やっと長い1日が
暮れていきそうだったけど
あなたへの想い ふいにのしかかってくる
急に息が苦しくなり
あわてて眼を閉じてみれば
薄紫色 あなたとの宇宙が見えた

(salyu「Dramatic Irony」)


明日から大学が始まります。
タイトルの桜幻想っていうのは(田村由美「BASARA」)からの引用です。


春休みが終わります。


これからは1日がきっと長くなります。


そんだけ。


春休みの終わりに。

柱時計はもう鳴らないね

そっと目配せ交わして

階段きしませながら

屋根裏のあの部屋へ

天窓にあの日も見てた月の光


息をひそめて開けてよ

鍵の壊れたトランク


君と二人で隠した

夢が眠っているはず

褪せた地図を

指でなぞって

(遊佐未森「星屑の停留所(プラッツ)」)


(本日は実家より、感傷にひたりながらお送りします。)


実家に帰省しました。昨日、東京から帰ってきました。

最近完成した速い電車に乗って、終点まで来て、それでもまだおうちまでは車で30分くらいかかる距離で。

ただ、この駅は高校にとても近いので、高校の友人sに再会して、ボウリング→おしゃべりして。

日付が変わろうかという頃おうちに帰って(お迎えに来てもらいました)。

やっと実家に着こうかという頃、中学校の友人から飲み会しようぜのお誘いが。

昨夜の家の滞在時間は20分くらいで、その友人宅に泊まりに行って。解散し。

そうして今、ようやくおうちに帰ってきて自分の部屋にいます。


いつもは家に誰かいるんです。


でも今日は家に一人きり。実家に帰ってきて、誰もいないのは不思議。


自分の部屋で、なつかしのCDをかけて。


子守唄のリフレイン (遊佐未森「ひまわり[naprafogo]」)


このCDは、受験時代に勉強しながら、休憩しながら、考え事しながら考えながら、ずーっと聞いてた歌なんです。

たいていは、帰省してもやる事無くて、友人に会いに行って、適当に家でごろごろして、親には顔見せましたよ、って、レトルト食品とかもらって、東京に戻る。


でも今日は家にひとり。

久しぶりのCDと、昔に読んだ小説をぱらぱらめくると、なんだか高校時代とか思い出します。


大学にいって大人になったなと思います。

無駄に大きな夢を見なくなりました。現実的になりました。思考も嗜好も変わりました。

当時読んだときには、あんなに感動した小説が、大した事の無いものに思えました。

それでも、その本をめくると、昔はこういうことに感動できたんだなって感動します。

 ―決して高尚な小説ではありませんでしたが、タカンな時期に大きなインショウとインスピレーションとをくれました。僕のシコウは永久にその影響を免れないでしょう。


ふー。ちょっと休憩。


でも、あとはあんまり長くなくて。


昔のものに触れて、昔の感覚を思い出して、こういうのを心が洗われるっていうんでしょうか。

~風向きが変わる前に

不思議な感じ。

~走ればまだ間に合う

気分のいい感じ。

~胸の中しまいこんだ

昔の自分に会った。

~想いを君のもとへ

彼と二人で、あの頃に眠らせてしまった夢に触れて。

~(遊佐未森「風の吹く丘」)


風の強い午後。少し寒い自分の部屋。懐かしいもの。感傷的な私。


(今日は番外編をお送りしました。なお、この記事中の引用は全て遊佐未森「空耳の丘」より)

昔、テレビで見た実験である。


白い平らな板に、ランダムに釘が打ち付けてある。

板を斜めにして、上からビー玉をそっと転がす。ビー玉は重力に従って、釘にはじかれながら転がり落ちる。

その様子を板の正面(垂直な方向)から撮影する。

映像を処理して、釘を消し、ビー玉を赤い点で表示する。

こうすると、ビー玉の動きを白い平面上に赤い点でトレースした映像が出来上がる。

この映像を「アリの動き」をトレースしたものだ、といってA・Bの2つのグループに見せる。

グループAには、完成した映像をそのまま見せる。

グループBには、完成した映像を逆再生してみせる。

グループAの人々の反応:アリには見えない。無生物のように感じる。

グループBの人々の反応:アリだと思って、特に疑問を持たない。


我々は有機物らしいだとか、生き物っぽいとかいうものの見方をする。

しかし、その実はこんなものであるようだ。


通常再生では、重力に翻弄されているように動く点が見える。

徐々に加速していって、釘のところでぶつかって失速しては、また徐々に加速する。

ところが、逆再生では釘のところで方向転換後の急激な加速が見て取れる。

これが生き物のように見える理由なのだそうだ。


ここで重要なのは、我々が生物的だと感じるためにはこんなもので十分らしい、ということである。

何かといえば、時間は逆再生されているが、重力だけで生物的なイメージを想起させることができる。


さて、本題に入ろう。


私は常々、分子が衝突をランダムに繰り返している世界から、生物が発生するという課程がどうにもイメージできずにいた。

分子のランダムな衝突から生物に必要な物質がそろっていく課程は、確率は低いにせよ理解できる。

一度発生した生物が、ランダムな進化を経て多様で複雑な生物に変化していくことも理解できる。

しかし、どうしてもこの2つの課程は断絶している気がしてならない。

無機質な物質と有機体としての生命は別物だろう、と。


しかし、ですね。最近はこの2つのイメージがある程度つながるようになってきたのです。


上記の実験でも分かるように、粒子に簡単な力をかけるだけである程度生物的に粒子は動く。或いはそのように見える。

また、細胞内の分子がDNAを複写するときのシミュレーション画像を見た。

DNAに様々な酵素(タンパク質)やリボソームがくっついて、くにゃくにゃ動きながらDNAを転写する様子は不思議なほどに生物的に見えた。


坂を転がるビー玉のような粒子(分子や原子)を思い浮かべて、そんなものの集合でかくも生物的な生物ができるものかと首をかしげてしまう。


しかし、発想を逆転させてみることができるのではないでしょうか。


粒子そのものが、なかなか生物的な動きを見せてくれるのだ。そんな粒子の集合体ならばかくも生物的な生物ができるのではないでしょうか。

名前バトン

via (hour 「My hour」


このブログを見ている、同サークルの某氏から渡されました。

「友人の日記にあったので、答えたくなった」のだそうです。


◆貴方のLN又はHNは何ですか?

LN?(Login Name?)

isle (最近、「イニシャル・ナイト」というのも思いついた。使おうか考え中)


◆LN又はHNの由来は何ですか?

Isleの和訳で友人sに呼ばれています。小文字が好きなのでisle。


◆差し支えなければ本名もお願いします。

「[1][2][3]゛[4] [5][6]゛[7][8]」

8文字です。[ ]は濁点を含まないひらがな。


◆本名の由来は何ですか?

神官(というのかな?)に占いで決めてもらいました。


◆過去に使っていたLN又はHNを教えてください。

ちゃんと決めて使っているのはisleが初めてなものでして。


◆過去に付けられたあだ名を教えてください。

(本名のところを参照)

「[3][4]」 「[3][4]さん」 「[1][2][3]゛」 「[1][2][3]゛くん」 短期的には他にもいろいろ。


◆今までこの名前可愛いと思った名前はありますか?

MINAMO

(漫画家です。かつて購読していた雑誌に短編が3回だけ載りました。今はどうしているのでしょう?他の雑誌で連載を持っているとか、単行本が発売されたとかは聞きません。男か女かも分かりません。)


◆1番大切な恋人になんて呼ばれたいですか?

悩みどころだね。

下の名前で「[5][6]゛[7][8]くん」と呼ばれたいかな。「[3][4]くん」もいいかも。


◆LN又はHNと本名どちらが好きですか?

本名は好きです。ただ、3音が良かったなと思うことが時々ある。

現実では本名が良いと思うし、こういう世界ではisleが好き。

名前は、自分を規定するから、自分がどんな世界に存在するかによって変わる。


◆次にバトンを回す5人をどうぞ。

>[SRAY] [すいか] [S師] [ECS] [ジャッカル草壁](ただし、実際は3名)

「努力する」か「諦めるか」

どっちかしかないよ

人間に選べる道なんて

いつだってたいていこの2つしかないんだよ


このときひとつ嘘をついた

3つあったんだ選択肢はほんとうは

2つしかないと信じていた方が道はひらけるから

3つめの答えを僕は口にしない

(花本修二「ハチミツとクローバー」)


ゆるめの出典からの引用が出ましたね。でも、良い言葉だと思うのですよ。


かくして少女漫画は教養となった」とは誰の言葉でしたでしょうか。(上野千鶴子だったかな?うーん「ベルサイユのバラ」にまつわるくだりだった気がするのだが)


さて、3つめの答えは何でしょうね。当然それを考えてみたくなるわけです。そこら辺が私らしいでしょう。しかし、ですね。3つめの答えを(私なりに)見つけてみると、3つめを知ることは非常に有意義なのではないか、2つしかないと盲信できるのでなければ、3つめを知ってしまった方が良いのではないか、と思うにいたり、記事にすることとなりました。


まずは上の言葉を読み返して見ましょう。

場面としては、失恋した女の子に花本先生がかけてやった言葉です。

・努力するか、諦めるか、の他にもうひとつ答えがある。

・非生産的な対応である。

ヒントはこの2つでしょうか。


この2つに合致する3つめの答えは、恐らくこれなのではと思います。


「すがり続ける」


決して現状を批判することもなく、それを捨てるのでもなく、ただだらだらと流され続けること。

このままでもやがてはうまくいく、と態度を変えずに、現状こそ最善であると今ある世界の中に閉じこもること。

今に違和感を抱きながら、しかし、良い面ばかりを集めた幻想にすがり続けること。


僕の仕事について少し語ろう。(私が「仕事」という言葉遣いをする対象は、今はひとつしかない)

社会は様々な制度・関係性によって、多くのことががんじがらめになっている。その中で、ひとつひとつ地道な選択を重ねている。とり得る最善を、と。

変えたいと思う。違和感は感じる。矛盾していると思う。

それでも、多くはすでに決定されていて、経路依存的で避けられず、そして何より変革には多大な力がいる。それは権力であったり、反発に抵抗するための実力だったりする。

「とり得る最善」は、いつも次善だ。

果たしてこれは、「努力する」ことになるのだろうか。それとも「すがり続ける」ことのひとつの形でしかないのだろうか。


ところで、私達の仕事は社会に対して違和感を表明することである。

社会に対して、如何に「努力」すべきかを訴えることである。

しかし、ここで興味深いのは96年の「千年王国」である。

ここでの回答は、「どこまでも流れに寄り添って支えていきましょう」ということであった。

このような観点からも、非常に面白い構造を見て取る。

帰納法はいかにして、正当化されうるか。


「明日、太陽が東から昇る」とどうしていえるのか。

根拠といえば、今までそうだったから。という以上の答えはおそらくない。

帰納は時間と空間を越えられない。物理学の法則が明日も成り立つ保証はないし、遠くの星においても我々が知っているような原理と等しい原理が成り立つかの保証もない。


そこで実証主義という考え方が出てくる。

実証主義の理論:「ある命題の確認例が増加すると、その命題はより確からしくなる」


なるほど、例えば「全てのカラスは黒い」という命題について、「これはカラスだ。色は黒い。」とひとつ確かめると、最初の命題はその分だけ確からしくなる、といえそうだ。

そして「これはカラスだ。でも色は白い。」と反証されたらその命題は棄却。

この実証という立場はそれほど問題がないように思われる。しかし、最初に提起したように、帰納法は時間と空間を越えられない。故に、次の斉一性の原理を認めなければその有効性を失う。


斉一性の原理:「特別な事情の変更がなければ、ものごとはそのままに進んでいく」

しかし、ここに実証主義の限界があります。この斉一性の原理は、実証不可能なのです。

このため、反証主義が・・・


と、科学哲学の授業で習いました。


しかし、私はここに実証主義の再興を宣言する!!!


確かに、斉一性の原理を観察或いは実証する方法はないように思えますが。

私は斉一性の原理は時々刻々実証・観察されている、と考えます。

例えば、さっきこの法則は成り立っていた、そして今も成り立っている、と。「さっき」と「今」が1日・1時間・或いは1秒よりももっと小さな時間でも良い、それが少しでも違えばより確からしいと観察できているといえるはずです。この態度によって斉一性の原理は実証されます。


おそらく、ここで問題になるのは、特別な事情の変更があったorなかったが実証できない、という点でしょう。

しかし、そこで人間原理(1つ下の記事を参照)を適用します。


我々の観察には人間原理的な制約がつくのです。これを逆手に取ります。

つまり、我々が観察できるものは、我々が存在できる条件下になくてはならないのです。逆に言えば、我々が観察している限り、我々の存在を許す条件が保たれている、と言えるのです。

もし物理法則にほんの少しでも変更があれば、おそらく我々は存在できないでしょう。そのために、我々と言う観測者が存在していること事態が、特別な変更はなかったと証明しているのです。

我々が存在しているのに、ある命題が成り立たないとすれば、特別な変更があった、といえるのです。


もちろん、他にも実証主義だけで科学を正当化することはできないのは分かっています。

例えば、「量子力学」や「光量子仮説」などは仮説演繹法なので、実証主義だけが科学と認めるとおそらくこれら有益なものまで棄却することとなるでしょう。ちなみに仮説演繹法とは、こうなっているはずと仮定して、そこから推論される結果だけが確認できる場合。例で言うと、光は波であり粒子であると仮定すると、今日の実験で示されているようないろいろが説明できる。決して、光が波であり、粒子であることを実証できるわけではないのです。

「人間原理」

ブランドン・カーター(宇宙物理学者・1974年)


非常に面白い概念なので、紹介しておきます。この後の記事でも出てくる予定ですので飲み込んでおいてください。

「人間原理」は内容の解釈の程度によって、およそ3つに分けられます。

(説明は「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」スティーヴン・ウェッブ著より引用)


「弱い人間原理(Weak Anthropic Principal)」

・・・我々が観測できるものは、観測者としての我々の存在に必要な条件によって制約されてしまう。

ある宇宙を観測しているならば、その宇宙には観測者が存在できなくてはならない。

ほとんどトートロジー(同語反復)です。ゆえにほぼ間違いなく正しい。

「観測者としての我々の存在に必要な条件」というのは「物理法則」や「環境」と言い換えることができるかも知れません。

つまり、例えば物理定数がこの宇宙と少しでも違ったり、物理法則が違った宇宙などを想定することはできますが、そういう宇宙を我々が観測することはできません。(おそらく、ほんの少し状況が違っただけで我々は存在できないでしょう。また、仮に存在したとしてもそれはまさにこの宇宙にいる我々とは違ったものであるといえます。)そしてまた逆に、我々に観測できるのはこの我々が存在できるような宇宙でなくてはならない。ということです。


「強い人間原理(Strong Anthropic Principal)」

・・・宇宙はある段階で内部に観測者ができるのを認めるようなものでなければならない。

「決定版人間原理(Final Anthropic Principal)」

・・・知的情報処理は、宇宙に生まれなければならず、それは滅びない。

宇宙にはそのどこかで必ず観測者たるものが存在できるはずだ、という議論です。これらは、批判も多く問題も多い議論です。

(この先は私の直感ですが)これを擁護するとすれば、次のようなものになるでしょう。

さて、誰も月を観ていないとき、果たして月は存在しているでしょうか?或いは、こんな話を聞いたことはありませんか。宇宙から物質が消滅すると時間や空間という概念が同時に消滅するとか。

つまりですね、概念や実態というものは観測者がいて初めて存在するという議論です。これによって、ある宇宙が存在するならば、すなわち観測者が同時にそこにいるということになるわけです。


単に「人間原理」という場合には一般に「弱い人間原理」を指します。

(これは、先日の基礎実験中に提示されたものです。これのお蔭で実験が楽しかった。)


生物が繁殖する方法には、2種類あります。

ひとつは単為生殖です。アメーバが細胞分裂して増えるやつです。雌雄の区別なく単体で生殖が可能です。

もうひとつは有性生殖です。人間をはじめ、オスとメスが出会って生殖する方法です。


様々な生物が存在しますが、高等生物は圧倒的に有性生殖をします。なぜ生物は有性生殖をするようになったのか、というのがここでの問題です。


生物が繁殖しようとする場合、単為生殖のほうが圧倒的に有利なのです。単純化するためにひとつの個体が2つの子を産むとしましょう。


[case of 単為生殖]

こちらは単体で生殖が行えるので、1→2と増えていきます。

1 → 2 → 4 → 8 → ・・・ 

と増えていくことができます。


[case of 有性生殖]

こちらは2個の個体によって生殖します。つまり2→2です。

2 → 2 → 2 → 2 → ・・・

と増えるのが大変なのです。


実際の子の数は2ではないでしょうが、いずれにせよ、個体数を増やそうとする生物にとっては有性生殖の方が向かないように思えるわけです。(あとは、そもそも異性に出会えないと子孫を残せなかったり)そこで、なぜ有性生殖をする生物がいるのか、という疑問が生じるわけです。


最も一般的な解答としては次のようなものです。

有性生殖でお互いの遺伝子を交換することによって、多様性を確保し、環境の変化に適応しやすい。


もっともらしい感じはするのですが。一応これを批判した上で、他の可能性を探ってみようと思います。


①多様な遺伝子といったところで、遺伝子の多様性は結局は遺伝子の複製ミスから生じるわけで、遺伝子の複製ミスならどちらの生殖方法でも起こりうる。

②生殖以外でも、遺伝情報を交換したりする方法はある。

細菌などは時々別の個体が互いの遺伝情報を交換したりしています。例えば、抗生物質に対する耐性遺伝子などは簡単に交換されてしまって、様々な抗生物質に耐性をもった多剤耐性菌などが現れるのです。

(すぐに新たな抗生物質に対する耐性菌が現れてしまうことを考えると、むしろ大腸菌の方が環境の変化に対応しやすいような気もします。それは単為生殖だからだ、とまでは言えませんが。)


そこで他に有性生殖を選択すべき理由を考えて見ましょう。私がすぐに思いついた解答です。


生物はゆっくり増える必要があったのではないか。というのがその答えです。

高等生物になるほど、個体の維持のために多くのエネルギーがひつようになります。エサの奪い合いや、植物が群生してしまって太陽光を受ける面積を食い合ったりすると共倒れてしまう可能性があります。そこで繁殖の速さを調整する必要があった、と。

その場合に、単為生殖で繁殖の衝動みたいなものをコントロールして増える速さを調節するよりも、有性生殖でオスとメスに分けて機会の面でコントロールする方が生物の構造としてやりやすかったのではないでしょうか。


(衝動とか欲、気持ちというものが、何に起因するのかということはまだ分かっていないはず。少なくとも遺伝子との関係性からは不明だったと思う。)

1) 3+4=7

2) 8+77=85

3) 123+456=579 ここまでは正しい。


4) 2+4=3 これも正しい。なぜなら、いかなる推論も論理的だからです。


実は、足し算の規則とは、以下のような規則だったのです。便宜的に足し算の記号を*とすると。

 x*y=x+y ただし、x=2かつy=4のときは x+y=3 …(A)


2+4だと分かりにくいですかね。では、こうしてみましょう。人類がこれまでに足し算をした事のある最大の数をMとする。

実は、足し算の規則は以下のような規則だったのです。

 x*y=x+y ただし、x>Mかつy>Mのときは x+y=3 …(B)


ところで、 全ての数について x*y=x+y …(C) という規則だった気もするのですが、小学校で習った足し算はどれでしたっけ?


つまりですね、いかようにも法則が規定できるのでいかなる推論も論理的だと主張できるわけです。

これから投げるコインの表が出る確率は1/99だ。とかね。(あ、表が出た。)

ま、この問題をどうやって解決するかは今回の本題ではなくて。(いつかここに突っ込む日も来るかもしれませんが。)

ここで例示したような足し算の規則をクスワといいます。(○の中に+の記号を書いて表します)

このクスワ、どこかにほころびが出るんじゃないか。という話です。


(B)の規則でとりあえず面倒なので、M=1000とします。

そうすると、2000+6000=3 のはずなのですが。


2000+6000=(2+6)×1000=8×1000=8000

(これは「分配の法則」を使っていますが、(B)の規則に則って足し算は行っています)


やった。ほころび見ぃつけた。


つまり、(B)を認めると「分配の法則」とか「かけ算の規則」とか他の部分まで修正しなくてはならないわけです。

反証は間違ってますね。


(中間帰結;C)を導くことも、(D)とすることもどちらも正しいのですが、この両者の確率は違って良いのです。なぜなら、(D)を導く推論は完全に最初の仮定にだけ依存しています。一方で、(C)と推論した場合は、PとQの確率についてすでに分かっていることがあります(P,Qは1/2の確率で真であると)。


つまり、(C)は条件付確率なのです。従って、確率に違いが出るのは当たり前。


というわけで、この反証は間違いでした。



では、N(真)=N(偽)の結論は正しいかというと。(自分でもそんなに正しい気はしてないのですが)どこが違うのかよく分からないんですよね。


回答募集中。