難しいと思わないで、是非読み進めてください! 私には、とても難しい内容ではありましたが・・・

 

 

第67回藤原賞藤原科学財団(理事長=加来正年・王子ホールディングス取締役)による学術賞。
財団は、旧王子製紙(現・王子ホールディングス、日本製紙)の発展に努め、製紙王と呼ばれた藤原銀次郎氏が、正力松太郎・読売新聞社主(当時)の協力で1959年に設立した。副賞は各2000万円で贈呈式は6月17日(銀次郎の誕生日、毎年の恒例)、東京都千代田区の学士会館で開催された。
第67回藤原賞常任選考委員▽広川信隆・東京大名誉教授(委員長)▽十倉好紀・東京大特別栄誉教授▽相田卓三・東京大卓越教授▽細野秀雄・東京科学大栄誉教授▽藤吉好則・東京科学大特任教授 

 

 

 

無限次元の対称性の数学的研究幾何・解析・代数学つなぐ理論小林俊行 東大教授

 

 

25歳での気づきから数学の「宝物」にあふれた新領域を開き、理論的基盤を築いた。

「無限次元表現の分岐則理論」「リーマン幾何学を超えた不連続群の大域幾何学」の2領域を核とする膨大な論文は幾何学・解析学・代数学の全分野に影響し、現代数学を先導する。

 

兵庫・灘高で15歳の頃、「人の模倣でなく根源的なものを創造したい」と考えた。東大1年から数学に傾倒し、過去の誰かが考えた難問を解くより、数学の新領域を開き自分で新しい問題を作ることを夢見た。

 

大学4年のゼミは解析学大島利雄教授と1対1。高名な数学者の専門書を「説明するだけでは先生に失礼」と考え、論理の一般化の試みや新規の発見を探して毎週発表した。和室に座りノートを週に何冊も書きつぶして、痛む足の甲にスポンジを当て計算した。

 

大学院1年の頃から大島教授の研究を無限次元化することを考え始めた。難解すぎて当時、世界でも手つかずの領域だった。25歳の時、海辺で思案して、6次元で不思議な現象の成立に気づく。

「ラジオの雑音のような混沌の世界に初めて澄んだ美しい音が聞こえた」。

 

そこから5年以上考えて「対称性の破れ」を軸にする発想の転換で理論化に成功し、その仕組みを第1論文は幾何、第2論文は解析、第3論文は代数を使って解明。3分野にまたがる理論を98年までに構築した。

 

その後の10年で、無重複が生じる仕組みも解明した。物理学が分子、原子、素粒子と物の最小単位を追究して新しい地平を開いたように、無限次元を最小単位に砕き、すべて異なる性質の重複がない砕け方にできると、新しい数学の領域が開ける。「無限次元も、二度と同じものが現れない一期一会が大切なんです」

 

 

 

 

 

さらに数学的に「木を見て森を見る」、一部分(局所)と全体(大域)の性質をつなぐ研究で、相対性理論が表した距離のない幾何の世界でも説明できる一般理論を構築。

 

その後も独創的な発想で数学を発展させ続けた。「ライバルがおらず、じっくり研究をすすめられましたね」。

 

小林理論は幾何・解析・代数のどの研究者も「新大陸の宝探し」に参加できる間口の広さがあり、ある海外の数学者は「新しい研究所を建て500人の数学者を雇う必要がある」と驚嘆したという。

 

一つの研究に着想から理論化、論文発表まで10年単位。複数の研究を並行させるので、「数年後に何を発表しているかもわかりません」。確かなことは「120歳、130歳になっても数学を研究したい」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

革新的イオニクス材料創成と全固体電池の実現液体に匹敵 高出力の電解質菅野了次氏 東京科学大特命教授

 

 

スマートフォンやパソコンなどに使われているリチウムイオン電池は、電流を流す役割を果たす電解質に可燃性の液体を使っている。「固体」は電池の材料には向かないと考えられてきたが、リチウムイオン電池に匹敵する固体の電解質を発見し、よりパワフルで安全性も向上した「全固体電池」実現に道筋をつけた。

 

電気自動車(EV)への搭載など、次世代電池の本命として期待されている。

 

「元々は物質の合成屋。どうすればイオンがよく動くか、新しいものを探すことが純粋に楽しかった」。大阪大大学院では無機材料の合成を研究していたが、三重大で電気化学の研究室の助手になったことがきっかけで、固体電解質の研究を始めた。

 

 

 

 

 

 

電池は正極と負極、電解質からなる。電解質は正極と負極の間で電気を帯びた状態の原子(イオン)を受け渡す役割を担っており、イオンの流れやすさを示す「伝導率」が高いほど電池のパワーも上がる。ただ、液体に比べて固体の電解質の中ではイオンは流れにくいことが欠点とされてきた。

 

数多くの物質を合成する中で、伝導率が高い硫黄系の結晶構造に着目。東京工業大の教授だった2011年、液体電解質に匹敵する伝導率を持つ、リチウム、ゲルマニウム、リン、硫黄からなる固体電解質(LGPS)を発表した。

 

さらに2016年には、物質を一部入れ替えて性能を改善。全固体電池が、既存のリチウムイオン電池の2倍以上の高出力を発揮できることや、100度以上からマイナス30度まで幅広い温度で使えることを、世界で初めて実証した。

 

こうした基礎研究をもとに、既に小型の全固体電池は実用化されている。大型のものもEVのバッテリーとして航続距離が延びることなどが期待されており、大手自動車メーカーによる数年後の実用化が視野に入る。

 

実現すれば電気自動車の普及が進み、脱炭素社会にも貢献できる技術となるが、製造工程などの課題は残る。

「企業と一緒に課題を解決し、より良い材料を探し続けたい。電池の性能がさらに向上すれば、ロボットや飛行機などこれまでにない新たな用途も広がっていくだろう」。

 

 

(2026・6・1 サイエンスReport  から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(人''▽`)ありがとう☆ございました

 

 

椿山荘にて

 

 

 

令和4年(2022年)10月、甥の娘の結婚式に招かれて、奈良に行きました。その折が、このお嬢さんとの初顔合わせの日だったのですよ。ご母堂さまとの旅行の際の写真等を送ってきてくれるようになったそんな可愛い孫のような年代の娘がこの度、結婚写真を送ってきてくれたのです。

 

 

 

 

 

 

今夏、孫娘(二番目)が挙式いたしますよ。おじいちゃんも天国から見守ってくれることでしょう。

 

 

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昨晩も脚が攣りました。時々攣るんです。目覚めて起き上がりしばらくすると治まります。

 

 

水分不足などによる電解質異常

発汗時に水分補給をおろそかにすると、水分不足や脱水気味になる。体内の電解質のバランスが崩れ、筋肉と神経の情報伝達がスムーズに行われなくなる。その影響で筋肉の収縮と弛緩のコントロールが乱れる。

 

 

血行不良

血液は、酸素やミネラルなどの栄養素を全身に運ぶ役割を担っている。血行不良になると、体内に十分な酸素や栄養素が行き届きにくくなり、筋肉の機能が低下しやすくなる。

 

 

体温の低下、冷え

体が冷えると筋肉や血管が収縮し、血行不良にもつながるため、誘発しやすくなる。

 

 

筋力低下

運動不足や加齢による筋力の衰えや柔軟性の低下。

 

 

筋肉疲労

激しい運動や長時間の立ち仕事などで筋肉を酷使すると、筋肉に乳酸が蓄積される。乳酸が筋肉の収縮のコントロールを妨げる。

 

 

 

脊柱管狭窄症で足が攣るのは私の場合)

神経の圧迫や血流障害によって筋肉が異常に収縮するため。

 

腰の神経が圧迫されることで、筋肉に異常な信号が送られ、けいれんを引き起こす。

 

神経の束である脊柱管が狭くなると周囲の血流も悪化し、筋肉に必要な栄養が届かなくなることも一因。

 

クローバー温める  クローバー水分とミネラル補給  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Rhine交流をしている友人との今朝のやり取りから

 

 

「天網恢恢 疎にして漏らさず」

(てんもうかいかいそにしてもらさず)

 

悪いことをすれば必ず天の裁きを受けるという意味の中国の古い諺

 

 

「お天道様(おてんとうさま)は見ている」

日本の諺で、誰も見ていないところでも悪いことはできない

 

 

 

 

 

 

 

 

(人''▽`)ありがとう☆ございました

 

 

 

 

  作家・皆川博子さん(96歳)長編「ジンタルス」刊行

 

 

19世紀ロシア帝国 不穏な状況と明日への光

 

幻想的で雄渾(ゆうこん)な物語を手がけてきた作家の皆川博子さん(96)が、長編小説『ジンタルス』(河出書房新社)を刊行した。19世紀ロシアの青年と、彼が執筆した作中作が響き合う意欲作。末尾に置いた<明日>という言葉に込めた思いとは。

 

長編の主役は”2人”。19世紀のロシアで、農奴として生を受けたミーシャは、絵の才能を認められ、大都市ペテルブルクで絵を学ぶことを許される。その文才で小説も出版されるが、ウクライナの<存在を許されておらぬ言語>で書かれた作品は酷評される。

 

もう一人は、ミーシャの小説「秘密法廷」の主人公・ジンタルス。琥珀という意味を持つ男は、13世紀のリヴォニア(現在のラトピアなど)でキリスト教徒に家族を虐殺され、復讐の思いを胸に様々な土地を巡る。二つの遍歴の物語が交互につづられ、その境遇が重なり合う。

 

 

皆川さんは、バルト海沿岸の「異教徒」を征服・支配したキリスト教の騎士修道会について、以前から興味を抱いていた。一方で、ロシアによる侵略を機に、ウクライナの詩人、タラス・シェフチェンコ(1814~61年)にも関心を持った。もとは農奴でありながら、文章と絵の才能を認められ、後に解放された。

 

 

どうやったらこの二つが自然に結びつくか」。19世紀の作家が13世紀を小説に描くというアイデアが生まれた。

 

「貴族の生活よりは、(圧政下で)押しつぶされた人々の暮らしの方が興味を持てる」と語る。伯爵家の農奴として絵を学ぶことになったミーシャは、図書室で寝泊まりしている謎の青年・ステンカと友情を育む。本と出会う瞬間の浮き立つような心情は、自らの太平洋戦争中の体験も投影されている。「縁故疎開だったので、ご飯は食べられた。でも、本屋もないし、雑誌もない。”飢餓”を感じた」。

ステンカらから様々なことを吸収して飛躍するミーシャだが、皮肉にもその才能によって運命を捻じ曲げられていく。

 

貴族の子弟の従者となったジンタルスも、家族の敵を討つために、様々な戦場を渡り歩き、その手を汚していく。ジンタルスが手に入れるのは、自らの名と同じ、赤い琥珀の指輪だ。

物が燃え崩れたりする、炎のイメージです。ジンタルスの色々な苦悩がこもっている」

 

<でも、いい言葉だな。明日。>。

400㌻超の長編は、ミーシャの静かな心情で締めくくられる。

 

ロシア帝国の不穏な状況が続くことが暗示され、単純なハッピーエンドではない。それでも、わずかな光が感じられる。

 

雑誌連載中の一昨年は体調を崩し、一時は食事が喉を通らなくなった。「ちっとも苦しくないけど、食べられないから動けない。これで終わるなら、楽だなと」。死を意識したが、編集者たちから励ましを受けたこともあり、幸いなことに体調は持ち直した。

「終戦後に世の中で語られることが百八十度変わって、ニヒルな気持ちになった。いつ死んだって構わないと思っていた」。そんな作家の心境に変化が生まれた。「自分ではどうしようもない、社会の大きな力で生を終えなくてはならないこともある。人生は良い事ばかりではない。でも、読み終えたときに少しでも明るい気持ちになる、希望を持った物語で終わりたい」。その思いがラストシーンに繋がった。

 

連載は毎回、原稿用紙で80枚ほどだったが、最終回は筆が乘り、170枚を書き上げて締めくくった。

 

96歳の作家は、暮らしている老人ホームに大量の資料を持ち込んで、執筆を続けている。

「部屋に本棚を三つしか置けないから、本の山を作らないように」とほほ笑んだ。尽きせぬ好奇心が、創作の背中を押す。

いま、書くことは生きることそのもの。「復活しちゃったから、その思いが強くなりました」

今秋からは、イタリアを舞台にした新作の雑誌連載をスタートさせる予定。

 

(2026・6・23 文化欄から)

 

 

 

 

 

 

上記は先ず、記載されたご年齢を見て感嘆し、転記しました。世の中には凄い方がいらっしゃるものですね!

 

 

 

昨日は月に1回の整体へ行ってまいりました

 

横浜の金沢文庫(京急・金沢文庫駅前)「自律神経に特化した整体治療」「身体のバランス・姿勢を整えるだけで不調を改善」たいち鍼灸治療院」(嶋田太一院長)

 

(私奴はバスに揺られながらゆるゆると出かけております)

 

「痛むところに触らず、骨格を解剖学的に正しい位置に修正。姿勢を整えることで、痛みの出ない身体を目指す」

「正しい姿勢に整えると浅い呼吸も改善され、血液や気の流れが良くなる。すると筋肉・神経もスムーズに働くようになる」

「結果、バランスが内側から整えられ、自然治癒力や免疫力が上る」

 

「週1回は近所の治療院へ行ってくださいよ」と仰います。私の場合はそうなのでしょうね。

 

自費ですから少しお高いですが、それだけの価値は十分あると実感し無駄銭ではないと感じ通院してるのですよ。

 

 

 

 

今日のブログの最後は、美しい花嫁&花婿の写真をお載せいたします。年齢の大きい差など気にせずに名前で呼び合う仲なんですよ。このおばあさんに、美しい写真を見せて下さり、幸せな気持ちになりました。皆様にもお裾分けさせてくださいませね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(人''▽`)ありがとう☆ございました

 

ヤマボウシ

 

 

昨日は、午前中晴れてましたから、隣接する公園に出てみました。

 

 

 

 

 

 

写真のために、一瞬ですが蛇口をひねって噴水状態に…

 

 

 

 

 

 

 

 

ユウゲショウ(夕化粧)・アカバナ科の多年草

 

 

昨晩もタップリと熟睡、今朝方は穏やかな夢を見た。大勢の家族一同が集まり、姿は見えないが和やかにゲームに興じてる様子。一人の娘が洗濯物を干しに行き2回目の洗濯機を回してる。テーブルにベランダに咲いたお花を「一輪挿し」に活けなきゃと思ってる。洗濯してる娘も早くみんなの座に行かせなきゃとも思ってる。ここで目覚めたのです。(∀`*ゞ)

 

 

 

 

  猪苗代町(福島県)

 

 

「そそり立つ磐梯のうしろを行く雲も、猪苗代まで拡がる稲田も明るく陽に輝いているが、夏のような逞しさはない」

 

渡辺淳一「遠き落日」(1979年)

 

 

 

晴れた日であれば、猪苗代湖に近い野口英世記念館から、磐梯山の雄大な姿を望むことができる。

世界的な細菌学者で、少し前までは千円札の「顔」だった野口英世(1876~1928年)は、この地の生まれ。幼い頃の手の火傷を乗り越え、猛勉強の末に研究者として名を残した。

記念館には生家や火傷を負った囲炉裏が保存され、上京する前に柱に彫った字も見学できる

 

<志を得ざれば再び此地を踏まず>

シカからの手紙や、英世のロボットなど、展示は見応え十分。Tシャツには「忍耐」の文字があった。キャラクター「ヒディ」も活躍中。

 

猪苗代尋常高等小学校まで、清作(後の英世)は往復三里(約12㌔)の道を通った。登校する視線の先には磐梯山があったーー

 

野口英世記念館の開館には、尋常高等小学校時代の恩師である小林栄(1860~1940年)らが貴重な遺品を収集して、力を尽くした。

 

 

 

 

田植えを終えたばかりの田に、英世が生涯忘れることのなかった磐梯山が映る

 

 

 

 

 

 

評伝小説の英世はひと味違う。友人や恩師に金の無心をしながら、懐が温まれば豪遊する。恋に破れることもある。一方で、知人が困ると、全力で支える。エネルギッシュで型破り。作家の筆は英世の光と影を容赦なく描き出す。

 

 

渡辺淳一はアフリカまで足を運び、8年がかりで小説を仕上げた。英世の<強烈な個性>にひかれたから。<彼を窮屈で居心地の悪い伝記のなかから、自由な一人の人間として羽搏(はばた)かせてやりたいと願うようになった>

 

菩提寺・長照寺には英世の墓碑。(記念館にほど近い場所)

 

JR翁島(おきなしま)駅の前には、1915年に英世が米国から凱旋帰国した際の写真を載せた看板がある。約800人が出迎えた。

 

記念館の森田鉄平学芸員は、県内外の学校で、出前授業をしている。

「単に頭のいい人ではなく、多面的で人間味のある人だから、生徒にも伝わる」

 

 

 

 

 

 

 

 

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会津藩の初代藩主で、将軍家を補佐した名君・保科正之(1611~72年)をまつってる 土津(はにつ)神社へ。

 

拝殿の手前には、正之の生い立ちや事績を彫った「土津霊神碑」がそびえ立つ。重さ30㌧という巨大な石碑は、約12㌔の距離を、7か月かけて運んだと伝えられている。

正之の墓がある奥之院まで玉石が敷かれた参道を歩く。

 

参道は季節にあわせてさりげない飾り付けが施されている。「春はタカトオコヒガンザクラ、冬は時が止まったような静寂。猪苗代は四季がはっきりしていて、その季節ならではのお参りができる。そのきっかけになれば」宮澤重嗣宮司(41)がコロナ禍の中で始めて試みた。

 

 

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英世は火傷を負った手の手術を受けた会陽医院に入門し、上京するまで医学を学んだ。

医院の建物は、今は2階が関連資料の展示室、1階は喫茶店となっている。

 

老舗の蔵元・末廣酒造。英世のかつての下宿先にもほど近い「嘉永蔵」は、酒蔵見学もできる。英世の恩師・小林栄の姉がこの蔵に嫁いだことで野口家とも交流があり、英世の母・シカも行商の際に立ち寄っていた。

 

遠き落日」の感想を聞いてみた。「読んで怒っていた人もいたけど、俺は逆に好きになった」「野口英世はきっと人たらしで、人間的に面白かったんでしょう。危ないと知りつつ、付き合い続けたくなるような……」と新城猪之吉会長(75)。

 

情熱的で常識にとらわれない偉人と、温かく見守る人々。地域の愛情の深さを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(2026・6・21 よみほっと 旅を旅して から)

 

 

 

 

 

 

 

 

  (人''▽`)ありがとう☆ございました

 

朝方5時40分頃 北東の朝日&空です。 遠方ですが、拡大しました。

 

梅雨の晴れ間 今朝は朝日が輝いてましたよ! 嬉しい月曜の朝ですね。

 

 

 

朝晩ライン交換をしてます友人がいるのですが、この方が凄い方なんですよ!

 

 

昭和57年(1982年) 毎日新聞社&全日本交通安全協会主催

 

”全国交通安全スローガン”で 

内閣総理大臣賞(日本一)受賞

(運転手(ドライバー)に向けたスローガン部門)

 

標語「時のゆとりが心のゆとり」

 

「フレーズが全国各地の道路掲示板や安全啓発ポスター、教習所の副読本、さらには職場の労働安全スローガンとして広く模範とされ定着していくことになった」(AI)

 

 

 

彼女が40歳、私は42歳の頃の話です

(私は普通の平凡な主婦でパートを始めてました)

 

 

「最優秀賞を受賞された後、この言葉は非常に有名になり、約40年もの間、全国の様々な場所で引用されてきました。その長い年月の間に、現代風の日常会話に馴染みやすい「時間」という言葉に周囲が勝手に言い換えて広めてしまった」

( AIから ⇧ ⇩ )

時のゆとりが心のゆとり」のリズムの美しさこそが日本一に選ばれたオリジナルです」

 

 

「あの頃は、あんなことばかりして楽しんでました。人生花盛りの頃でしたね。表彰式に行くと、男性ばかりの中の紅一点でした。あちらの温泉こちらの施設と私の作った標語で溢れてました」(短歌や俳句でも数多く賞を取られてるんですよ)

「今は古典文学好きのただの猫好きの婆さんです。誰も知りませんです。夫だけは褒めてくれました」

徳島県出身・千葉県在住 ;井上夫佐さん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  たてもの巡り一条恵観山荘(鎌倉市)京都の公家文化 雅な造形

 

 

 

 

 

古都・鎌倉を代表する観光地、鎌倉八幡宮から東に約1・5㌔、県道「鎌倉街道」沿いにたたずむのが、京都から移築された国重要文化財の「一条恵観山荘」。

江戸時代初期の公卿・一条恵観によって1646年頃に建てられた。

 

 

 

 

恵観は後陽成天皇の第9皇子。摂政と関白を2度ずつ務め、京都洛北の西加茂に山荘を構えた。その離れが「一条恵観山荘」。惠観自身の設計。叔父の八条宮智仁親王が基礎を築いた桂離宮や、兄の後水尾天皇が造営した修学院離宮と同年代の建物となる。

 

建物は、入り母屋造りの平屋建てで、面積は約100㎡。外観は田舎家風なつくりで、茅葺き、瓦葺き(こけら)葺きの3層に分かれる屋根が特徴。玄関を入ると、左手の杉戸の絵が目に入る。人形浄瑠璃の前身と言われる「人形回し」を描いたもので、寛永時代の芸能を伝える貴重な絵とされる。

 

建具には様々な工夫が施され、ふすま紙には雲母がちりばめられ、引き手「月」「の」の文字をかたどっている。天井網代組みしており、その棹縁(さおぶち)は曲がったり、二手に分かれたりした自然木をそのまま活用している。

 

主室「鎖の間」にはスギ、シイ、アカマツが柱などに用いられ、惠観の好んだ雑木林のさまを表している。

室内には下に長炉を構えた二重棚もあり、炉の暖気で棚に準備された食べ物を保温していたと考えられる。炉には暖気を建物全体に行き渡らせる暖房機能もあった。

 

山荘前の枯山水の庭も、置き石の配置やコケなど、京都にあった頃のものを再現した。

 

保存運動の結果、1959年に鎌倉に移築。当初は会員制の利用だったが、2017年から一般公開が始まった。

 

敷地の南側には滑川が流れ、庭には京都に多いアカマツやモミジが植栽されている。四阿(あずまや)などが置かれた庭を散策して四季の移ろいを楽しむ人も多い。紫陽花や紅葉の時期が人気だという。

 

(2026・6・20 たてもの巡り から)

 

 

 

 

 

     三養荘

 

 

 

 

 

 

  (人''▽`)ありがとう☆ございました

 

 

ご恵送下さいました逸品の一つ二つを少し遠い所へ転勤となる孫息子に持たせたいと思っておりますよ。

 

人様との出会いが人生を豊かにしてくれますね! 長年生かされてきた今、お会いしたい方も多々。願いが叶わないままに儚くはかなく)消えてしまう場合もありますが、贈り物の遣り取り他、つつがなくお付き合いをさせて戴ける関係性は大切にしたいものですね。飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート

 

 

 

「今週は毎日出かけたんですが、明日は家籠りします」➨「明日は動物園ですね!」

(∀`*ゞ)エヘヘ…なるほど~  人間も動物… 言葉のやり取りが楽しい先生です。

 

(金曜日のマッサージ院にての会話) 

 

昨土曜日は一日中室内にて過ごしましたよ。

 

 

昨晩は夜中、2~3回目覚めたものの、タ~ップリと熟睡できました。日課の「自己満足ブログ」も続いております。皆様の素敵なブログ訪問を疎か(おろそか)にしてますが、お許しいただきたいです。アクセス数もなにも関係ありません。(とはいうものの、多くいただけた日はやはり嬉しいですが!!飛び出すハート(*´艸`*))高望みしないで書くことで、そして賛同してくださるお方様の目に留めて戴けることで満足している拙い文面と写真でございます。

 

 

 

 

 

 

 

  関節リウマチ

 

 

山王メディカルセンター院長・国際医療福祉大学医学部教授;リウマチ専門医・針谷正祥氏に聞く(シリーズ7/7   から)

 

ふんわり風船ハートどのような病気か

体を守る免疫が、何らかの原因で関節とその周辺を攻撃することで生じる。炎症が起き、腫れや痛みが出るだけでなく、進行すると関節が破壊されて変形し、機能しなくなることもある。患者は約83万人とされ、女性に多い傾向がある。

(本来は自分の体を守ってくれる免疫が異常を起こし、関節の細胞や組織を攻撃して発症する。シリーズ1/7 から)

(60歳以上が全世代の約7割を占める。最も多いのは70~79歳。シリーズ2/7 から

 

なぜ免疫異常が起きるかは不明。家族に関節リウマチの人がいるとなりやすいと言われている。喫煙や歯周病も、発症率を上げるとされる。

 

 

ふんわり風船ハート症状の特徴は

朝起きてからしばらくの間、関節がこわばる感じが続く傾向がある。関節が腫れて大きくなる、周辺の皮膚がぶよぶよする、赤くなるなどの症状が特徴的。体全体のだるさを訴える人もいる。血液検査では「抗CCP抗体」「リウマトイド因子」「CRP」といった値を確認する。

 

 

ふんわり風船ハート治療で重要なことは何か

発症から1年以内は、関節の破壊が進みやすいことが知られている。早期から使うことで進行を抑える効果の高い薬が登場しているので、早期発見・早期治療が重要。

 

 

ふんわり風船ハートどんな薬で治療するのか

診断されたら、まずは「メトトレキサート」を使う。(基本の薬)この薬で、6~7割の患者は症状が軽減する。元々は抗がん剤で、肝臓、骨髄の機能低下、胃腸の不調や吐き気などの副作用に注意が必要。

 

3ヶ月使っても改善しない場合、免疫に関わる物質の作用を抑える生物学的製剤やJAK阻害薬を検討する。計14種類ある。どちらも薬の値段は高額だが、生物学的製剤には、安全性・有効性が同等で安価な「バイオシミラー」がある。いずれの薬も自分の免疫力を抑えるので、感染症への注意が必要。

 

 

ふんわり風船ハート手術はどのような人が受けるのか

関節は変形すると薬では元に戻らないので、必要に応じて手術をする。膝関節や股関節が壊れて歩けなくなり、人工関節に置き換えるようなケース。

大きな関節を手術する患者は減っていて手足の指を使いやすくする手術が多くなっている。

 

 

ふんわり風船ハート治療で考慮すべき点は

高齢者の割合が多くなっている。関節リウマチ以外の病気を患っていたリ、認知機能が低下したりしていることがあるので、治療薬を使う際はより注意が必要。

 

また、妊娠・出産を希望する人や、働きながら治療をする人など様々な患者がいる。症状を落ち着かせた状態を保つことが重要なので、医師とよく相談することが大切。

 

 

 

シリーズ 1/7 から

 

早期診断「普通の生活」可能

 

 

 

 

東京女子医大病院・専門外来;岡本祐子医師「適切な治療のためには、発症時期の見極めが大切」と強調する。

 

一女性

薬が効いていても、体調や天候次第で症状が出ることもある。薬の副作用で吐き気や頭痛に悩む日もある。

 

データベースを分析した相模原病院リウマチ科・松井利浩氏

「患者の就業率は、男女とも健常な人との差が縮小している」「患者が自身の状況を職場に伝えるかどうかは、考え方や置かれた環境で異なるが、企業にも知識を持ってもらいたい」

 

 

 

シリーズ 2/7  から

 

高齢世代の患者への対応

 

名古屋医療センター副院長・整形外科医; 小嶋俊久氏

「合併症や認知機能の低下なども治療に大きく影響する。それぞれの患者に合わせて個別の治療を組み立てていく必要がある」

「医師が患者の認知機能をはじめ、ちょっとした変化に気づくのは難しい。患者の家族、治療に関わる様々な職種の医療スタッフなどから情報を聞き、それぞれ連携して総合的に治療を進めていくことが重要」

 

 

 

シリーズ 3/7 から

 

「出産諦めない」薬を工夫

 

関節リウマチの症状が悪化していると、不妊症になる確率や、妊娠中の合併症や早産になるリスクが高くなる。出産後に症状が悪化する人も多い。それでも、妊娠中に使用できる治療薬が登場するなど、子どもを持つことを諦める病気ではなくなった。

 

一女性

本格的に不妊治療を始めるのと同時期に、関節リウマチが再燃。メトトレキサートと、炎症の原因物質の働きを抑えるTNF阻害薬「エタネルセプト」の注射を使って症状を落ち着かせた。

妊娠し、全ての治療薬をやめた。妊娠中期に、体に異変が起きた。体中が痛み、松葉杖を使わなければ歩けなくなった。関節リウマチ治療に詳しい(国立成育医療センターの)金子佳代子医師に診てもらうことになった。

メトトレキサートは胎児の骨格や臓器の形成に悪い影響を及ぼす恐れがあるため、授乳中を含め中止しなければならない。一方、TNF阻害薬のリスクは大きくなく、症状を抑えられるのに使えることが分かってきた。

 

「薬のリスクとメリット、お母さんの思いなどを考慮し、一緒に考えていく」

 

女性は量が少ないエタネルセプトを週に2本使うことにした。痛みはあっても日常生活が送れる程度に改善し、無事に出産した。

 

3か月で授乳をやめ、妊娠前に使っていた治療薬に戻した。「子どもの為にも、自分が体を大事にしなければ。家族の力を借りたり、使いやすいものを選んだりしながら、向き合っていきます」

 

 

 

シリーズ 4/7 から

 

リハビリで関節変形抑制

 

道後温泉病院では、医師や看護師が患者と話す中で得た情報を作業療法士理学療法士に伝えるだけでなく、リハビリで分かった患者の様子や装具の必要性を医師に伝えるなどしている。多職種のチームで患者に対応する。

 

「ここでは自分の体の調子や日常で困っていることを言いやすい。伝えると改善に繋がり、日常生活の助けになっている」

 

関節リウマチは効果的な治療薬によって、早期に診断されれば、関節の破壊変形を抑えられるようになった。更にはリハビリ進行を抑えるのに重要で、日本リウマチ学会の診療指針で推奨されている。

 

「関節が変形する予兆に気づいて対策をすることは重要で、将来の関節の機能をどれだけ残せるかを左右する」(作業療法士・リハビリテーション科長;佐藤信治さん)

 

ピリピリピリピリ同病院のように予防目的でリハビリができる医療機関は限られている。医療サービスへの対価となる診療報酬は、様々な職種の医療スタッフがチームで治療することを対象としておらず、多職種での取り組みは経済面で負担になるため。

 

変形性関節症などの整形外科手術、脳卒中や心臓病の後のリハビリも含め、関節リウマチ以外に幅広く対応することで経営を向上・安定させている道後温泉病院「ここは昔から関節リウマチを総合的に治療してきた病院。今後も患者の要望に応えられるよう、さらに努力していきたい」(院長;奥田恭章さん)

 

 

 

シリーズ 5/7 から

 

生活の質上げる手術増加

 

「足の指は毎日使う部位で安静にしておくことが難しいため、一番初めに悪くなり、生活にも直結する」(東大病院整形外科教授;田中栄氏)

 

田中さんによると、関節リウマチの手術には主に、

①壊れた関節を人工関節に置き換える(20年ほど前までは変形してから手術を受けた)

②関節の一部を削ったり形を変えたりする(近年は、効果的な治療薬などで症状を抑えられ)

③関節を固定する

④関節を覆う膜の腫れを取り除くーーーがある。

 

 

 

 

シリーズ 6/7 から 

 

医療参加 活発な患者会

 

ふんわり風船ハート全国組織「日本リウマチ友の会」は昨年、1960年の創立から65周年を迎えた。機関誌「流(ながれ)」の定期発行のほか、講演会や医療相談会の開催が主な活動。

 

昨年、高額療養費制度で患者の負担額引き上げが焦点となった際は、学会などと見直しを求める署名を1万4000人分集め、国に陳情した。

 

「患者会がなくても過ごせる環境になってきたなら患者にとっては良いこと。だが、まだ患者としてやるべきことは沢山ある」(現会長;門永登志栄さん(68))

 

 

ふんわり風船ハート一方、NPO法人「膠原病リウマチ血管炎サポートネットワーク(膠サポ)」は、研究者や患者が協働して医療に積極的に参加することを掲げ、2022年に発足した。

患者の実態調査や、海外の患者向け資料を日本の現場で生かす取り組みを行っている。

 

活動の一環で昨年、関節リウマチなどの患者を対象にしたトレーニング用動画を作成した。

イスに摑まりながら行うスクワットや、タオルを両手に持っての背筋運動など、針10本を「やさしい筋トレ」と題して公開している。

作成にあたっては、医師や看護師、患者ら様々な立場の会員が議論を重ねた。

 

「患者が『やってみよう』と思えるような動きを心がけた。患者と理学療法士の視点から意見を伝えた」(理学療法士;輿日登美さん(62))

 

患者に良い影響があるとわかれば、他の病気の予防や生活の質の向上につながる可能性がある。膠サポは動画の利用者にアンケート調査を行い、結果を米国の学会で報告した。

「患者の声を医療や研究現場に届けることは、結果として患者の幸せにつながる」(膠サポ代表理事・臨床心理士;大河内範子さん)

 

(讀賣新聞 医療ルネサンス から)

 

 

 

 

 

讀賣新聞 今日の編集手帳から

 

きょうは父の日。

 

<海光のまつただ中へ揚羽蝶>  水野雅子

 

風に羽を広げ、海原へ向かう蝶の姿は、変転の時代に挑んできた昭和世代と重なる。

 

 

 

 

(人''▽`)ありがとう☆ございました

 

 

 

昨日の薬局の投薬窓口は5か所ほどあり、その一か所には座椅子が置かれてます。他の場所は立ったままで投薬を受けますのにね。有難い高齢者対応の薬局です。

長年投薬を受けてますが、昨日は改めて丁寧に説明を受け、質問もさせて頂き安心対応できた薬剤師さんでした。副作用云々の説明は有難いですね。お水(白湯)と麦茶はしっかり飲み、血栓予防。コーヒー、日本茶等はカフェイン含有の為、血液サラサラになる飲み物ではないことを教えて戴きましたよ。

 

 

 

  手震える「本態性振戦」

 

震えが規則的な振戦。その原因となる疾患にはパーキンソン病、パーキンソン病類縁疾患、甲状腺機能亢進症などの内科的疾患のほか、小脳疾患機能性神経疾患など数多くある。

 

本態性振戦の本態性とは原因となる病気が見つからないという意味。

 

動いている時や姿勢を保持しようとしている時に震えるのが特徴で、震え以外の症状はほとんどない。

パーキンソン病では、手を動かそうとしていない安静時に震えるのが普通。本態性以外の振戦には他の症状もあり識別できる。

 

本態性振戦は悪化しにくい疾患だが、加齢により震えが大きくなることがある。しかし、疲労や緊張を避けるだけでも震えは改善することが多い。

 

 

治療薬

交感神経の働きを抑えるβ遮断薬が第一選択薬。抗てんかん薬が使われることもある。

これらは症状を軽減する薬剤。病気を治すわけではないため、一生飲み続けることが多いが、震えが気にならなくなれば中止することもある。

 

薬物治療で改善せず、震えが生活に支障をきたしている場合には、脳外科で原因部位を高温で壊したり、脳に電極を入れて刺激したりする手術が行われることがある。

 

(宇川義一 国立病院機構福島病院 脳神経内科臨床神経生理研究室長

 

 

 

 

  視力低下「黄斑円孔」

 

カメラのフィルムにあたる網膜の中心部にある「黄斑」は、視力を担う最も重要な部分。加齢とともに目の中の硝子体というゼリー状の透明な組織が網膜を引っ張ることで、黄斑に小さな穴(円孔)が開いてしまうのが黄斑円孔。

 

発症すると、物がゆがんで見えたり、視野の中心がすぼまって小さく見えたり、暗く欠けたりするのが特徴。50代から70代の女性に多く見られる。

 

穴は非常にまれにだが自然に閉鎖することもある。放置すれば、穴が徐々に広がり視力の回復が困難になる。早期発見と適切な時期の手術が治療の基本。

 

現在は局所麻酔による「硝子体手術」が一般的で、網膜表面の薄い膜を利用して穴に蓋をする術式などが進歩し、9割以上の確率で穴の閉鎖が可能になった。手術は縫わずに済むことが多く、術中に目の中へ気体を入れ、術後にその浮力で穴を閉じさせるため、数日間、顔を下に向けたうつ伏せ姿勢を保つ必要がある。

 

視力の回復度は発症からの期間や穴の大きさに左右されるが、適切な時期に手術を行えば、多くの方が実用的な視力を取り戻せる。繊細な操作を要する手術なので、経験豊富な専門医と相談し、最適な治療のタイミングを見極めることが大切。

 

(國方彦志 東北大学病院眼科特命教授

 

 

 

  MCI(軽度認知障害)

 

MCIとは、物忘れなどの変化が少しずつ現れ始めた段階を指す。日常生活はほぼ自立しており、仕事や家事、趣味も続けられていることが特徴。家族に指摘され初めて気づかされることもよくある。

認知症になるかどうかの分かれ道に立っている状態」

「治療で改善が期待できる時期を逃がしてしまわないよう」

 

近年開発された新しい薬はMCIの段階で治療する方がより効果が期待できることは分かっている。

 

特別な病気ではなく、誰にでも起こりうる、ごく身近な状態。自分の脳を守るための大切なサイン。

「最近忘れっぽいな」と感じたら「気のせいかな」で終わらせず、罹りつけ医や認知症の専門外来に相談する。

 

本人が感じやすい変化

以前より物忘れが増えたと感じる、同じことを何度も確認してしまう、人や物の名前がすっと出てこないことが増えたといった変化。これまで難なくこなしていた家事や仕事の段取りに時間がかかるようになったり、「あれ、何をしようとしていたのだろう」と立ち止まる場面が増える。年齢と共に多少の物忘れは誰にでも起こるが、その変化の仕方に目を向けることが大切。

 

変化はゆっくりと進むことが多い。「まだ大丈夫だろう」と思ってしまいがちの家族。しかし、新しい治療薬はまさにこの段階でこそ効果が期待できる。生活が保たれている今こそ、行動することが重要。

医師に相談すること自体が、未来の選択肢を広げる一歩になる。

 

早く気づけば、その後の人生を守れる可能性のある大切なサイン。「年のせいかな」と思ったその変化を、どうか見逃さないでください。

 

(山野嘉久 聖マリアンナ医科大学脳神経内科教授

折込新聞「はいから」から 2026・5・18&6・16

 

 

 

  汗と熱中症

 

自律神経は、私たちの意思と関係なく働くため実感できる機会はあまりない。発汗は自律神経の働きを自覚できる状況。

 

クローバー緊張により汗をかく原因はストレスで、「発汗恐怖症」とも呼ばれる。

クローバー内分泌系の病気を患っていると、身体全体から発汗するケースも見られる。

 

クローバー局所的な発汗自律神経が乱れているサインの可能性がある。放置すると自律神経失調症の症状を招くことがあるので「たかが汗」で済ませてはいけない。

①生活に支障を来すほどの汗=早めに医師に診てもらう。

①多少気になる程度の汗=規則正しい生活習慣を心掛け自律神経を整える。

 

 

熱中症

 

体力の有無だけでなく、自律神経のバランスが乱れて発汗や体温調節が上手くいかず、体内に熱がこもることが原因。

 

高齢者は暑さに対する感覚が鈍るほか、汗をかきにくくなる。喉の渇きも気づきにくいため、定期的に水分を補給しよう。

 

良い睡眠」深く眠ることで自立神経が整い、体温調整力が高まる。夜遅くまでの飲酒や暴飲暴食はNG。

 

(小林弘幸先生の健康講座 順天堂大学医学部特任教授

 

(2026・6・16 「はいから」から)

 

 

 

 

 

 

整形外科受診前、医院前で開院を待つ列が並びます。自然に後ろのおばあさまからお話が出て、別のお方と3人で、5、6分の会話・・・「101歳のハハと同居してます。毎日お肉を食べてます」・・・良いお話をうかがいました、お肉食べなきゃ!と心の中で思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(人''▽`)ありがとう☆ございました

管理人さんに、よくお会いするのですが、「認知症ケア指導管理士」「認知症予防専門士」「認知症ケア専門士」のいずれかをお持ちです。お会いしますとお声をおかけ下さいます。

 

今週はほどんど出かける週でした。

 

火曜=コーラス&マッサージ

水曜=耳鼻科・補聴器外来

木曜=体操&歯科(歯科は今回で終了)

金曜=マッサージ&整形外科(本日です)

 

 

 

 

ケアプラザにて

 

 

 

 

  千葉県茂原市服部農園あじさい屋敷

 

 

千代子さん&雅子さんご姉妹で行ってこられたんですって。仲良し姉妹です! 千代子さんからお送りくださいました。私一人ではもったいないので、此処に挙げました。小雨が降る中での紫陽花は一段と生き生きしてたそうですよ。「紫陽花と雨」は似合いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茂原あじさい屋敷では江戸時代後期の「長屋門」が鑑賞の玄関口

 

 

長屋門でのツバメの子ども達

 

 

 

 

  今日は新聞記事からの転載はお休みします。

 

  みな様どうぞ良き一日をお過ごしくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

  (人''▽`)ありがとう☆ございました

 

 

 

 

お昼、 沼津のお寿司をいただきすぎました。夕飯、三島の鰻は少し孫達に手伝ってもらいました。(静岡行きの余韻を未だ引きずって…飛び出すハート飛び出すハート

 

 

 

 

  赤穂市(兵庫県)

 

 

塩浜は田の如くにして、四面に溝あり。(略)赤穂塩日本第一也。

司馬江漢「江漢西遊日記」(1815年)

 

 

江戸後期の天明8年(1788年)旧暦4月、画家の司馬江漢は江戸から長崎へ旅立った。歩みは遅く、ようやく9月に姫路を経て赤穂城下に入ると、知人の医者宅に1週間滞在した。

 

赤穂といえば当時も今も忠臣蔵。鎖国下に洋風画を描くほどの好奇心の持ち主(江漢)は、大石内蔵助邸跡の長屋門に家紋入りの瓦が残るのをめざとく認め、広大な塩田を見物して<赤穂塩日本第一也>と讃えた。

 

塩田跡の公園にある赤穂市立海洋科学館・塩の国には、時代順に揚浜式、入浜式、流浜式の塩田が再現されている。

 

 

 

 

塩田は城を挟んで西浜・東浜に分かれていた。司馬江漢が訪れた東浜に入浜式塩田などが再現されている。

 

 

 

塩分を濃くした海水を平釜で煮詰める「釜焚き」での作業小屋に立ち込める湯気に、往時の重労働を思う。

 

赤穂市立歴史博物館には、塩を運んだ塩廻船の模型がある。

見渡す限りの塩田に流下式の茶色い枝条架(しじょうか/円分濃度を濃縮させる装置)が並ぶ。 帰る頃の夕日に照らされる光景・・・小学校行事で来る生徒たちの実体験は生きた技術や知恵を伝承する一端を担う。(今は工場生産)

 

赤穂は雨が少なく日照時間が長い。潮の干満差も大きく、塩作りに適していた。

江戸向けにニガリの多い差塩(さししお)、上方向けに薄味の真塩を作り分けていた。

 

浅野内匠頭がモデルの塩冶(えんや)判官(『仮名手本忠臣蔵』に登場する悲劇の主人公)は赤穂の塩にかけた名前。

 

 

 

 

坂越にある妙見寺観音堂からの眺め。眼下の坂越湾に浮かぶ生島(いきしま)は大避神社の神域で、原始林が国の天然記念物に指定されている

 

 

 

 

 

 

 

江漢は塩田から海を望む御崎に回ると、古い神社に参り、波の荒い海岸と瀬戸の島々を眺めた。さらに舟に乗って海岸伝いに東の坂越へ足を延ばしている。

 

坂越は北前船の寄港地として繁栄し、塩もここから積み出された。江漢は山すそに商家が軒を並べる景色を気に入り、<山に観音堂あり。ランカン(欄干)により海を望む。詩など作りて帰りぬ>と満ち足りた思いを記している。

 

 

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赤穂の城下町の街割りは、江戸時代初期の400年前からほぼ同じらしい。「変わらない理由は上水道にある」

海だった一帯は井戸水も塩分を含み、侍から町民まで各戸に水が引かれた。水道管を道の下に通したため、町の構造を変えられなかったという。

 

赤穂浅野家の初代、長直が築いた赤穂城にも上水道の水を引く大名庭園があった。発掘調査を基に復元が進むが、「本丸、二之丸、三之丸のほぼ全体が今も残る城は珍しい」

 

浅野家の後に入封(その領地に入って支配を始める歴史用語)した森家は石高が大幅に減り、飢饉などもあって、増改築をする余裕がないまま当初の城が維持される結果に。(赤穂市教育委員会・荒木幸治文化財課長・調査報告書「赤穂城攻略本」)

 

 

2016年には産業技術総合研究所の調査結果で、赤穂市が約8300万年前の巨大噴火で出来たカルデラの中にあることが判明。

 

赤穂義士・(はざま)喜兵衛の邸宅跡には、明治中期に建てられ、赤穂市の市街地景観重要建築物に指定された濱尾(はまお)家住宅がある。その蔵を活用した「MOMOCAFE」は天井が高い空間が心地よい。

東京の大学で空間デザインを学んだ濱尾萌夏さん(31)が4年前にオープン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2026・6・14 よみほっと 旅を旅して  から)

 

 

 

 

 

 

赤穂市坂越に友人が住んでます。子ども達が幼少の頃、泊めていただきました。お酒で湯がいたという山のようなシャコのなんと美味だったことか飛び出すハート飛び出すハート・・・後年、我が家にも泊って頂きました。  そうだ!  電話してみなきゃ!! (∀`*ゞ)

 

 

 

 

 

 

 

 

  (人''▽`)ありがとう☆ございました

 

伊豆の国市・三養荘:「流れ(遣水(やりみず)」とビヨウヤナギ(未央柳)

 

 

 

 

三養荘には何度か連れていって貰ったのですが、今回も楽しく過ごすことができ、これからの生活にも思い出として潤いをもたらせてくれそうです。私的な諸々は全家族達と裏表のない家族模様を共有し合っておりますよ。

 

 

昨日はコーラスの日でした。92歳のお仲間が、首の後ろ辺りが痛くて起き上がるのにも一苦労しながら必死の思いで来場なさいました。3月に引き続き2回目の症状とのこと。帰り際、ハグをされながらお話をしました。百歳まで生きてくださいと励ました次第です。

 

 

私の首から肩にかけての痛みは、旅行前1回の施術で治して頂き、旅行中も痛まずに快適に過ごすことができました。昨日、コーラス&お茶飲みの次に行った施術所で、先生に感謝の言葉を申し上げたのですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  裏磐梯

 

 

 

 

 

 


 

 

 

磐梯山(標高1816㍍)北側の裏磐梯には、五色沼湖沼群(福島県北塩原村)と呼ばれる多くの美しい沼が点在し、絶好のハイキングコースが整備されている。

 

JR猪苗代駅から路線バスで約30分、「五色沼入り口」で下車。裏磐梯ビジターセンターがあり、建物の脇から「五色沼自然探勝路」が延びている。

 

約500㍍行くと、湖沼郡で最も大きな「毘沙門沼」に着く。レストランや展望台もあり、手漕ぎボートも楽しめる。

 

遊歩道を1㌔余り進むと、小さな「みどろ沼」が見えてくる。手前の東側が黄緑色、奥の西側は深緑色

 

約600㍍先に、広くて優雅な「弁天沼」。さらに500㍍ほど進むと「青沼」に着く。水面には幾重もの青いグラデーションが作り出され、そこに空や樹木が映り神秘的。

 

さらに500㍍ほどで、落ち着いた雰囲気の「柳沼」が見えてくる。この先の裏磐梯物産館がゴール。遊歩中は高い樹木で見えないが、ゴール付近からは磐梯山を望むことができる。

 

様々な「青」の美しさを堪能できる五色沼は、様々な色彩を持つ湖沼の総称。色が異なる要因は、天候や季節、見る角度、水中に含まれる火山性物質などによる。

 

1888年(明治21年)、磐梯山が水蒸気爆発を起こし、「小磐梯」と呼ばれていた山頂の北側付近が崩壊し、岩雪崩が川をせき止め、数百もの湖沼ができた。

 

(2026・6・14 からだ おでかけエクササイズ から)

 

 

 

 

 

 

今日午前中はヘルパーさんと排水管清掃業者さん来訪。午後からは耳鼻科にて二度目の聴力検査と、補聴器に関する手配諸々に行ってまいります。梅雨の晴れ間でのお出かけとなりますよ。朝日がまばゆく差し込んできました。

 

 

朝日に映えてひょろひょろアガパンサスも健気に見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モンステラの影を撮りたくて…

 

 

 

 

読者さまの記事を読ませていただいてる時に、ふと夫のことを思い出しました。寝床に伏せ医師の訪問を受けるようになる前のお話です。病院へは介護タクシーさんのお世話になり、付き添って行く日々。ある女医さんが帰り際に、つと立ち上り「○○さん、どうぞお健やかにお過ごしを・・・」とご丁寧なご挨拶をして下さったのです。このような医師がいて下さる日本の医療業界は健全ですね! 心から感謝申し上げ退室したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

(人''▽`)ありがとう☆ございました