さて、筒美さんが数多のヒット曲を量産されていた1970年代
甲斐さんは…「あのね、例えば『裏切りの街角』リリースした時に…すごいんだよ!
だって結局、日本のヒットパレードで争ってく訳ですよ?どんなのと争ってると思う?
ちあきなおみの『喝采』がある
ペドロ&カプリシャスの『五番街のマリーへ』がある
そんなのの中に『裏切りの街角』75万枚売れてる
しかも、それ(他の方の曲を作られたのは)職業作家じゃないですか
職業作家の人が…超一流のクリエイターが書いてるのを超一流の歌い手が歌ってる訳ですよ
そこに食い込んでいく…今考えたら恐ろしいよね(笑)若いから、怖いもの知らずで良いけどさ
ペドロ&カプリシャスの『五番街のマリーへ』がある
そんなのの中に『裏切りの街角』75万枚売れてる
しかも、それ(他の方の曲を作られたのは)職業作家じゃないですか
職業作家の人が…超一流のクリエイターが書いてるのを超一流の歌い手が歌ってる訳ですよ
そこに食い込んでいく…今考えたら恐ろしいよね(笑)若いから、怖いもの知らずで良いけどさ
今考えたらさ、今言った『喝采』とか、超名作じゃないですか
もちろん、超くだらない曲もいっぱいありましたよ、ハッキリ言っときますけど…
これだったら、俺たちの方がイイじゃん!って微かなプライドをくすぐらせながら書く訳だよね」…と話されていて
もちろん、超くだらない曲もいっぱいありましたよ、ハッキリ言っときますけど…
これだったら、俺たちの方がイイじゃん!って微かなプライドをくすぐらせながら書く訳だよね」…と話されていて
歌謡曲全盛期のヒットチャートに、まだ市民権がなかったロックで殴り込みをかけるというのは
まさに「手斧ひとつで山に分け入って行く」って感じだったんじゃないかと…?
当時のレコード会社や事務所にしても、その歌謡界のしきたりに従っていた訳で
甲斐バンドがデビューした当時…「3ヶ月に1枚シングルを出さないと存在が証明できない」
…と言われていた頃に「バス通り」を発売してから
「裏切りの街角」をリリースするまでに、7ヶ月もかかったというのは
新人バンドにあるまじき異例中の異例だったらしい(笑)
レコード会社や業界関係者の方々から「甲斐バンドはもう死んだのか!?」と言われ
甲斐さんは「プロなんだから、レコードが売れなければ仕方がないけれど
売るつもりで作って売れるものではないし(笑)
バンドのカラーを明確にしようと格闘した結果
…と言われていた頃に「バス通り」を発売してから
「裏切りの街角」をリリースするまでに、7ヶ月もかかったというのは
新人バンドにあるまじき異例中の異例だったらしい(笑)
レコード会社や業界関係者の方々から「甲斐バンドはもう死んだのか!?」と言われ
甲斐さんは「プロなんだから、レコードが売れなければ仕方がないけれど
売るつもりで作って売れるものではないし(笑)
バンドのカラーを明確にしようと格闘した結果
曲が出来るまでに時間がかかってしまった」と話されてます
その後も、甲斐さんのアマチュア時代のオリジナル「ポップコーンをほおばって」を
甲斐バンドのシングル用にとアレンジを変えられ、歌詞も短くなさったのに
A面になったのは「かりそめのスウィング」だったようだけど(笑)
全10曲のアルバム「英雄と悪漢」がリリースされるまでに
2枚のシングル(計4曲)が先行発売された訳で
これが「普通」だったというのが異常ですよね(笑)
全10曲のアルバム「英雄と悪漢」がリリースされるまでに
2枚のシングル(計4曲)が先行発売された訳で
これが「普通」だったというのが異常ですよね(笑)
当然、業界では、ようやく認識され始めた「フォーク」や「フォークロック」より
「歌謡曲」として扱う傾向がまだ根強かったようで
「歌謡曲とか、フォークとか、ロックとか
そんなジャンル分けは、もう必要ないと思う」と甲斐さん
「僕にとって大事なことは、いかにその曲に作った者の血が通ってるか?で
例えば『歌謡曲っぽい』と言われたところで
『歌謡曲っぽい』という言葉が『わかりやすい』という言葉の代名詞なら
『歌謡曲?結構!』ということになって来る」
…と、少々?うんざりなさいながらも、現状を冷静に把握されていたみたいです
一方、筒美さんは「歌謡曲と名のつくものは大嫌いだった」そうだけど(笑)
「職業作曲家」となられたからには
「自分の好きな音楽を作るのではなく、ヒット曲を作るのが使命だから
心に沁みる歌を書きたいと思ったことはない
あくまでヒット曲にこだわって行く」と考えていらしたらしい
同時期にしのぎを削っておられた作曲家・都倉俊一さんは…
「筒美さんは、歌手の歌唱力や音域の広さに合わせて自在に歌を作った
岩崎宏美なら、非常に透き通った彼女の高音が映えるようなメロディーを
太田裕美なら、彼女のロングトーン、ハイトーンを見事に生かすように
尾崎紀世彦に至っては、声量があればあるほど生きるようなメロディーを仕立てて
彼の歌唱力を100%使い切る歌にしたし
浅田美代子に書いた『赤い風船』なんかは、1オクターブくらいの音域の中に
彼女のたどたどしさが逆に魅力になるようなメロディーを詰め込んで
彼女の魅力を引き出し、ヒットさせちゃった
ジュディ・オングの『魅せられて』は、サビにファルセットを使うメロディーに
パフォーマンスとアレンジも含めて『これはやられたな』という感じ
古今東西、色んな作品がありますけど『このジャンルはこの1曲で終わり』
真似は出来ないっていう曲がたまにある
この曲も、もう同じような路線で作ってみようとは思えないくらい完成されている」と絶賛
更に「京平さん自身は、歌があまり上手くなかった
でも、それが懐の深さ、引き出しの多さに繋がっていた
作曲家には色んなタイプがいるけど、自分で歌える人たちは
自分の世界に入って、自分が歌って気持ち良い歌を作る
でも、自分で歌わない京平さんは
完全に提供する相手の身になって歌を作るから、とにかく幅が広かった
京平さんとコンビを組んだ阿久悠さんも、実体験を歌にすることはほとんどなかった
京平さんと阿久さんは『自分を主人公・主役にしない』という点で共通していたと思う
そして、時代を嗅ぎ分けて、合ったものを投げて行く
『大衆とのキャッチボール』が2人とも抜群に上手かった」と分析なさっていて
「自分が主役」でないと意味がない(笑)ソングライターとは
明らかに一線を画していた点だと言えますし
それは、どなたかに提供なさった曲を後にセルフカバーされる方が多いことからも
やはり「自分の血肉を削って作った曲」…
いわば「分身」という意識が働いていることが窺えます
また、筒美さんは「曲先」の都倉さんとは逆に「詞先」派で
「良い詞が欲しい」が口癖でいらしたらしく
出来上がった歌詞からイメージを膨らませておられたんじゃないかと…?
その筒美さんが、一番お好きなご自身の曲は「木綿のハンカチーフ」だそうで
東京芸大の大角教授によると…
前半の「都会に出た男性」の言葉の部分はメジャーコードで
「地方に残った女性」の気持ちの部分はマイナーコードでそれぞれ表現され
「地方に残った女性」の気持ちの部分はマイナーコードでそれぞれ表現され
特に、サビの最後「染まらないで帰って」は
ワーグナーやショパンが多用していた手法を使い
哀愁やロマンチックなムードを高めているんだとか…
また、この曲の発表は1975年…高度経済成長期が終わり
物質的な豊かさと引き換えに、精神的な豊かさを失ったと言われた頃のことで
時代の気分をうまくコードに落とし込めた曲だと評されてます
ちなみに、この曲の歌詞を書かれたのは松本隆さんですが
時代の気分をうまくコードに落とし込めた曲だと評されてます
ちなみに、この曲の歌詞を書かれたのは松本隆さんですが
奥さんは、この1つの曲の中で、男女のパートを書き分けるという手法が
そのまま「東京の一夜」に生かされていることや
「また逢う日まで」の「二人でドアを閉めて 二人で灯り消して」という阿久悠さんの歌詞を
「ダニーボーイに耳をふさいで」に採り込まれていること
更に、この2曲が共に甲斐バンドのサードアルバム「ガラスの動物園」に収録されているのは
甲斐さんが、当時のヒットチャートの中で戦っておられた
「職業作家」の方々からも刺激を受けておられたためじゃないか?と思っているらしい(笑)
もっとも、甲斐さんは、阿久さんとは逆に実体験に基づいた歌詞を書かれる方ですし
その「自分を全てさらけ出して」書かれるにあたり
「私的表現と普遍性のバランスというのは、表現の上で一番難しい部分ですよね
ものすごく私的なことを書いたとしたら、それがキチンと普遍性を帯びているかを
表現者はどこかで客観的に見ることが出来ないといけない
ただ、さらけ出すといっても、生のままの感情をそのままぶつけているんじゃないんです
自分の感情の料理の仕方みたいなものを、ちゃんと判ってないといけない
それに詩人じゃなくて、歌詞を書いてる訳ですからね
純粋な詩と、ロックの歌詞では、やっぱり違います」とおっしゃっていて
ものすごく私的なことを書いたとしたら、それがキチンと普遍性を帯びているかを
表現者はどこかで客観的に見ることが出来ないといけない
ただ、さらけ出すといっても、生のままの感情をそのままぶつけているんじゃないんです
自分の感情の料理の仕方みたいなものを、ちゃんと判ってないといけない
それに詩人じゃなくて、歌詞を書いてる訳ですからね
純粋な詩と、ロックの歌詞では、やっぱり違います」とおっしゃっていて
そこには、ある意味「職業作家」の部分も必要なんじゃないかと…?
甲斐さんは「街の一角でうごめく人間の哀切を鋭く切り取った歌詞と
シンプルでビート感に満ちたメロディで構成される楽曲」を「明るい陰」と表現されていて
「銭湯の行き帰りに見た博多の歓楽街のキャバレーやスナックのドアから漏れる光には
にぎやかさと共に、どこか哀惜も漂っていた
それが『明るい陰』の原点」であり「聴いて来た音楽は洋楽ばかりだったんで
シンプルでビート感に満ちたメロディで構成される楽曲」を「明るい陰」と表現されていて
「銭湯の行き帰りに見た博多の歓楽街のキャバレーやスナックのドアから漏れる光には
にぎやかさと共に、どこか哀惜も漂っていた
それが『明るい陰』の原点」であり「聴いて来た音楽は洋楽ばかりだったんで
日本人の言葉と洋楽のサウンドをミックスしたかった」と話されてますし
また「田舎のおばあちゃんの家で聴いた夜汽車の汽笛が好き」で
「今思えば、その田舎での時間があったから
僕の歌詞には、街育ち特有のビート感覚と
カーンと突き抜けた青空のような牧歌的な気配が入り交じり
形づくられているようなところがあると思う」とも、おっしゃっていて
「今思えば、その田舎での時間があったから
僕の歌詞には、街育ち特有のビート感覚と
カーンと突き抜けた青空のような牧歌的な気配が入り交じり
形づくられているようなところがあると思う」とも、おっしゃっていて
つまり、歌詞とメロディー両方をお作りになる方と、メロディーだけを書かれる方とでは
そのためにお使いになっている脳の場所が違うというか
もちろん、歌詞にインスパイアされて出来る曲もあれば
曲のイメージから紡がれる歌詞もあるんでしょうけど
甲斐さんを始め、歌詞と曲の両方をお書きになる方々が、よくおっしゃっている
「歌詞とメロディーが一緒に降りて来る」といった感覚を
メロディーメーカーの方々は、体験なさっていないのかなあと…?