私は、保健室から出ていったサカキ君の後ろ姿を思い出す。




サカキ君の後ろ姿、懐かしいような…悲しいような…説明できない切なさがあった。



サカキ君、私の事、嫌いになったんじゃなかったんだ…。
でも、優しい人だから、私じゃなくても助けてただろうな。





「…でな、…処分になった」




私は水野が言った「処分」という言葉に驚き、我にかえった。




「え…先生、もう1回言って」




「なんだ、聞いてなかったのか?」




水野は、顔をしかめて珈琲を喉に流す。



私はすみませんと言って、ストローでコーラを一口飲んだ。



余程時間が経っていたのか、コーラは中の氷が溶けて、水っぽくなっていた。




「2人とも停学処分になったんだ」




「停学?停学って学校を?」




「変な奴だな、お前は…学校以外なにが停学になるんだ?
まったく…俺のクラスから停学者がでるなんて初めてだよ…」





水野は腕を組んで遠くの方を見ながら言った。




「…でも先生。サカキ君は私を助けてくれただけなんだよ?」




「あぁ、そうだろうな。
早瀬、うちの学校はな喧嘩両成敗なんだよ。
あんなに派手にやられちゃ、先生も隠しようがなくてな」




水野は肩を竦めた。




「…じゃあ、私も停学なんだ」




私は水野の目をジッと見た。




こんな顔を人に見られるよりは、停学になった方がマシだと思ったし、助けてもらって私だけがのこのこと学校に行きたくなかった。




水野は煙草を口に咥えて首を横に振った。




「いや。お前は…
本当は違うんだろうが、喧嘩の仲裁に入って巻き込まれた事になってるから停学じゃないよ」




そう聞いた私は、胃が落ち込むような、嫌な気分になった。




「…先生、停学ってどのくらいなの?」




「今までのケースからいくと、今回はだいたい1週間くらいだな」




水野は煙を吐いた。




「明日は3人とも生徒指導室に来て、学年主任、生活指導部長、そして俺に今日の経緯を話してもらうぞ。
まあ、停学の期間が決るのはそれからだな」




私は黙って水っぽいコーラを吸った。




「先生はサカキ君と野口君が喧嘩してるってなんでわかったの?」



「佐々木がな、知らせにきてくれたんだよ。
まあ、正解だな。俺がいなかったら野口はもっと酷かっただろうな」



私はそれを聞いて黙りこんだ。水野もそれ以上何も言わなかった。




しばらくして、水野がそろそろでようかと言ったので、私はトイレに行きたいと言った。




水野は先に勘定を済ませて外で待っていると言った。




私は洗面台にたって、頬に貼られていた湿布とテーピングをとり、鏡に移る自分の姿を見る。




私の左頬は、紫色に腫れて2倍程の大きさに膨らんで見えた。




私は蛇口をひねり、何度も口をゆすいだ。



今日、こうやって口をゆすぐのは何回目だろう。



でも何度口をゆすいでも、あの不快な感覚を取り去ることはできなかった。




口を手で拭っていると、パフェを食べていたおばあさんが入ってきたので、私は湿布を元の場所に貼ってトイレから出た。



レストランを出た私は、お礼を言って、駐車場に停めてあった水野の車の助手席に乗り込む。




水野はエンジンをかけると、シートベルトを閉めろよとまた私に念を押して車を走らせた。




私は学校まででいいと言ったが水野は、家まで送ると頑として聞かなかった。




私の簡単なナビで15分ほど走ると、商店街と道路が交差する所まできた所で、信号が赤にかわった。




私はその隙に、車を降りた。水野は助手席の窓を開けた。




「先生お前のお父さんにも説明…」




「ここでいいよ。パパ今の時間はお客さんがいて忙しいし、ちゃんと私から説明するから」




信号が青にかわり、後ろの車からクラクションを鳴らされると、水野は
明日、教室には行かなくていいから
11時までに生徒指導室にくるように、今日は9時頃まで学校にいるからと言った。





私は短いクラクションを鳴らして去って行くキャラバンを見送り、商店街に足を向けた。




私はそのまま家には帰らず、商店街と一つ離れた通りを歩き、あの場所へと向かった。




坂の中ほどまで上った所で、ポケットの中でケータイが鳴った。




ケータイをひらくと、
画面に着信、すみれと表記されていた。




「もしもし?」




『あ、やっと繋がった。あんた電源切ってたでしょ』




電話の向こうのすみれの声、少し怒ってる。




「あ、電源切ってた…病院にいたから」




私は最後の言葉を付け加えるか、迷ったがすみれにならと正直に言った。




しばらく沈黙が続き、すみれは溜め息をついた。



『あんた…、野口にやられたんだね?』




「え…うん」




『…で、榊が仲裁に入ったってわけ?』




「うん…多分」




『多分てなによ?』




私は野口君から殴られて気を失った事。

それからは気を失って何が起きたか覚えてない事、サカキ君が野口君に怪我をさせたらしいと水野から聞いた事を話した。




私が、こんな事を話せるのはすみれ以外にはいなかった。すみれはおもしろがって他人にこんな話をする人では無い。




すみれは人の話を自分の中でじっと吸収して、適格な事を言ってくれる。



しかし、いくらすみれにでも野口君からされた事は言えなかった。




『なるほどね…野口があんたに何したかは知らないけど…
アイツどうしょうもないクソ野郎だ』




「すみれ、今授業中じゃないの?」




私はケータイの画面をみて時間を確かめた。




「ああ、いんだよ授業なんてさ。
それより野口、黒板がどうとか言ってなかった?」




「…言ってた」




すみれは深い溜め息をついた。




『内容は?なんか言ってた?』




「言ってない。『コケにしやがって』って言ってた」




なるほどね、と言ったすみれはしばらく黙っていた。




そして、口を開くと、黒板に何が書かれていたか、教室で何があったかをゆっくり説明してくれた。




内容は私の予想通りだった。




私はだいたい理解したところで、すみれにお礼を言って電話を切り、また、長い長い坂道を上りだした。




水天宮には、見慣れた姿があった。




彼はいつも私が座っていた石段に腰掛けて海を見ていた。




私が鳥居をくぐり、本殿へと続く石畳を半分ほど行ったところで彼は振り向いた。




「久しぶり…だね」




私は足を止めた。
彼はまた海の方をみて「ああ」と素っ気ない返事をした。




私は彼から少し離れた所に立ってわざとらしい、明るい声で話しかけた。




「いつぐらいぶりだろう?」




「5年と8ヶ月ぶり」




「え?」




私は笑いながらサカキ君を見る。




「あ、ここで会うのが?確かに…」




「違う。あんたと話すのが」




私は訳が分からず、サカキ君の横顔を見た。




「あ、あの…さっきはありがとう。なんか、助けてもらって…」




「あんた」




サカキ君は私の方へ目線だけ向けた。
何だかいつもと感じが違う。




「なに?」




「あんた、アイツにどこまでやられた?」




私は赤くなる。




「そんな言い方っ…」





「いいからどこまでやられたか聞いてるんだよ」



サカキ君は苛ついた声で続けた。




「キスされただけか?」



「…うん」




「舌は?」




私は黙ってしまう。




サカキ君は舌打ちをした。




「アイツ…さっき殺すんだったな…」




サカキ君の目を見た私は、全身に鳥肌がたつのがわかった。





私の目の前で眉間に皺を寄せながら、煙草を吸っている男は、いつものサカキ君とは全くの別人に見えた。





最後に別れたあの日にも、サカキ君はこんな顔を私に見せていない。




サカキ君は、煙草を捨てて私を見た。





私は一瞬でその目に吸い込まれていた。




それは、恐怖さえ感じる憂いに満ちた残酷な目。




男は私を見つめたまま、ゆっくりと立上がった。



私は、不思議と目の前にいる男が、サカキ君じゃない事だけはわかった。




「あんた…だれ?」





「リュウ」





「あんたの、初恋の人」




この瞬間から、私の足の下に敷きつめてきたパズルが、パラパラと音をたてて剥れはじめた。



「痛いっ。いい加減にしてよ!逃げないから離して!」



野口君は、私の必死の訴えに耳をかすどころか、私の腕をさらに強く握りしめて埃の溜まった階段を上って行く。




野口君は、屋上にアルミ製のドアがある踊り場まできて、やっと止まった。




「くそっ」




ドアには鍵がかかっていて、野口君がドアノブを回すたびに、カチャカチャと空回りする音が響いた。




私は、その隙に手を大きく振って、野口君の手から逃れた。




野口君から握られていた右手首には赤く、ハッキリとした手の跡が残っている。




「酷いよ。こんな事」




私は野口君を睨んだ。





「どっちがヒデェんだよ」




今まで聞いた事のない低い声で呟いた。




「どっちがヒデェんだって聞いてるんだよ」




野口君は怒りまかせにドアを思いっきり叩く。
安い金属音が階段に響いた。



「…お前…いつになったら返事くれるんだよ」




「だから私、付き合えないって…最初から断って…」




「最初から断ったねえ…。で、黒板にあんな事書いたってわけだ」




黒板この時、私は野口君が何を言ってるのかわからなかった。




ただ、野口君が普通じゃない事だけはわかる。




「黒板にってどういう事?私知らない」




野口君は気味の悪い笑みを浮かべた。




身体に寒気が走り、私は後退りした。




「逃がさねえ。コケにしやがって」




野口君は逃げようとした私の腕を掴み、私の身体が自分の身体に密着するように引き寄せた。




「いや!なにすんの!冗談になってないよ!」




「これが冗談と思うか?」




耳元でそう囁いた野口君は、そのまま私の耳たぶを舐めた。




「いやっ…」




「早瀬、その声いい…」




野口君はそう言うと、私の唇に無理矢理自分の唇を押し付けてきた。




嫌っ…




私は必死に逃れようとするが、顔は両手で固定され、足は挟まれて動かせない。




両手で野口君の身体を力一杯叩いた。


しかし野口君は唇をどけるどころか、両手に力を入れて私の顔を引き寄せてきた。




私が野口君の身体を叩き、引き離そうと強く押している間に、堅く閉じているはずだった私の唇の間から野口君の熱い舌が入ってきた。




私の目から、涙が溢れた。



野口君の舌は私の舌を探す事を楽しむように、ねっとりと動く。




もう…嫌…もうやめてよ!




私は、私の舌の上で生き物のように動き回る、野口君の汚わしい舌をおもいっきり噛んだ。




その瞬間、野口君は弾かれたように私から離れた。




「イッてっ…この女!!」



そして野口君は私の頬を拳で殴りつけ、私はその衝撃で床に倒れて頭を打った。




頭がフラフラして視界がぼやけて見える。




軽い金属がぶつかる音がする。野口君がベルトを外しているのがわかる。




溢れた涙がこぼれ落ち、耳を伝う。




意識が遠のいていく中、誰かが何かを叫んで、ドサッと大きな物が倒れるような音がした。





そして、何度も響く鈍い音を遠くで聞きながら、



私は意識を失った。














私は暗闇で深い沼にはまり動けなくなる夢を見ていた。




つきたての餅のように粘り気のある泥が四股に絡み付き、もがけばもがく程、私を沼の底へと沈めて行く。




目を開けると、白いカーテンが、窓から吹く風に押され、膨らんでいた。



私の目線はそこからパリパリに糊付けされたシーツと枕カバー、上からかけられた肌触りの悪い肌色の毛布へと移った。




目線を足元に向けると、体重計、薬品らしきものが入った棚、壁に張られた野菜の栄養が表示されたポスターが目に入る。



どうやらここは保健室らしい。




私は自分の枕元にあった氷嚢を手でよせて頬を冷やした。口の中は酷く痛み、血の味がしていた。




身体を起こそうとすると頭に鋭い痛みが走り、ベッドの背にもたれ、片手で頭を抑えた。




すると、ガラガラとドアが開く音がした。




ドアの方に目をやると、ドアはもう閉まりかけていて、半分程の隙間から誰かが出て行ったのがわかった。




暫くするとまたドアが開き、今度は40代くらいの背の低い、ショートヘアーの女の人が入ってきた。




「あら、目が覚めた?気分は?」




白衣をきたその女の人はテキパキと質問した。




「気分はあんまり良くないです。頭がズキズキして」




「そうだろうね」




女の人は頷き、カルテの様な物を書きながら言った。




「後ろに大きなコブができてるね。
可哀想に顔もかなり腫れてるし。今日は念のためもう帰って、先生に病院に連れていってもらいなさい」



私は頭の後ろにそっと手をやった。そこには確かに卵くらいの大きさのコブがあった。
私は顔をしかめ氷嚢を掴み、頬を冷やす。




するとまたドアが開き、今度は水野がバタバタとサンダルを鳴らしながら入ってきた。




「中山先生、早瀬の具合は…」




「意識は戻りましたよ。でも一応、今から病院に行って診察をしてもらったほうがいいでしょうね」




水野は中山先生と言われた保健医の話を「はあ、はあ」と頷きながら聞き、話が終わると私のベッドの横にある丸イスに腰をかけた。




「早瀬、気分はどうだ?」



「なんとか大丈夫。頭が痛いだけ」




私は笑って見せたが、口の中からジワッと血がでてきて顔をしかめた。




「そうか。お前の鞄持ってきたから、今から先生車出すから病院にいこう」




私は頷いて、毛布をめくりベッドから降りた。




「先生、ありがとうございました」




私は中山先生にお礼をいう。




「あら、見た目と違って礼儀正しいのね」




中山先生は目を丸くした。水野は私の肩を掴んで、元陸上部ですからと嬉しそうに言った。




私が上履きからローファーに履き替えて外に出ると、クラクションが鳴った。




音のした方へ目をやると、赤いキャラバンがとまっていて、運転席から水野が手を挙げて合図をした。




「先生、結婚してたっけ?」




私は助手席に座りながら聞いた。




「ん、何でだ?先生は独身だぞ。知らなかったか?」




水野はシートベルトをしながら私の顔を見る。




「知ってる。彼女がいないのも知ってるよ。
でも車おっきいから、先生1人には広すぎない?」




「失礼な奴だな。部活で遠征に行く時に大きい車の方が沢山のれるからいいんだよ。早瀬、シートベルト閉めろよ」




水野そう言って笑い、私がシートベルトを閉めたのを確認して車を走らせた。




学校を出て10分かからずに、街で一番大きな総合病院に着いた。




水野は受け付けで私の怪我について説明し、保険証のコピーを手渡した。



「では、外科で診てもらいます。3階の待合室でお待ち下さい」



受け付けのおばさんは淡々と言った。




私と水野は言われた通り3階の待合室に行き、そこにある茶色い革製のソファーに腰掛けた。



30分程で私の名前が呼ばれ、私は返事をして看護師さんについて診療室に入った。



診療室には優しそうな中年の医者がいて、怪我をした経緯や状況、今痛むかなどの質問をされ、私はそれに答えた。




医師は私の頭や口の中を一通り見た。



看護師さんが診察室のドアを開け、付き添いの先生もどうぞと言った。



医師は外傷も大した事はないし、言語もはっきりとしている。安心していい。



ただし異常があったらすぐに病院に来るように。
今日、明日は無理をしないようにと言った。




「早瀬、腹減らないか?」



水野は受け付けで保険証のコピーと小さな紙を受け取ると、私に訪ねた。



「うん。ペコペコ」




病院にかけてある長針と短針だけのシンプルな時計は2時をさしていた。



水野は、よしっと元気よくいい、先生がご馳走してやるぞ、ファミレスだけどな。と笑った。




ファミリーレストランについた私達は、窓側の4人掛けのソファー席に通され、メニューを渡された。



店内は平日の昼過ぎという事もあり、私達の他には、パフェを食べているおばあさんとそのお嫁さんらしき人がいるだけだった。




私はカニクリームグラタンを頼み、水野は日替わり定食を頼んだ。




食後に水野は珈琲を飲み、私はコーラをのんだ。


「先生?」




「なんだ?早瀬」




「そんな美味しくない珈琲飲んじゃ駄目だよ」




私はコーヒーカップに目をやり、水野をみた。




「珈琲に美味しいも美味しくないもないだろう」




水野はそう言って珈琲を美味しそうにすすった。



「先生?」




「今度はなんだ?」




「何で私に何があったか聞かないの?」




水野は眉を寄せてコーヒーカップをテーブルに置き、ポケットをガサガサと探って煙草を取り出した。




「榊の顔と、野口の怪我をみればわかるよ。
榊は何も言わないがな」



水野はそう言って煙草に火をつけた。




「…野口…君の怪我ってどういう事ですか?」




私は水野の飲みかけのコーヒーカップに目をやる。




「まあ、どうせ分かる事だからな…」




水野は煙草を深く吸って煙を吐き出した。




「野口は、お前の怪我より数倍酷いぞ」




私は水野の顔をみた。




「榊がやったらしい。
本人も認めている。
あいつな、お前の事えらく心配しててな。側から離れなかったんだぞ」



それからは、水野が説明している声だけが耳に響いていた。




私は、保健室から出ていった榊君の後ろ姿を、思い出していた。





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サカキ君ともめたあの日から、2ヶ月が経った。



私は高校生活にも慣れ、一緒にお弁当を食べたり、遊んだりする友達ができた。



竹次郎は陸上部に入った(正しくは水野に入部させられた)。


竹次郎の陸上種目は中学の時と同じ砲丸と、円盤投げを新しくはじめた。



竹次郎の身体は陸上部に入ってさらに磨きがかかり、今では高校1年には見えないくらい逞しかった。




私に宣言した通り、サカキ君は日本語がとても上手くなった。




長く話したらイントネーションの違いがでてくるけど、二言三言の会話では、私達と変わらないくらい喋れるようになっている。




そして、私には、この2ヶ月で小さな変化と大きな変化があった。




小さな変化は、私には似合わなかったギャルっぽい格好をやめた事。




ブリーチした髪をダークブラウンに落として、緩いパーマをあて、目を囲うように描いていたアイラインも、目の際をぼかす程度にした。




私の新しい髪形とメイクは大人っぽいと好評で、このスタイルに変えたこの2ヶ月の間に、3人から告白された。




1人は同じクラスの野口君という人で、もう2人は3年生という事以外は知らない。



私がギャルをやめてから1週間たたないうちに野口君から、空き教室に呼び出された。




「呼び出してゴメンな」



「ううん。ゼンゼンいいよ。話しってなに?」




私はそう言って、この気まずい状況に堪えられず、野口君の足元をみた。



野口君は、ポケットに手を突っ込んで私が好きだと言った。



「早瀬、俺と付き合ってくれない?」




私、野口君の顔を見る。野口君は照れ笑いをしながら、私を見ている。




バスケ部の野口君は短くてツンツン立った髪に、スポーツマンらしい爽やかな顔立ちをしている。



背も高いしカッコいいといえば、そう思う。
でも、それだけ。好きという気持ちは、全くなかった。



私の答えは決まっていた。




「ごめん。私、付き合えない」



静かな教室。



窓からグラウンドで練習を始めた野球部の威勢のいい掛け声が入ってくる。



「好きな奴、いるのか?」



勝ち気な性格の野口君は言った。



一瞬、サカキ君の顔が頭をよぎる。




「いないよ」



「それなら…」




「でも、野口君とは付き合うとかそう言うのは考えられない」




と私はハッキリ続けた。
野口君には悪いけど、しっかり断った方がいい。



「な~んだ。好きな奴いないのか」




予想していなかった明るい答えに私は戸惑う。




「俺、てっきり早瀬はあの小林ってゴツい奴が好きだって思ってた」




野口君はそう言い、続けた。




「俺の事はゆっくり好きになってくれればいいから。それじゃ、部活あるから、また明日!」




野口君はそう言うと呼び止める私の声に見向きもせず、教室から出ていった。




それから、野口君は自分の部活が早く終る日に一緒に帰ろうと誘ってきたり、皆の前でも私の彼氏のように振る舞った。




竹次郎はやっぱり野口君の事も気に入らないようで、私と野口君が一緒にいる所を見つけては、私達の間に入ってきた。




今までウザくてしょうがなかった竹次郎だけど、今回ばかりは竹次郎がいる事を、心からありがたいと思った。




しかし、野口君は竹次郎の妨害にめげるどころか、逆に闘争心に火がついたかのように、しつこくなっていった。




そのせいで、私とあまり仲良く無い人達は私が野口君と付き合っていると思っているようで、サカキ君もその内の1人だった。




大きな変化とは、あの日以来サカキ君が私を避けるようになったという事。



前のように私を見てくる事も無くなったし、私が話しかけようとしても気付かないフリをした。




私もはじめは誤解を解こうと必死だったが、
だんだん私を無視し続けるサカキ君の態度に腹が立ってきて、今では私も彼をあからさまに避けていた。



その私の態度がクラスでも広がり、私とサカキ君は犬猿の仲だと仲のいい友達も私がサカキ君と関わらないように努力してくれた。



サカキ君が私を避けはじめたのには、あの日の事以外にも理由がある。



サカキ君は彼女ができたらしかった。



相手は、私が文化委員で呼び出された時に、サカキ君を追って教室から出てきた女の子の内の1人。



その子は佐々木さんといって、下の名前は覚えてない。



佐々木さんは綺麗な長い髪をした女らしい子だけど、特に可愛くはなかった。



サカキ君と佐々木さんは席が近い事もあり、しょっちゅう2人で話しをして、学校が終わると一緒に帰っていた。



「本当に仲がいいよな、あの2人。どこまでいったんだろ?」


「レウォン君には佐々木さんは似合わないと思う」




そんな風にクラスではサカキ君と佐々木さんの話題をするのが流行りで、集まると2人の噂をしていた。



佐々木さんは噂になる事が得意らしく、これみよがしに甘ったるい声をだしてサカキ君にくっついた。




私は、そんな2人を見るたびに気持ちが沈んだが、そんな自分が悔しくて、情けなくていつも無関心を装っていた。



したくない噂話しに加わる事もあった。




そんな日が続き、私は2ヶ月ぶりに地獄坂を上った。



水天宮に着く頃には息が上がり、酷く喉が乾いていた。




私は石段に腰かけると、カバンからペットボトルのお茶を出して、半分以上残っていた中身を2回に分けて飲み干した。




そして、空のペットボトルを隣りに置くと、私は膝を抱えて顔を埋めた。





前はこうしてたら、ルー…サカキ君が来てくれたっけ。




サカキ君はあれからここに来た事があるのかな。




風で倒されたペットボトルがカラカラと転がった。





私は顔をあげる。




そこには来た時と変わらない、がらんとした境内があった。





大きな太陽が街にぶつかり、そして消えた。










「りか、あとどれくらいかかる?」


私は、化学の実験が終って、実験室でノートをとっていた。




「すみれ、もう書き終わったの?」



「まさか。私ノートとった事ないし」



すみれは高校でできた友達で、かなり派手で恐そうに見えるけど、さばさばした性格で話しやすい。




すみれは、教科書とノートを脇に抱えて、私がとっているノートをちらっと見た。



「うっそ、まだそこ?」




実験室を見渡すと、ノートを書いているのは私だけで、日直の背の低いおとなしそうな男の子は黒板を消したくて、黒板の前でソワソワしていた。




「ゴメン。もう少しかかりそう」




私は、そう断って、すみれには先に教室に帰ってもらい、日直の男の子にも黒板は私が消すからといった。




日直の男の子はそう聞いて嬉しそうに帰っていった。



あの子名前なんだったっけ?



私はシャーペンの頭をカチカチと押して芯を出した。





「なあ、早瀬。ちょっといいか?」




友達と教室に戻ったはずの野口君の声が聞こえ、私は顔をあげる。




「え、なに?どうしたの?」




「話しがある。来てくれよ」




野口君は私の手首を強く掴んで立たせた。




何だかイラついている。




「ちょっと待って、野口君、痛いよ!」




「何見てんだよ」




私、野口君が怒鳴っている方を向く。




そこには佐々木さんと…サカキ君がいて、2人ともこっちを見ている。



佐々木さんはにやにやと笑っていて、サカキ君は無表情だった。




「早瀬さん痴話げんか?本当ラブラブだよねぇ」



佐々木さんは嬉しそう言った。




私は呆然と嬉しそうに話す佐々木さんを見た。




「ね~ルェハ早く帰ろ~。
邪魔しちゃ悪いよぉ。
早瀬さんって本当モテていいね~。
野口君といい、隣りのクラスの小林君も。羨ましい~」




やめてよ、そんな事言わないでよ。




私は、悔しくて唇を噛んだ。




「うるせえよブス」




イラついた野口君の声にハッとする。




「やだ最悪ー」




「ほら、早瀬行くぞ」




「痛っ、ちょっ…やめてよ野口君!」




野口君は手を離すどころか、さらに強く私の手を握り、引っ張った。




「どけよ」




野口君はドアの前で立っている、サカキ君と佐々木さんに向かって凄んだ。



「は~い」



佐々木さんは茶化すような声で返事をして、サカキ君の腕をひき道を開けた。




私は2人の側を通る時、助けを求めるようにサカキ君の顔をみた。




でも、
サカキ君が表情を変える事はなかった。