柴犬の五十六と五十六パパのブログ -168ページ目

その十三 柴犬の五十六です。『敵兵を救助せよ』お題:本当に凄い人達工藤俊作さんと、『雷』の乗組員

重大チョンボ発見し訂正しました。これで話が見える筈。(7月20日)

記事更新してます。画像も追加しました(7月18日)。

7月20日早朝:大チョンボ訂正しました。

よく、学ぶ(まなぶ)は、真似(まね)ぶからだって言いますけど・・・・・ちょっと意味違ういますが、こんなことどうしたって真似できません。
isoroku&tsuのブログ-お墓参り

車で移動中の私っ!。何処へ行くのでしょう。

本題の前に、なんなんですが、このあいだ、フィラリアの検査につれていかれました。

初めてかかる病院です。

主人が、初診の問診票を記入して、暫らく(しばらく)たって、

「イソロクさーん、こちらへ・・・・」目と呼ばれて、診察台兼体重計の上にたたされました。

そして、あの悪夢のような数分が始まったのです。

助手の女性の方と少しのやり取りの後、助手さんが取り出した物を見て私の脳裏に不吉なものが過りました(よぎりました)。

それは「体温計」。まあ、でも見たことある物でしたからそんなにびびったりはしませんでした。体温計なら主人も私も脇下(えきか:わきの下)でつかってますから。

でもっ!その後、決定的な一言が、助手さんから・・・・。

「ご主人は、イソロクちゃんの首を抱えて下さい」主人はおもむろに私の首を抱え、ヘッドロック状態に。

「えっ!、これって何を意味するの・・・・・」と思う間もなく、

プスッあせるア゛ッ!?ドンッワッ~~~ホンゲーェェェェェェェ~~~~ッ#$\\%?っ!ショック! ア゛ッア゛ッやだっ!嫌だ~~~~~”!@++\\\っ 叫び許してチョンマゲェェ~~~~+$##。<>・#゛゛\?/#・・・・・ぐったり・・・・・ショック!

またもやでありますが、お食事中の方申し訳ありません。賢明なる皆様は何事が起きたかお判りですですよね。

そのまま何分計か知りませんがピピッの音まで・・・地獄でした。そしてっ地獄はこれで終わりませんでした。正に無間地獄(むげんじごく:終わりの無い苦しみ?)・・・・。今度は何やら男が(多分獣医さん)でて来たと思ったら、その手には注射器の様な物体が・・・・。またもや

プスッあせる アッアッアオ~~~ン。今度は採血でした。もう嫌っ。フィラリアの薬貰うのになんでこんな目にあわないかんの。その上、主人が「そんな情けない声出すなっ」だって。笑いながら。

私は思いましたよ。「主人取り換えっ!」てね。


随分(ずいぶん)長い前置きでしたが、本題です。


主人は、ここのところ、欝(うつ:気分がすぐれない)気味でしたが、突然元気になりました。二話前のクルム伊達さんが、なぜ全英オープンに招かれたのだろう。ブログの内容だけでは説明つかないのでは・・・と思っておりましたが、全英・・・英国・・・・うーんと思っているうち、ある物語(実話)を思い出したのです。

そう!こんな人達がいたんだ!。お前(主人自信)の欝なんざ、この話の前では取るに足らない下らん事柄だっ・・・・と言うことらしいです。(私:柴犬の五十六と皆さんにとっては何のコッチャさっぱり解らんって感じですが・・・・)。

その実話と言うのは・・・・。

 英国はある時期まで日本びいきの時代があったのです。それが、あの太平洋戦争前から不仲になってしまいました(詳しくは当ブログ第二、三話読んでね)。そして、結果的には・・・太平洋戦争。

今を去ること約70年前(正確には、1940年~1945年)日本は米(アメリカ)、英(イギリス)、豪(オーストラリア)、中国、蘭(オランダ)などと戦争していました(太平洋戦争)。右矢印本当。詳しくは、ブログ第二話見てから、ネットで調べてネ。

そして、その最中の1942年2月末、日本海軍と、英・米・蘭の艦(軍艦)混成の連合軍艦隊との間にスラバヤ沖(いまのジャワ島)海戦(海上の戦い)が起きました。連合艦隊のうち重巡洋艦(巡洋艦:当時の主力艦の戦艦に次ぐ大きさの艦種で、中規模の大砲を積み、スピードが速い艦種)1隻を含む4隻が英国艦で連合軍艦隊の準主力でした。

詳しい経緯は主人の文章能力に問題があり、書ききれませんし、インターネットで優良なサイトで紹介されてますので、そちらを参照お願いします。

結果的には事、この海戦は日本海軍の一方的勝利に終わりました。

 そして、英国の巡洋艦(艦名:エグゼター)は撃沈(沈められること)され、エグゼターを護衛していた英国の駆逐艦(大型艦を護衛したり、潜水艦を狩る、非常に速度は速いが、小さな軍艦)、も程無く日本艦隊により撃沈されました(艦名:エンカウンター)。そして・・・・・。

このとき日本側艦隊の中に、駆逐艦「雷(“いかずち”と読みます」がいました。

艦長は「工藤俊作:当時海軍少佐」さん。当時41歳。身長185cmの大柄な方で、乗組員から、「オラが艦長」と尊敬され、慕われていた。ニックネームは大仏さん。柔道の猛者(もさ:強い人と言う意味)。

一方、駆逐艦「雷」は、基準排水量(船の大きさを表す単位、簡単に言えば重さ)1,680トン、全長118メートル、全幅10.3メートル、50,000馬力(ランエボ約180台分馬力)、速度38ノット(時速約70km)乗員約220名、武装12.7cm砲×6、61cm魚雷発射管×9他。


isoroku&tsuのブログ-駆逐艦「雷」
駆逐艦『雷』 ペインテッドby主人です。大苦労の末描きました。無断転載禁止ですっ。
だれも、アンタの絵を転載なんかしないよ・・・・と主人に言ってやりました。

でも、何で方眼紙に書いてあるんでしょうね・・・。主人曰く、不器用だから、平行の線書くときや、位置関係を決めやすいからだそうです。

で、これ重要な事なので、是非若い方に知っておいて欲しいそうなんですが、当時の軍艦と言うのは冷房等快適装備は一切なかったので、南方では発狂する方がいるほど過酷な環境でした(日中の艦内の温度は40℃とかあったらしい)。

また、人間が使用する水は、1日に洗面器1杯あればいいほうと言う状況。金曜日の海軍カレーとかも戦時中はなかった?だろうし、まして戦闘中ともなると「戦闘配食」といって、お握りと沢庵数切れと言う状況が何日も続いたり、もっと酷くなると、乾パンを齧りながらなんてのもザラ。


で、雷は海戦の翌日他の日本艦隊と合流のため、たった一艦で再び海戦の海域を通りかかりました。

 そのとき、見張員が叫びました。「(進行方向)左30度、距離8,000(メートル)、浮遊物(プカプカ浮んでいる物)多数」。工藤艦長は「戦闘用意」を下令(命令すること)。さらに浮遊物群に接近しました。再び見張りの声。

「浮遊物は敵将兵(士官、兵隊)らしき」「数400以上」


以下追記部分

それは、前日の海戦で撃沈された、英国艦の生き残り達が、命からがら海に飛び込み或いは投げ出され、漂っていたのでした。


 すると、工藤艦長は、敵潜水艦はいないか?」と確認の上、居ないと解ると、なんと、

「救助」を下令(命令すること)。続いて「取り舵いっぱい:左へ極限まで舵を切ること」として、海に浮ぶイギリス兵の救助に「雷」を向かわせたのでした。

漂流しているのは、昨日沈められた、英国軍艦2隻の生き残り将兵で、みな自分の(沈められた)艦から流れ出た燃料{重油:燃料の中では一番粘度が高く(ベタベタしている)、真っ黒な石油)}の為に真っ黒で、尚且つ24時間以上海面を漂っていて、中には負傷(怪我)しているものも多数いたそうです。

その中に、「雷」は速度を落としながら近づき、最後には停止しました。

これは「雷」にとって非常に危険な事です。駆逐艦は動いていれば、潜水艦を狩る立場ですが、止まっている場合は、潜水艦のいいカモなのです

それでも、艦が停止すると工藤艦長は改めて「救助」の命令を出し、自艦が所属する隊に「我、これより漂流する敵兵士多数を救助する」と電報を打ち、さらに救助旗りゅうを掲げ(万国共通の船の旗の一種で、我救助活動中。攻撃するなと言う意味未も含まれるが、戦争中ですから、何の意味も為さないことが殆ど)て救助の体制を整えます。

そしてさらに、艦長は「1番砲塔の係員以外、総員(要は乗組員全員で)救助活動」と命令を下したそうです。

こうして前代未聞(それまでなかった)、尚且つ恐らく空前絶後(これからも起こりえない)敵、味方の立場を超えた救助劇が始まったそうです。

艦の舷側(脇の部分:ほぼ垂直)から縄梯子が下ろされ、乗組員は英兵に対し上って来いと合図しますが、最初、英兵はみな助けられるより、野蛮な日本人に何されるか解らないと、恐怖心にかられていた様子だったそうです。

しかし、そのうち助けて貰えそうだと悟ると、先ず二隻の艦長、副長が救助され、その後、その他が一斉に縄梯子、竿に殺到して来たそうです。

これは非常に拙い(マズい)状況で、救助される側の共倒れのみならず、救助する方まで危険に晒される状況です。

すると今度は英国兵のなかの士官らしき人物が、なにか号令をかけると、負傷者から先に整然と救助をうける様になったそうです(流石、七つの海をまたに駆けた英国海軍兵士!)。

ところが、負傷していたり、丸1日以上、灼熱の太陽の下、重油の海を漂っていて体力の落ちた者は、縄梯子、ロープに掴(つかま)るのですが、そこで、気力と体力が尽き、沈んでいってしまう者が続出したそうです。

すると!今度は雷艦上の日本水兵が、日本語で「頑張れ!頑張れと」口々に声をかけたそうです。

そしてさらに、この状況を見るに見かねた日本の水兵の1人が、海へ飛び込み(いろいろな理由があり本当は命令違反を承知で)立ち泳ぎで救助を始める。続いて二人が・・・同様に。

そうこうして、「雷」はほぼ半日をかけ、遠くにまだ、漂流している者を一人でも見つけると、わざわざ艦を向けその一人を救助し・・・・、信じられない事に、最終的に、自艦の乗り組み人員の二倍近くの422名の敵兵を救助したそうです。昨日まで殺し合いをしていた敵兵をです(戦争は継続してますから昨日まで殺し合いと言うより救助中、その後も殺し合いの相手同士です)。

さて、皆さん、そうすると、駆逐艦「雷」の艦上は、どうなったでしょう。そもそも駆逐艦は長さこそ100メートル以上あるものの、スピード出すため細長く造られ(専門的には造波抵抗を少なくするため)幅は一番広い部分でも10メートルあるか、ないかです。しかも、そこに分不相応なほどデカイ機関(エンジン)を積んでいますから、艦内スペースは極めて限られた余裕しかありません。甲板上は(船の上側)はこれまたデカイ砲塔(大砲が積んである塔)×3と司令塔、煙突×2本、魚雷発射装置(これも回転する、巨大な箱)×3+エトセトラ、エトセトラで平たい所は殆どない船です。

其処に400人以上の人を載せた訳です。足の踏み場もない状態だったそうです。その艦内、艦上で、今度は救助された英国兵に、ミルク、ビール、ビスケットが配られました。これは勿論「雷」の乗員用のものです。

さらに、乾パンや水も配られ、重油で汚れた英兵の身体を日本兵がアルコール、ガソリン、貴重な真水で拭いてあげると言う信じられない光景まで出現したそうです。また、ありったけの予備の服、「雷」乗員の私物の服までが英兵に提供されたそうです(戦闘中あるいは漂流中に服を失った者が多かった)。

一段落すると、英兵の士官(偉い兵隊と言うよりも、命令する立場の人兼、兵隊の責任者のこと)達が前甲板(船の前の方)に集められ、工藤艦長が流暢(りゅうちょう:スラスラと澱みなく、洗練された)な英語でスピーチしたそうです。

「諸官は(正確には英国海軍士官達は)、勇敢に闘われた。今やあなたたちは日本海軍の名誉あるゲストである。

私は英国海軍を尊敬している・・・・・・」と。(訳文:草思社刊。「敵兵を救助せよ」著 恵 隆之助」より)(主人註:名誉あるは、“the guests”の「the」から来ている?)。 

こんな事主人には真似できません。

①いつ「雷」が敵の潜水艦から攻撃されて、自分が死ぬか、良くっても漂流する立場になるかも知れない。

②自艦の戦闘能力を失ってでも、敵兵を救助した工藤艦長の決断。

③乗組員が、自分たちが危険にさらされているのにも拘らず英国捕虜を誠意をもって遇したこと。

④救助活動中に自艦が沈められるような事になれば、工藤艦長は下手すりゃ軍法会議(軍事裁判)もの。

そして、この話には後日談があります。

いきなりですが主人の能力限界のため、本日はここまでです。続きここで(このページ)でやります。また見てね。

とにかく英国ともっと仲良くしよう!(主人が叫んでます)。

また脈絡無しの叫びですね。

主人註:「お前はそう言うけど、英国が(それまで、どこともむすばなかった)国同士の同盟関係を初めて外国と結んだのは日本とだよ(日英同盟)。しかも結んだ時期は、日本がチョンマゲ取れて暫らく後の明治後期だよ右矢印本当。しかも日の沈むことのないと呼ばれたあの英国が、東洋の当時の新興国の日本と。

※お詫び:この文章をアップした当初「明治初期」となっていました。お詫びして訂正します。


で、能力が少し回復したので、続きです。


救助された英国水兵は、捕虜として雷に乗ったままパンジェルマシン港へ入港。日本に抑留されていたオランダの病院船オプテンノート号に収容されました。

この救助劇で救助された人の中に、エンカウンター乗り組だった、サムエル・フォールと言う名の砲術(砲を撃つ任務が専門の)士官(当時中尉)がいました。

このかたは、戦後英国に戻り、外交官として活躍され、サー(卿)の称号を与えられるなどされた方です。


更に時は流れ、1998年に天皇、皇后両陛下が訪英前、英国では元日本の捕虜だった方々が、日本の捕虜に対する扱いが酷(ひど)かった事{→残念ながら本当)}に対して賠償を求めようと言う運動しており、英国世論の中にもこれに同調する風潮が少なからずあったそうです。

そんな時、サムエル・フォール卿、「いまなぜ、私は旧敵(日本の事)と和解しようとするのか」と言う趣旨の論文をタイムズ紙(日本の読売新聞か朝日新聞みたいなデカイ、クォリティーペーパー:スポーツ新聞や、夕刊紙でない一般新聞)に発表しました。(当初、ホワイトペーパーとなっていました。主人の記憶違いです。お詫びして訂正します。)

その内容は、勿論、自分が工藤艦長に助けられた上記の救出劇の事です。以降、英国での戦時賠償の気運はかなり急速に鳴りを潜めました。

※主人註:脳味噌皺無しツルツルの主人でもこの賠償問題と、その後の運動の終息については記憶があり、何で・・・・と思っていたそうです。

以上っ。

そういう訳でってどう言う訳かさっぱり解りませんが、主人は英国に行きたくって、「そん時は、お前:柴犬の五十六=私っ!も連れてってやる」と云ってますが、なんか見果ての夢って感じですね。


参考文献:草思社刊「敵兵を救助せよ」 著 恵隆之助

参考webサイト:フリー百科事典 ウィキペディア 「工藤俊作」「スラバヤ沖海戦」「吹雪型駆逐艦 雷」


そう、行った先は、工藤俊作さんと奥さんのお墓があるお寺。

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