甲斐バンドツアー&リリースのプロモーション5 | ボクの奥さん

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ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

甲斐さんがゲストの「60分」の前半が終了し、CMを挟んで、後半がスタート♪
「今夜の『Age Free Music ミュージックトーク』は、今年デビュー50周年を迎えた
甲斐バンドの甲斐よしひろさんをゲストにお迎えしています
後半もよろしくお願いしたいと思いますけども…(『ハイ』と甲斐さん)

50周年記念BOXなんですけれども、とにかくね
1回聴いて頂きたいな…っていうね?音が全然違う…」と振られて
「だから、まあ、50年…くらい、ずっとやってることで…まっ、ベスト盤はね、過去にありますけど
今、アナログ音源っていうことで、アナログも相当イイ音ですからね

イヤ、CDもね、もうムチャムチャ、音良くなってるんですよ、実際…
デジタルリマスターっていうのが、10年くらい前に入って来て…
だけど、まあ、音の質も違うし、50年分まとめるってのは、大事なことなんで
そういう感じで、ちょっとイイ音も含めて…あと、歴史も感じて貰いながら…

…で、あのー、曲って、聴いた瞬間…イントロ聴いた瞬間に
いきなり、バーッと引き戻されるのが、音楽じゃないですか?
だから、映画とか演劇とかっていうのは、やっぱり、パッと触れても
思い出すのにフィードバックして来ない…結構、時間かかる…
…で、音楽だけは、一瞬で(過去へ)行くじゃないですか?…(『あっ、そうだね』と富沢さん)

だから、それが音楽の良さなんで、まあ、そういうところも含めて
自分の中の、こう…ナンか、色んな思いとか、思い出とかも含めて、感じて貰いながら聴いて貰うとね
(『なるほどね』)…楽しいかなという感じですね」
…と、甲斐さんご自身が「音楽って、そういうものだからね」と思っておられることを
このアニバーサリーBOXを手にされた方にも感じて貰いたいと希望なさっているご様子でした

次に、富沢さんは「…で、あとね、甲斐バンドなんですけれども
最初は…まっ、デビューしてから、何枚も(アルバムを)出していて
音にもかなりね、こだわって、ちゃんとやって来たっていうんですか?
あの辺りってのは、当時で言うと、ほとんど(誰も)やってないようなことをやってる…」

…と、おそらく?CM中に「ニューヨーク三部作」の頃についての会話がおありだったとおぼしき?
ちょっと唐突な感じの切り出し方で話を振られ(笑)
バックに「ナイト・ウェイヴ」が流れ始めた中
甲斐さんも「そう、だから、あの…僕ら、80年の終わりにニューヨークに行ったんですよ

結局、日本のスタジオとニューヨークとかって、これ、何が違うか?って言うと
エコールームって言って、エコーのための部屋っていうのが設置されてるんですよ
…で、日本って、そういうエコールームって、ないんですよ
だから、どうするか?と言うと、鉄板エコーって言って、機械でリバーブを作るっていうことになるんですけど…

確かに、向こうのエンジニア、すごく上手いんですけど
日本も上手い人、やっぱいるんですよ、実は…だけど、最終的にバランス取った時に…
最後に、そのエコールームのホルダー、パーッと開けるじゃないですか?
トンでもなく、魔法のように変わるんですよ

だから、やっぱり、そういう部分が、日本はないから…NHKだけなんですよ
NHKホールのところだけ隣接…まっ、NHKのスタジオ、全部使えるんですけども、そのエコーがね
だから、僕らは、そのエコーを求めて、ニューヨークに行って…

…で、パワーステーションスタジオっていう所で、まっ、ボブ・クリアマウンテンって言って
当時、ストーンズとか、ロキシー・ミュージックとか、スプリングスティーンとか
果ては『Let's Dance』のデヴィッド・ボウイまで(手掛けた)…
とにかく、80年代の一番代表的なエンジニアなんですね

その彼とやろうと…で、『破れたハートを売り物に』っていうデモテープを送ったんですよ
そしたらもう、すぐ返事が来て…『やっていい』って…
…で、まあ、パワーステーションスタジオっていうのは、そのボブ・クリアマウンテンと
ニール・ドーフスマンっていうのと、あと、ボン・ジョヴィのファースト(アルバム)やって
グラミー(賞)を獲ったエンジニアがいるんですけど、その3人で作ったんです、最初…

もちろん、その…オーナーはいるんですよ
それは、ジョン・ボン・ジョヴィのおじさん…ボン・ジョヴィ家…イタリア系…
そのボン・ジョヴィ家がオーナーで…だから、僕が行って、2年目の頃に
スタジオで掃除してるヤツがいて(笑)学生っぽいヤツが…
…で、『何やってんの?』って言ったら…『あ、僕、バンドやってます』って言って
それが、ジョン・ボン・ジョヴィなんですよ

だ…だから、ボン・ジョヴィ家のスタジオなんで
ジョン・ボン・ジョヴィは、掃除の手伝いを…(『してたんだ?』と富沢さん)
してました!してました!それが、3年後に、あっという間にもう…2年か?
もう、その時、結構イイ感じだったらしいんだけど、本人は食えないからね

だから、まっ、そういうすごく80年代のモデルケースになったくらいの、すごいスタジオですね
まあ、よくそこに潜り込めたなと…だから、ボブ・クリアマウンテンの…
世界中みんなやってる訳だから、アーティストが…
僕、じゅう…11番目だったんですよ、甲斐バンドは11番目で
僕らのあとが、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースで…(『へえー!順番待ちしてる訳だ?』)

もう順番が、みんなあるんですよ、もう…だから、そういうローテーションで回していかなきゃいけない
だから、1年半後、2年後になるんですよ
だからもうアルバム作っといて、ミックスしたら
もう次のスタジオにすぐ入らないと…間に合いたいじゃないですか?
だから、そういう感じで…それでニューヨークに…
結局、ナンやカンやと10年、行ったり来たりしてましたけどね
イヤ、だから、そのシステムを作ったの、僕らです、ニューヨークのね」

…と、ニューヨークでの、ボブとのお仕事の進め方などについて話されてましたが
富沢さんが「…なるほどね…で、とにかくね、あの時代も取材をさして頂いてて
音も変わって来るじゃない?一緒にリズムも変わって来る訳だから、スタイルが変わるから
当然、それに伴って、音楽も変わって来るじゃない?…(『そう、当然!当然!』と甲斐さん)
だから、その辺だよね、その辺、甲斐バンドが…

…と、話をなさっている途中で、甲斐さんが
「だから、すでに、僕らが81年に(パワーステーションで)やり始めた時には
『SSL』って言って、コンピューターで動く卓が、もうあったんですよ、その時…
イヤ、ちょうど始めたんですよ、それはどういうことか?って言うと、記憶させられるんですよ
だから、一応やったことを記憶するんで、コンピューターが…

そうすると、もう1回やり直しの時に、ギザ…やり直す時って、フェーダーに印を書いてても
そんなピッタリいかないじゃないですか?でも、機械は戻してくれるんで…
『夜聴いてダメだったら、明日一番で、もう1回できるから電話ちょうだいね』っていう感じだったんで…
だから、その『SSL』っていう卓を初めて見て…しかも、デジタルの導入ですから
初めの方だからね『スゴイなあ!』って…

だけど、使ってるリバーブは、アナログリバーブなんですよ、機械じゃないんですよ、わざと…
何十年も前からのヤツをずーっと、みんなで残してて…
だから、ニール・ドーフスマンは、スティングとか
ダイアー・ストレイツとかで、グラミー(賞を)獲ったヤツなんですけど…

ボブ・クリアマウンテンと僕とニール・ドーフスマンは同級生なんですよ
しかも、2人ともイタリア系なんで、僕、イタリア系とは、すごい仲良くなるんですよ
ナンか判んないんですけど…それはナゼか?タコとイカを食べるから(笑)
でも、そういうの、あるよね?何食べるか?で国民性って…
だから、仲良かったこともあって、ずっと10年くらいね、まっ、行ったりしたんですけど…」

…と、話題を変えてしまわれたので(笑)富沢さんが、お話しになりたかったことは、また次回に…(笑)
ただ、最後の「イタリア系」云々に関して、以前に甲斐さんは
「福岡の人間が、短気で、スケベで、マザコンっていうのは、イタリア人と一緒だからね(笑)」
…と、おっしゃっていたような記憶が…?(笑)