※note転載記事です。あちらも私です。

貴方は誰かが誰かを責めている時にまず何が思い浮かびますか?

結論から先に言いますとほぼほとんどの人は人が人を責めているとき、まずその責苦にあいたくないと逃れようとする。

その人に責められたくないと逃れようとする。結果、理性が負けてその責めている彼に同調します。

しかしこれを聞いた人は思うはずです。人には正義を尊ぶ心があり、私は違うし、全員が全員じゃないと。そして自らの正義に照らし合わせ、誰かの手助けをする。本当に正義の手助けをしているなら貴方は最高にカッコイイと思う。

でも実はそこで大抵の人は自らの正義に忠実にと重んじるつもりでいながら実は確証バイアスが悪さをして別の事を考えています。

確証バイアスとは、人は常々、善悪判断や理性道徳利害論理を考えながらも自分が信じたいと思う事柄しか信じられないという有名なあれですね。

また結論からいいます。人が一番重んじているのは正義でも悪でもありません。

人間という種族は共生する動物です。数が多いほうが強く長生きで戦いに勝利すると先祖代々からそれとなく教え込まれてきました。

人が一番重んじるのはようは数、多数決ですねはい。

今の社会は色々な真実にあて布をかまして、できる限りどうしようもない事は考えないようにしようと、便器に出した物を流さずに蓋をする風習がついています。

あまり深く考えを暴きすぎると今の社会のいい思いをしている人たちの根底が覆ると恐怖を抱く人たちがちょろまかしています。

正義や道徳は真実をしっかりこじ開けて見据えた上で積み上げなければ意味がありません。

前口上が長くて失礼。

つまり人は責めている人を見つけるとその人がそもそも責めるべき事をしていて、責められている人が、そもそも悪さをしたのか、ある偉大な意志に自らの思考を委ねようとします。

これが多数派ですね。つまり世間。特に今の民主主義社会では多数派の力に衆人環視(例としてインターネット)が見事に機能していい塩梅で炎上裁判していますね。だから衆人環視が少ない時代は、多数決より権力がやや優勢でしたね。しかし、その権力の影にひっそりと息を殺して奴等が潜んでいました。

権力に代わり台頭し始めた数による暴力。

これが現代流イジメ百花繚乱です。ほぼ権力の頃と何が違うのでしょうか?

どこかの誰かの言葉を借りるなら、これからの時代は、まさに、自分の頭で考える時代。もっと言うなら、先人の知恵と、よき上澄みだけを掬いとって、真の理性で生きる時代。

自分だけが良ければいいという自分中心な考え方は、結果的にイジメライクな考え方に行き着き自らの首を絞め、

数に重んじ、集団を守るべく個を犠牲にすれば、我が無くなった集団心理という、存在自体が無意識のうちに病んでいく。(何気なく言いましたが実はこれが一番やばい)

何が言いたいかはもうつまるところ一つです。

前口上がながい。

理性で生きよ。頭を使え。貴方の目はいつもいつだって貴方の本当の正義を見つめている。