水野の部屋を出た私は、コンビニに寄ってポップコーンと雑誌を買った。
家の前に着いた時には8時をとっくに過ぎていた。
私は、ドアノブと同じ素材でできた鍵穴に鍵を差し込んだ。
「あれ、開いてる」
店はとっくに終っている時間で、バパは店の片付けを終えると必ず鍵をかける。
しめ忘れるなんて今まで1度もなかったのに。
「ただいま」
「おう。おけーり」
真っ暗なカウンターに座っている男が私をみている。
私は溜め息をついて、店のスイッチを手探りでみつけ、明かりをつけた。
「なにやってんの?」
竹次郎はふふっと目を細めて笑い、私を見た。
「この不良娘が!今何時だと思ってるんだ!」
「…8時半くらい?」
私は壁にかかっている古い時計を指差して言った。
「そう言う意味じゃねえよ。こんな時間まで何やってたんだよ」
私はカウンターに、ガサガサとコンビニの袋を置いてから、竹次郎の横に腰掛けた。
「ちょっとね」
竹次郎は機嫌よく笑う私の横顔を怪訝そうにみる。
「何にやついてんだお前。…まさか男か!男が…」
「違うよ!ただちょっといい事があっただけ」
竹次郎は知りたそうな顔をしていたが、何かを思い出したように妙な声をあげた。
「なに?」
「お前、あの例の韓国人と歩いてたらしいな」
私は驚いて竹次郎の顔を見る。
「は?何で知ってんの?」
「やっぱりマジかよ。クラスの奴が見たって言ってるぜ。どうなんだよ」
「どうって、確かに歩いてたけど何にもないよ」
「何にもないって?なんでだ?」
こうなったら竹次郎はしつこい。
私が曖昧な事を言ってたら私が入ってる事なんかお構いなしに、お風呂にも入りかねないし、入ってきた事がある。
それは、中学の時に彼氏ができたのを誤魔化していたからだった。
「係が一緒なの。文化委員。今日呼び出されたの。なんかプリントを渡すためだって」
「プリント…」
竹次郎は自分のバックから、グシャグシャに丸められた紙を出した。
そこには「チャリティーコンサート、編集 文化委員」と書かれていた。
竹次郎はプリントをグシャグシャにまるめてバックに突っ込むと、腕を組んで首をひねった。
「なんでりかと韓国人が一緒の係なんだよ」
「知らないよ、クジでそうなったんじゃん?」
竹次郎は私が家を追い出すまで首をひねっていた。
次の朝、私は余裕をもって、かなり早く家を出た。
いつもの様に用水路の脇を歩いて学校に行く。
生え始めの草には、ビー玉のような水滴が沢山ついていて、歩くたびに草から弾かれて飛んだ。
「りか」
下を向いて歩いてると、後ろからそう呼ぶ声がした。
私が振り替えるのを戸惑っていると、彼は器用に土手を降り、私の横に並んで顔を覗きこんできた。
「今日は早イね」
ちらりとサカキ君の顔を見ると、彼はオハヨウと笑った。
私はまた下を向いて、おはようと言った。
しばらく2人は無言で歩く。
私はこの状況に気が気ではなかったが、彼は楽しそうに口笛を吹いていた。
学校が遠くに見えてきた所でサカキ君が口を開いた。
「昨日、何て逃げたりしたの?」
このままサカキ君が何も喋らずに学校に着きますように、と願っている最中だった。
私は、戸惑う。
「俺ノ事、覚えてる?」
私、サカキ君の顔を見る。真剣な表情。
「うん」
正直に言う。
「本当に?」
サカキ君、声がうわずってる。
「本当だよ。忘れた事…ないもん」
サカキ君は何かを呟いた、多分韓国語。
「今何ていったの?」
「すごい!本当に?って言った。俺本当に嬉しイ」
隣りでにこにこ笑うサカキ君を見て、私もつられて笑顔になった。
「ずっと会いたかった。りかの事忘れた事ないよ」
サカキ君は空を見た。
私は、うん。とだけ言った。
「でモ、
りかが『サカキ君』じゃなくて名前で呼んてくれたらもっと嬉しな」
「え、だって呼びにくいよ。サカキ君でいいじゃん」
私は慌ててサカキ君の顔を見る。サカキ君は難しい顔をした。
「ジャあ、1回たけ言って。お願い!」
サカキ君は人差し指をたてて、無邪気に笑った。
私、困る。
私の人生15年間で下の名前を呼びすてにしている男はアイツ以外いない。
「1回だけ?」
「うん」
「わかった。…」
「りか!」
遠くで私の名前を呼ぶ声がした。
この声は、私がこの世で名前で呼ぶ唯一の男。
「お前、俺が忠告しただろうが!そいつに近付くなって~!」
竹次郎はこっちに向かって凄い勢いで近付いてくる。
「あぁ…。
サカキ君ごめんね、アイツ、竹次郎っていって…」
「ふーん」
サカキ君はそう言って目を細めると、私の手を掴んだ。
「え…え??」
「行こ」
サカキ君はそう言うと私の手を引いて走りだした。
それを見た竹次郎はさらにスピードを上げて追いかけてくる。
登校中の生徒は、喚きちらす変な男と、そいつから手を繋いで逃げている私達を面白そうに見ていた。
「まいたな」
「うん」
私達は息を切らしながら話す。
別に竹次郎から逃げる事なかったのに。
サカキ君がボソっと何かを言った。
私、聞き取れなかったのでもう一回聞く。
「あの人、りかノ恋人?」
サカキ君、今度はハッキリと私の顔を見ずに言った。なんか怒ってる。
「竹次郎が?まさか!アイツは隣りの家に住んでるただの幼馴染みで…恋人なんかじゃないよ。」
私は、早口になる。
なんでこんなに必死に言い訳してるのか、自分でもわからない。
「…アイツの事は名前て呼ぶんダ。竹次郎って」
サカキ君は凄く怒ってみえる。
私、本当にめんどくさくなって聞いてみる。
「サカキ君が何でそんなに怒るの?
竹次郎は生まれた時からずっと一緒にいる兄弟みたいなものなの。
変だけどイイ奴なんだ」
サカキ君は私を見た。前よりさらに恐い顔になった。
「りかはあんな奴の事、好きなンだ」
私、カチンときた。
「あんな奴なんて言い方やめてよ!
サカキ君が怒る気持ちも…わかるけど…竹次郎はね…」
「竹次郎、竹次郎うるさいよ」
サカキ君の静かな声が廊下に響く。
私はその場から動けなくなる。
「俺があの時どんな気持ちてキスしたか、りかは知らない。
りかを想ってきた5年間をりかは知らナい!
受験の日にこの学校でりかヲ見つケタ時俺がとんな気持ちだっタか。
りかガ同じクラスにいるのを見テどんな気持ちだったか。
窓の外を見てるりかの横顔を見た時どんな気持ちだったか、
どンな気持ちで昨日りかに話しかけたか、
りかは知らナイ」
サカキ君は横を向き「ゴメン」と呟いた。
「ゴメン。
1人で熱くなって俺、バカだな。
りかにとっテは昔のいい思い出だよな。
もう言わナイ。忘れて」
サカキ君はバックを肩にかけ直し、後ろを向いた。
私の事、見ようともしない。
小さくなるサカキ君の後ろ姿をみながら、私はサカキ君を抱き締めたい、そうしなきゃいけないような衝動にかられた。
サカキ君は私からどんどん遠く離れていく。
早く行かなきゃ。
追いかけて、ゴメンって言おう。
私もあなたと同じくらい。
でも、私はその場を動けない。
サカキ君は、廊下の角を曲がり
見えなくなった。
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