無料動画で「まほろ駅前番外地」にハマッて
12話全部観ました。

主演は瑛太と松田龍平。
結構、最近にはない面白さ。
主演のふたりが自由に演じているところが、作品を面白くしている気がします。

僕は松田龍平の父、松田優作さんの大ファンでしたが、
龍平クン、最近お父さんに似てきましたね。
似てきたってのも、親子だから当然なんですが。
特に背中からのちょっと猫背で、そこから出るオーラがよく似てる。
これはやっぱり誰も真似できない、同じDNAを受け継いだ者のなせる技ですね。

他にも面白い作品あったら、みなさん教えてくださいね。
何せ、普段はテレビを観ない派で、リアルタイムで観ていないので・・・。
面白いドラマ教えてくれると助かります。
ひさびさに脳のお話。今回は脳の錯覚です。
私たちの脳は五感を使って情報を得ています。
その中で大きな役割のひとつが視覚情報。
しかし、この視覚情報によって脳が錯覚を引き起こすことがあります。
たとえば、よく交通事故が多発するところがあります。
これには何らかの要因があります。その中のひとつに視覚が引き起こす脳の錯覚があります。
実例をあげれば、何百メートル先にカーブがあります。そこまでは本来軽い下り坂です。
(これは高速道路などでありがちですが)カーブの奥に高い高層ビルの景色が広がっています。
視覚は車線を見ながら、高層ビルの景色も入ってきます。
本来軽い下り坂なのに視覚が上がる分、脳は軽い上り坂と認識します。
そこでドライバーはアクセルを少し踏み込み、結果的に必要以上のスピードでカーブへ進入していき事故につながる。
こういうことに限らず、脳は複雑にできていますが、単純な面もあります。
それはひとつの情報に何時間もかかっていたら行動が取れないので、脳は入ってきたたくさんの情報をいち早く処理しようとします。。そこに錯覚が生まれます。
もう一例をあげると記憶違いがあります。
初対面の人に会う。名前は佐藤さんなのになぜか伊藤さんと覚えてしまう。
次にあったときに「お久しぶりです、伊藤さん」と言う。
相手は怪訝な顔で「佐藤です」と答える。こんな恥ずかしい間違いも多いはず。
脳はその人の体系や性別、顔のパーツなどのたくさんの情報と名前を一致させ、脳に記憶する。
このときに間違って「伊藤さん」と言う情報で記憶してしまうと脳は錯覚したままになります。
そういうことを避けるために一日の出来事を思い返すことも大事。
これはなるべくその日にやったほうがいい。時間が経てば経っただけ、情報は脳に定着するので修正しても、定着した情報がすぐに直らない場合があるからです。
そこで早く記憶違いに気づけば、脳は新しい情報に修正され恥ずかしい思いもしないですむことになります。
車の運転に限らず、普段からいろいろなことを観察してみると、自分が認識していたことと違うことが見えてくるかもしれません。
ここ最近、精神的に調子が悪かった。
もう、3ヶ月ほど前から泣きたい気持ちが心の底にあった。
でも、男性ってなかなか泣けないんです。
小さいときから、「男の子なんだから、我慢しないとだめでしょ。」
男だから強くないといけない!!男は泣くもんじゃない!!
などの固定観念が植え付けられているので、心の中がいっぱいでもなかなか泣けない。
3ヶ月ほど前からネットで泣ける話や泣ける小説を調べて、
借りてきては読むんだけど、本などは感性の違いもあるからネットで推薦している本でもなかなか心の奥に入ってこない。
そんなんで3ヶ月間ほど、すごくしんどかった。
2日前にブログにアップした「MISIA/飛び方を忘れた小さな鳥」
今日、朝歩きながら聴いていた。
僕が住んでいるのは、家を出てから裏通りを歩くと風俗街がある。
夜はなるべく呼び込みのお兄さんをかわすのがめんどくさいので、表通りを歩く。
しかし、朝は風俗店も終わっているので、裏通りをいつも歩いています。
そして、いつものようにネオンの消えた裏通りを曲を聴きながら歩いてた。
その曲の中にこんな歌詞がある。

飛び方を忘れた鳥のように
僕は何かを見失って
傷ついたその場所から生まれ出た
痛いほどの幸せを見つけた

何か自分に突然その部分がリンクして、いきなり涙が出てきた。
もう心の中は破裂しそうな風船のようになっていた。
一度決壊した涙は止まることを知らず、溢れるように出てきた。
誰もいない裏通り、涙を流しながら歩いた。
朝にいつも立ち寄るマックまで涙は止まらなかった。
そして、充血した目でいつものようにマックのホットコーヒーを注文する。
そのホットコーヒーを静かに飲みながら、心の奥が温かくなっていくのを感じた。
もう限界すれすれだった心が、また音楽によって救われた。
曲、ひとつの詩、それに込められた想いが心の中を涙によって浄化してくれた。
そして、また今日も僕の背中に陽は差した。

再度、MISIAの「飛び方を忘れた小さな鳥」をアップします。



言葉をいくら紡いでも、
伝えたいことはいつも目蓋の裏側にあって言葉にできない。
強がって生きている。わかってる。
人生のうえには厳しさばかりが転がって、いつもつまずいては嘆いている。
そして、今日もさまざまな形のタブレットを放り込む。
覚醒と昏迷の中で存在する自分を知る。
子供のころからさまざまな病に打ち勝ってきた。
今も10年以上の病とそれに合併する病。
正直、もう身体はふらふら。今日の自分と明日の自分が別人のように違う身体と精神。
でも、負けたら終わり。形に負けはあっても、精神に負けはない。
戦う、勝とうと意識の片隅にいつもある。
だから、つい本当の自分をさらけ出せない。
もっと正直で素直な言葉を捜してる。それが本来の自分だから・・・。


人生、生きていればいろいろな事がある。
太陽が照りつける日もあれば、雨に打たれ子猫のように震えるそんな日もある。
辛いとき、いつも僕は生きている意味は死を迎えるときに分かると思って、次の日につなげている。
そんなときに、救われるものに音楽がある。
昔と違って、いまはネットを開けばさまざまな楽曲に出会える。
たった一つの曲が勇気をくれ、小さな光の希望になる。
泣きたいときに泣ければ、そしてすべてを洗い流してくれたらどんなに楽だろう。
僕は飛び方を忘れた小さな鳥かも知れない。
傷ついても傷ついても、空がある限り僕はまだ飛べる・・・きっとまだ飛べる。
そして・・・また何かに出会える。
明日、空を見上げてまた微笑むことが・・・。