと違う…」という富沢さんの言葉にカブセるように
「イヤ、だから、基本的には、音聴くとあからさまに違うんですよね」とおっしゃって
「そうそうそう!今、聴いてみて『なるほどなあ!』っていうね
あの頃、たぶん、ちんぷんかんぷんだからね、全然判んないでね」との言葉には
「でもねぇ、日本の音楽ジャーナリズムは大変でしたよ
僕、だって、28(歳)くらいから、ジムに行き出したんですよ、フィットネスクラブとか言う…
当時、そんなにないじゃないですか?ホテルしかない…ホテルにフィットネスクラブあって
それ、行くじゃない?…で、取材する時、まっ『今、ジムに行って、体鍛えてんだよね』って言うと
そこは、全部カットされるんですよ…(『ナンで?』と富沢さん)
イヤ、だから、ロックミュージシャンは、不良性と…(『ああ』)…イイ…イイお尻があれば…
キュートなお尻があればOK!っていう…(『なるほど!なるほど!』)
そんな…『体なんか鍛えんな!鍛えたら困る!』って、それ全部カットされるんですよ(笑)
(『ホントに!?』)…イヤ!イヤ!富沢さんもカットしてたと思うよ、俺…(笑)
(『イヤ、俺は、たぶんしてないと思うよ』)」
…と、「えっ!?そっち!?」って方向に、話を持って行かれてましたが(笑)
富沢さんが「イヤ、でも、今だから正直に言った時にね
さっきの『サウンド』とかって言われた時に、よく判ってないんで、書きようがないんですよね
その前だと、(歌)詞を持って来て説明も出来るし
取材さして貰ってればね、甲斐さんのコメント入れながら、上手くまとまって行くんだけども
こと『サウンド』となって来るとさ、なかなか説明しにくい…」と明かされると
「でも、僕は、こういう風に言ってたんですけど
(ここで、バックが『ナイト・ウェイヴ』から『破れたハートを売り物に』に変わり)
まっ、なかなか、みんな上手く書いてくれない感じでしたね」と振り返られ
ちょうど「破れたハートを売り物に」の歌詞の部分が始まって
そのまま、大サビ前の間奏に差し掛かる辺りまで流れたあと
富沢さんは「お送りしたのは…」という曲紹介ではなく
「ただ、今ね、正直な話、あの当時の音ね、聴いてみた時に
『それまで甲斐バンド』って言われたら、説明しにくい訳よ
でも、そうかと言って『判んない』とは言えないじゃない?(笑)…ただ『それはムリ!』っていうね
我々は、ほら、フォークの出なんで…(『フォーク(笑)…「フォークの出」は面白いですね』と甲斐さん)
でも、あの…言葉から入って来るから、フォークロック系ではないわけ
ところが、甲斐バンドがね『ブルーレター』とか出して来ると
俺が言うと『サウンド志向』になるのね
でも『サウンド志向』は何か?っていうと、これ、説明しにくい
そこへ出て来た洋楽系の人達は、今と逆に言うと、それまではそうでもなかったんだけど
今度は『甲斐バンド』『甲斐バンド』言い出して行くっていうね、感じだから
すごく変わり続けて行く…みたいな…」と、おそらく?奥さん達オールドファンが
初めて、アルバム「虜」を聴いた時に感じた、良くも悪くも「これまでと違う音」というか
自分の中の「甲斐バンドの音楽像」みたいなものが変化した戸惑いと、同種の感覚を覚えられたんじゃないかと…?
ともあれ…甲斐さんは「だから、シンコーミュージックって楽でしたよ
だって、チューリップが、ああいうサウンドで売れてくれてる訳じゃない?
わりと、スタジオ自由に使わせてくれたんですよ、やりたい放題…
(『そうだね、シンコーはナンかサウンドに強くて、お金かけてやってくれたじゃない』と富沢さん)
そう!そう!そう!だから、そこでスタジオ(作業)を覚えたんだよね
僕ら、ヒドイもん、3枚目の『ガラスの動物園』って(アルバムは)600時間くらい使ってる
(『それ、ムッチャ多い!』)…そう!『いい加減にしろ!』って、上から当然言われるし…
まっ、それで、次の『この夜にさよなら』ってアルバムね、80時間で作ったんですよ…(『ほおー!』)
『やれば出来るじゃないか!』…『そう…そうですね』
イヤ、でも、600時間使って覚えたから、80時間で…
(『だって、あの頃ね、1時間で3万から5万するからね』)…イヤ、スゴイよ…(『ねぇ』)
それを、東芝の1スタをずっと押さえてて、ヒドイよねぇ
…で、ミカバンドが『どうしても使いたい』って言ってます
…って押されて(笑)ミカバンドに開けたりしたの(笑)
(『ああ、でも、ミカバンドは、何回も一緒に使ってたからね』)…そう!そう!そう!
(『まあ、そういう良い時代だったっていうことで、まあ、色んなことでやったっていうことでしょうね』)」
…と、かつてのおおらかなレコーディング風景に触れておられましたが(笑)
以前に長岡さんも、ご自身のラジオ番組で…アルバム「この夜にさよなら」のレコーディング中
プロデューサーとマネージャーが、屋根の上でサンオイルを塗って、日向ぼっこをなさってたとか
スタジオには、ちょっと顔を出されるだけで、自由にやらせてもらったと、おっしゃってましたよね?(笑)
それはともかく…「ハイ、ということでですね
話の流れとしてはね、この曲をかけざるを得ないでしょう!」と富沢さん
「…ということですけども…『ブルーレター』なんですが
これは、アレですよね、アナログでも出てる?」と振られると
甲斐さんは「あっ、そうなんですよ、これ、あの…さっき言ったみたいに
CD3枚とアナログ2枚(のBOX)…そのアナログ音源から聴いて貰おうと…
(ここで「ブルーレター」のイントロが流れ始め)…なかなか、これも重厚でイイ…」と話され
…って、いつもテッド・ジャンセンの名前に力を入れて話をなさってますが
アナログカッティングは、ライアン・スミスの担当なんですよね?(笑)
ともあれ…「そうですよね…で、当時でもね、ピカイチの音だったんだけれども
それを…ピカイチが、それをもっと良くなったって、ナンとも…聴いて貰うしかないですね
それでは『ブルーレター』を聴いて下さい」と富沢さん
ちょうど、甲斐さんの歌が始まるところから、間奏までを流され
「お送りしたのは、甲斐バンドデビュー50周年記念BOXから『ブルーレター』
アナログでしたけれどもね、音もやっぱりね、奥行きも良いし、幅も広いし…ということですかね
これ、聴いて貰ったらいいかなって感じですね、しっかりね…(『そうですね』と甲斐さん)」
…と評されたあと「ハイ、それからね、甲斐バンド50周年アニバーサリー
ライブハウスツアーもあるということなんですけれども『Circus & Circus 2024』
10月の26日、広島から、これ、スタートということですかね?…(『ハイ』)
…で、27日が香川、11月4日が北海道、愛知、福岡、大阪…で
12月1日日曜日は、東京・Zepp HANEDA、それから静岡へ行って、宮城に行って
12月29日は神奈川の川崎CLUB CITTAなんですけどもね
これ、ライブハウスツアー…これ、どんな内容になるんですかね?」とお訊ねになると
甲斐さんは「あのね、5年ぶりなんですよ、僕ら
実は、ライブハウスをそれほどやってないまんま
すぐホール…(『…に行っちゃいました』と富沢さん)…行っちゃったんで…
だから、まっ、あのー、まっ、やろうと、5年前に1回やったんですけど…
ライブハウスって言っても、結局、Zeppとかね、みんな、1500から2000(人収容)くらいの小屋から
あと、浜松の『窓枠』っていう…(『500くらいのトコ』)…うん、そこ(会場選び)は幅広いんですけど
基本的に、僕ら、ライブバンドなんで、甲斐バンドは…
だから、ライブバンドのアイデンティティーを明快に打ち出すためには
やっぱり、ライブハウスが良いだろう…まっ、その出発点でもあるし…
まあ、そういうことで、まっ、ぜひ熱く楽しんで頂きたいなということなんですけど…
ライブハウスって言っても、まっ、僕ら、最初の方に『ルイード』ちょっとやって
あと『ジァンジァン』…(『あっ、ジァンジァンね』)…うん、ジァンジァン何回かやったくらいなんで…
ジァンジァンって、山手教会の敷地がね、あの地下にあったんだよね
あそこ、オーディションあるんですよ、実はキビシイのね、やっぱり…
『裏切りの街角』が売れた直後だったんで…だから、オーディションなくて
『いいですよ』って言われて『おお、ラッキーだなあ』って…
ジァンジァン、絶対やりたいと思ってたからね
デビューの頃に、高橋竹山、観に行ったことあるんですよ…(『津軽三味線の…』)…うん『スゲーなあ!』と思って…
(『格調高かったですよ』)…そうです!そうです!ジァンジァン、当時はね
だから、ルイードを何回かと、ジァンジァン何回かやったあと、すぐホールに行ったんで…
まっ、そういう意味で、出発点って言えば、出発点なんですけど…
(『そういえば、すぐサンプラとか、やってたもんね』)
そうなんですよ、考えたら贅沢だよねぇ…(『いきなり、だって、大ホールになっちゃうんだもんね』)
今、いきなり武道館になってるようなもんですか?…(『そうだね』)
やっぱね、いきなり武道館は良くないからね…(『やっぱり段階踏んでね』)…そう、段階踏まないと…
(『ライブハウス…ハコやってから、小・中・大(ホール)、日比谷野音…』)
それで、あの…スケール上げて行きながら、打ち上げのそのスケールも上げないと、ねぇ?
最初は、居酒屋から始まっていいけどさ…(『やっぱり、地力がないと、やっぱりね』)
そうなんですよ…(『いきなり行ったら、やっぱり…』)…ナンか、ムリですよ、ねぇ?
いきなり行っていいのは、AdoとVaundyだけですよね(笑)」…と笑っておられましたが
「照和」に出演なさっていた頃には、ライブハウスとホールの二刀流でいらしたんですよね?(笑)
もっとも、奥さんは「ジァンジァン」の名前が出た時から
当時、地方在住の少女には、あまりに遠かったその場所に
ん十年の時を経て、足を踏み入れるきっかけとなったのが
ビルボードツアーメンバーの木村将之さんが出演されるライブだったことに、感慨を深くしておりましたけど…(笑)