面接が終わって教室へ向かう私の足取りは、ヌガーのように重かった。



ルェハと野口君は水野と少し話し、
そのまま帰宅と言う事になった。



病院へ行くような怪我人が出たのに、
半日の定額処分で済んだのは他に例がなく、ルェハが校内でただ1人の外国人というこで、学校としても処分には慎重なのだろうと思った。



私はトイレに入り、湿布の上から頬を抑える。


湿布を少し剥がしてみて、あざがひいていたら湿布を剥がそうと思っていたが、少しだけみて、そのまま元の位置に貼り直す。


そしてまたゆっくりと教室へ向った。



教室の前まで来ると、ちょうど昼休みにはいったのでざわついているのがわかり、少しホッとした。



私は教室の後方のドアに手をかける。
ドアがカバの飼育小屋の扉のように重い。




深呼吸をして、ドアを引く。



教室の後ろにいた数人が私の顔をみて、話をやめた。



私はおはようと言って、自分の席にカバンをおく。




「りか!」



声の方を向く。
すみれがちょっとのいてと人を押しのけながら私へ駆け寄った。



教室がしんと静まる。



「ちょっときて」



すみれは私の手を引いて教室を出た。




そのまや中庭の売店の前まできて、すみれは止まった。



「大丈夫なのあんた!思ってたより酷いね」



すみれは私の手を強く握る。



「すみれ、痛い」


私は正直に言う。


「痛い?あ、ごめんごめん」



すみれはそう言って手を話した。


「クラスはさ、あんたらの話でもちきりだよ。
ほんとガキなんだからあいつらさ」


すみれは強いウェーブのかかった髪を書き上げる。



「ジャガイモ湿布はしたの?」



私は狐につままれたように、目を開く。


「何?ジャガイモ湿布?何それ?」



「あんた!ジャガイモ湿布知らないの?」


すみれは、ゴルフボールが入るんじゃないかと言うくらい目を見開いた。



私が知らないと首を振ると、すみれはこれだから最近の若い者はとため息をつく。


それを聞いて私は吹き出した。



すみれも笑い、私の緊張はどこかえ飛んでいってしまった。


「いや、ジャガイモ湿布はマジだよ。マジ効くんだよ。

あたしが小学校の時、ひどい打ち身で遠足にいけないって言われてさ、ばあちゃんがジャガイ
モ湿布してくれたんだ。

そしたら次の日治ってんだよ。
とにかくヤバイんだって」



すみれは真剣にジャガイモ湿布の作り方を教えてくれて、私たちはお昼ご飯に売店でハムカツパンを買って食べた。




「このパンまっずぃ」



すみれは文句をいいながらも、ハムカツパンを全部食べた。



私は半分までたべてお腹がいっぱいになったので、包んであったサランラップを丁寧にのばして、包み直した。



すみれは、だから痩せっぽっちなんだよあんたは。私のようにグラマーになりなさいよ。
と私を小突いた。



態度はいつも通りだけど、教室にいたくなかった私をすみれは連れ出してくれたのだろう。



私は心の中でありがとうと言った。



授業が始まる少し前に教室へ戻り、席につく。



前の席の中島は机に突っ伏して寝ていた。



私は休み時間に中島がお昼を食べる以外に、起きて誰かと話しているところをみたことがない。



しばらくすると、私が入ってきたのを確認した友達が私を囲む。



大丈夫か、心配してたと次々に言われて、ありがとう心配かけてごめんねと答えた。



そんな元気そうな私をみた男子も何人かあつまってきた。



「なぁ、昨日なにがあったんだ?教えてくれよ」


「あの2人はどうなったんだ?」


こんな事を次々に聞いてくる。



友達も知りたそうに、頷いている。





私は黙ってしまう。




本当の事なんて、言えるわけないじゃん。



私はその場でリセットボタンを押して消えてしまいたいような気持ちになった。




「ちょっ…」



「イテェ!!」




すみれが助けを出そうとするよりも先に大きな声が教室に響いた。



「イテェ!なにすんだよ
中島!!」



私の前には中島が立っていた。
そして、もう一度喚いた男子の腹部を蹴り上げた。



小さな身体から繰り出される蹴りは見事だった。



中島が武道の有段者だと知ったのはだいぶ後の話だが、
クラス全員が中島を驚きの目で見ていた。




「ハヤセが言いたくないって言ってんだろ。
これ以上聞くなら、蹴る」



もう蹴ってるじゃねぇか。



多分その場にいた全員がそう思ったと思うが、
中島のあまりの迫力に突っ込むものは誰1人としていなかった。




ちょうどチャイムがなったので、私のまわりにいた人たちは助かったという表情で散り散りと自分の席に戻って行ったが



佐々木さんだけが、遠い席で私を睨んでいる。




「中島、ありがとう」



私は自分の席についた中島にお礼をいった。



中島は、別に、とだけ言って机に突っ伏した。



それから最後の授業が終わり、
中島のおかげで昨日の事を誰にも聞かれずにすむかとホッとしていた。




「りか!!」



教室のドアが外れるような勢いで開いて、外れた。




私は火傷しように椅子から立ち上がり、教室に入ってこようとする竹次郎の太い腕をつかんだ。



「やっぱり…
誰にやられた?やっぱり韓国人か!」



竹次郎の目は怒りで満ちている。



「違うよ!」



竹次郎は私を見る。




「榊くんには何もされてない!」



外れたドアの方では、学級委員長達がどうにかドアをはめようと必死だった。




「には?
…じゃあ野口が…信じられねぇ。
あいつ、部活動生だろ?
ぶち殺してやる」



竹次郎はそう言って教室に入ろうとする。



学級委員はあまりの迫力に驚き、道を開けようとした。



私は両手で竹次郎の腕をひっぱった。
が、全然止めることができない。



「あんたも部活動生でしょ!
喧嘩したら陸上部に迷惑がかかるよ!」



竹次郎は、止まった。



「それに野口君いないし。
ね、冷静になって」



竹次郎は私をみた。もういつもの竹次郎だった。



「2人が喧嘩してて、私が仲裁に入った時に肘があたっただけだから。
ね、誰も悪くないの」



竹次郎は私の顔をみて、短く息をはいた。



「今日おまえん家でゆっくり聞かせてもらうからな」



そう言って竹次郎は自分の教室へ戻っていった。




ドアは学級委員長達の手によって、壁に立て掛けられた。





ドアは壊れていた。



私はベッドに横になり、今日あった事を思い出していた。



野口君に殴られて、気絶して…リュウに会った。



私は寝返りを打った。



リュウって最低な奴。
ルェハが冗談言ってるようには見えないし、二重人格ってやつ…かな?




私は唇に手をやった。




そして、ルェハと…。



私は真っ赤になった顔を枕に押し付けて、足をばたつかせた。



2回目のキスは、煙草の味だった。



ルェハって煙草吸うのかな。



私は枕をぎゅっと抱き締めた。




「りか」




私は驚いて声のした方をみる。
そこにはパパが少し顔をしかめて立っていた。




「すまない。何回かノックしたんだが」



「あ、考え事してたから」



「ちょっといいかい?」




「いいよ。なに?」




私は明るく答え、ベッドの縁に座った。




パパは私の隣りにゆっくりと腰を下ろし、私の顔を見つめた。




「さて、その怪我はどうしてできたのか、教えてくれるかい?」




私はあっと声を出した。
うかれすぎて自分の顔に大きな湿布が貼られているのを忘れていた。




「これはね、打ったの」



「打った?」




パパの薄茶色の瞳が私の目を捉える。
なんでも見透かすような不思議な目。




「…うん。私ドジだから、柱で打ったのよドーンとね」




私はパパから目をそらした。




「…大丈夫なんだね?」



パパは私を覗きこんだ。
その顔は、とても真剣だった。




「全然だいじょうぶ!」



私はパパの目をしっかりと見て言った。




パパは目尻に皺をよせて私の頭に手をおいた。




「まあ、そう言う事にしようか。君がそんなにご機嫌なんだ。信じるよ」



パパはそう言って部屋から出て行った。




「焦った…」




私は、ベッドに寝転がり、写真たてに目をやった。




「ママ。りか、すっごい嬉しい事あったんだ…」




写真たての中のママが微笑んでいる。






次の日、私はいつも通りの時間に家を出た。
パパは、昨日私と話してからは怪我について何も聞いてこなかった。




私は学校へは向かわず、家から歩いて10分程の所にある駅に向かった。



駅に近付くにつれ、同じ制服を着て、私とは反対方向に歩く生徒達とすれちがった。




すれちがう生徒の多くは訝しい顔で私を見ていが、私は注目を浴びながら、変な優越感に浸っていた。




私は駅から電車に乗った。




登校の学生で混雑する下りの電車とはちがい、私が乗った上ひの電車は空いていた。



私は海が見える向かって左側に腰掛けて、上から吊されている広告に目をやった。



婦人雑誌の広告、転職支援の広告が目に入り、血を流しながら雨にうたれている男が拳を空に掲げているポスターが目にはいった。



それは韓国映画上演の広告で、国の為に闘う2人の男の闘いを、描いたものらしい。












空気がもれるような音がして、電車のドアが開いた。



私は席をたった。




11時30分までにまだ時間があるので、この駅に隣接する大きな本屋で調べ物をしようと思いついた。




しかし、本屋の前に行くと、10時からの営業だという札がかかっていた。



私は本屋が開くまで、駅の中にあったコーヒーチェーン店で待つ事にした。




私は朝食を食べそびれていたので、チョコレートブラウニーとブレンドコーヒーのレギュラーサイズを注文した。




学校が始まっている時間なので、怪しまれて何か聞かれないかなと思っていたけれど、




私から注文を受けた30代くらいの女の店員は、マニュアル通りの笑顔で、手際よくコーヒーを手渡し、チョコレートブラウニーを温めてくれた。




私はコーヒーを持って客席へと歩いた。



先にいた5、6人ほどの客の目線が私に注がれたが、またすぐに新聞をみたり、ノートパソコンのキーボードを叩いた。





店内は濃い緑の硝子でできた照明スタンドがいくつもあり、その淡い明かりがスタイリッシュなポスターを照らしていた。




教室くらいのスペースに、低い座りごこちが悪そうなソファー席がいくつかと、
明るい木目調のテーブル席、余ったところにカウンターが押し込まれている。




私はカウンター席に腰掛けた。



スピーカーからはアップテンポの明るいジャズが流れていた。




うちの店とは全然違うな。




私はコーヒーをすすりながら、厳しい顔でパソコンの画面を睨んでいるビジネスマン風の男に目をやった。




ここのチェーン店、けっこう美味しい。
パパが入れる珈琲には負けるけど。




私はチョコレートブラウニーをひとくちかじり、鞄から鏡を取り出した。



鏡を覗き込むと、大きな湿布を貼った自分の顔がうつる。




私は湿布をゆっくりとはがしてみた。



昨日は2倍に腫れていた頬が、変色はしているものの、腫れはかなりひいていた。



私は珈琲のマグを両手にもってため息をつく。



今日野口君と顔を合わさなければいけないと思うと、知らずに溜め息がでてしまう。




会いたくないな。




私はポケットからケータイを取り出し待ち受けをみた。




もう10時過ぎてる。




私は半分近く残っていたチョコレートブラウニーを口に入れ、コーヒーを飲めるだけ飲んで席をたった。



長いエレベーターにのった。
本屋があるのは駅に隣接する複合施設の5階だった。



私は店頭に置いてあった検索機械で「ニジュウジンカク」と検索した。




医学専門誌や、家庭の医学辞典がヒットするものと思っていたが、意外にもヒットした項目は漫画数冊だけ。




やっぱり二重人格なんてドラマか映画くらいでしか見た事ないもん。




私は息をのんだ。




昔霊感のある友達が、お寺や神社なんかの人の念が集まる場所には、とり憑きたいと思っている霊がいると言っていた事を思い出した。




私は急に背筋が寒くなった。
昔からこの手の話しが大の苦手だからだ。




ルェハはとり憑かれてたのかも。




忘れよう。忘れたほうがいい。




私は検索機械をtop画面に戻しながら、そう決心した。




また電車に乗り込む。



私は11時半ぎりぎりに生活指導室に着いた。




指導室の前には、椅子が並べられていてルェハと野口君、その間に水野が座っていた。




「おい、早瀬っ。こっち来て座れ」




水野が、声を抑えて手招きをしながら私を呼んだ。




そっぽを向いていたルェハと、下を向いていた野口君が私の方を見た。



「お前、遅刻するかと思ったぞ。普通はもうちょっと早く来るもんだろ」



水野はひそひそと話した。




どうやら指導室の中には、学年主任の荒巻先生と、生活指導部長の先生がいるようだ。




私は、野口君の方をみずに、ルェハの隣りに腰を下ろした。




「おはよう」




「おはよ」




ルェハはにこりと少しだけ笑ったが、野口君がいるのが気に食わないらしく、すぐに顔を強張らせた。




私はわからないようにこっそりと野口君を見て、ギョッとした。




野口君の右目の瞼は腫れ上がり、得体のしれない毒がはいっているような紫色だった。
頬は私の倍は赤く腫れ、唇には大きなかさぶたができていた。




「よし、入るぞ」




腕時計で時間を確認した水野が言った。




野口君は立ち上がる時に、小さく呻き、お腹を抑えていた。




水野はドアを2回叩き、中から「どうぞ」と声がかかると私達の肩を押した。




「いいか?正直に答えろよ」




水野は最後に念を押して、指導室に入った。


そして水野に続き、野口君が指導室に入っていった。



私が野口君についで指導室に入ろうとした時に、ルェハは何も言わずに私の肩に手をやって、先に入り、野口君と私の間に入ってくれた。




指導室の中央には椅子が3つ並べられていて、その前に、長机がおかれ、荒巻先生、生活指導部長、水野の順番で座られていた。




「かけなさい」




生活指導部長は年のいった先生で、白髪交じりの頭に老眼鏡を鼻のてっぺんでかけ、私達をちらりとみた。




私達は各々と座った。




「さて、かなり酷いね」




荒巻先生が口を開いた。



「昨日はどういう経緯で友達にこんな怪我を負わせたか説明しなさい。


野口くん。君は部活動生だね?
暴力事件を起こしたら、部も活動できなくなるってしってるの?」




私達は口を開かなかった。
野口君は微かに青ざめ、震えていた。




私はぎゅっと口を結び、開いた。




「誤解があったんです」




「ほう」



生徒指導部長の先生が私に目を向けた。



「誤解とは?」





「はい…」




私は考えながら、ゆっくりと喋った。




「榊君と野口君は普段はとても仲がいいんです」




ルェハが驚いて私の顔を見た。
私は気にせずに続けた。




「でも、その…」



私は今日、電車の中でみた広告を思い出した。




「2人は映画の話をしていて意見が食い違ってしまったんです」




「映画?」




荒巻先生は眉間に皺を寄せた。



「はい。韓国映画が今週公開されるんですが、その事について野口君が批判をしたんです。韓国の映画はダメだ。
日本の映画がいいって」




部屋にいる全員の視線が私に向けられている。



「野口君、韓国映画は韓国人しか楽しめないってそう言ったんです

誰でも自分の国を馬鹿にされたら怒ると思います。それで喧嘩になって…」




私は助けをもとめるように、水野の顔を見つめた。




「榊は日本にきて、今までとは違う文化やルールに触れて精神的にも辛いはずです。

そこで自分の国が批判されれば怒るのも当然かと思います



しかし、野口も悪気があったんでは無いんです。
コイツは性格がキツいところがあるんですが、スポーツをやっている人間はそれくらい根性があった方がいいんです。


野口も侮辱するつもりで言ったのでは無かったが、ついむきになってしまったんでしょう。


これはクラスメイト同士の喧嘩といえ、国同士の繊細な問題です。



韓国と日本は隣国とはいえ、性の型づけは全く違ってくるものと思います。



子供達だけではまだ解決する術はないのではないでしょうか」




審査の2人の先生は水野の話に聞き入っている。


水野はさらに力をいれて続けた。


「私もこれを自分のクラスの重要な問題と真摯に受け止め、これから国や文化が違うであれ、人を尊重する事を教えていきたいと思っています。


今回の事は、私の教師としての力不足によるものだと痛感しております。



本当に申し訳ございませんでした



本人達も早瀬を巻き込んでしまった事でひどく反省しています。


ほら、ちゃんと謝れ、お前達」




水野が促すと、ルェハと野口君はすみませんでした、と頭を下げた。私も急いで頭を下げた。



荒巻先生と生徒指導部長はヒソヒソと2言、3言囁きあうと、指導部長の先生が口を開いた。



「今回の事情はよくわかりました。

野口君、榊君、あなたたち2人を半日間の停学処分にします。

いいですか、今日の授業は出なくていいと言う事です。」



私は胸を撫で下ろして感謝の気持ちで水野をみた。



水野は先生たちにバレないように、私にVサインをした。






「リュウ」と名乗った男は、私にゆっくりと近付いてくる。




リュウは制服のシャツのボタンをルーズに開けて着ていて、髪は癖毛のように纏まりがなかった。




それは後で、リュウが考え事をするとき、頭をグシャグシャと掻く癖があるからだとわかった。




「…サカキ君とは…本当に違うの?」




私は無意識に後退りした。




「違うな」




リュウは、あの残酷な目で私を見る。




この目、見た事ある。




それは、入学式の日、イタリア料理店の窓からみた、あの時のサカキ君の目だった。




『サカキ君?ああ、韓国人の事ね、俺のダチ、1発KOされたらしい。こっちは3人だぜ?』




私は入学式の晩の竹次郎の声が頭を過ぎる。




竹次郎の友達を殴ったの…多分この人だ…。




私は、木の根に躓き、倒れるように大きな木にぶつかった。




それでもリュウは足を止める事は無い。
リュウと私との距離はどんどんと狭まっていく。




「サカキ君はあなたの事知ってるの?」




「さぁな」




リュウは、長い睫毛が見えるほど近い距離まできて、やっと足を止めた。




「サカキ君は…」




「なあ」



リュウは顔を傾けて私の表情を観察するように見つめた。




「俺とあんた、久しぶりに会ったんだ。アイツの話なんか、聞きたくねぇ」




リュウはそう言って、私の髪を左手ですくい、そこに優しくキスをした。



私は固まったように動けない。




「あんたの綺麗な顔。腫れちまったな」




私の左頬を見てリュウが言った。




リュウは話す時に、目以外の表情を全く変えない。



私は目の前の男が何を考えているのかわからない。




「あの野郎…あんな事ぐらいで手ぇ出すなんてな」




リュウは、私の髪を自分の人差し指にくるくると巻き付けながら言った。



私はリュウの腕を退けた。



「何すんだよ」




リュウの眉間に皺がよる。




サカキ君はあの時実験室にいた。

黒板になにかが書かれていたか知らないはずだ。




「……黒板に、何て書かれてたの?」





「知りたいか?」




私とリュウは見つめ合う。



私は一歩もひかないように、精一杯怖い顔をつくった。




リュウは目を細めて笑い、口を開いた。




「『私は、好きでもない男
野口から付きまとわれて困ってます。誰か助けて』


本当の事だろ」




リュウは冷たい表情で私を見た。




「あんたが書いたんだ…」




私は身体中の怒りが込み上げてくるのがわかった。




「…ま、これであんたは野口からつきまとわれずにすむ」




リュウは私の真後ろにある木に手を突いて、私を見つめた。




「目ぇつぶれよ、りか」




そう言って、リュウの顔がゆっくり近付いてきた。




私は、迷う事無く、その顔を思いっきり叩いた。




静かな境内に高い音が響く。




「上等だ」




リュウは私を睨み付け、私の顎を掴んだ。




私はそれに臆するどころか、リュウの胸元をつかんだ。




「あんたなんか最低!大嫌い!

野口君とかわらない。ううん、それ以下だ!」




リュウは私の顔から手を放した。



「誰なのよあんた、私リュウなんて名前聞いた事ない!
勝手に出てきて馴々しくしないで!」




次から次に言葉が出てきて自分でも止められない。



「私は…サカキ君が好きなの。…ルェハが好きなのよ!あんたなんかじゃない…ルェハの身体から出ていってよ!」




私は全てを吐き出し、大きく肩で息をした。




「…そうかよ」




リュウは眉間に皺をよせて私から離れ、そのまま目をつぶった。



私はなぜか胸がズキンと痛んだ。




リュウがそのまま動かないので、私が逃げようかと様子を伺っていると、リュウはいきなり目を開けた。




「なによ!変な事したらけ…警察呼ぶからね」




私は睨み付けた。でもリュウはキョトンと私を見ている。



「…りか、頬っぺただいじょうぶか?」




「…もしかして…サカキ…君?」




サカキ君は笑った。




「俺じゃ無かったら誰なの?」




私は、サカキ君に抱き付いた。




サカキ君は一瞬、戸惑っていたように見えたけど、私の肩を優しく抱きしめてくれた。




私は嬉しくて、嬉しくて気付くと涙が溢れていた。




サカキ君は私が顔を上げるまで何も言わずに抱き締めてくれた。




「…ゴメン。彼女いるんだったね」




私はサカキ君から離れようとした、でもサカキ君はそんな私を強く抱きしめた。



「もう少しだけ」




「でも…佐々木さんに悪い」



私はサカキ君の肩に手をやり、押した。




「佐々木さん?付き合ってないよ。告白はされたけと、断った」




「えっ!なんで?」




私はサカキ君の顔を見上げる。
サカキ君は悲しそうに笑った。




「好きな子がいるのに、何トも思って無い人とは付き合えないよ」





「好きな子って…」




「ずっと前から好きな子がいるんた。まぁ、ふられたんだけとね」




「私…フったりしてない!あなたが勝手に避けたんだよ」




サカキ君は目を丸くして言った。




「じゃあ、りかは俺のコト好きなの?」




「え?」



私黙ってしたを向いた。




「それとも、何とも思ってない?」



「そんな事!…ないよ」



サカキ君の視線に耐えきれず、
私は頷いた。




恥ずかしくてサカキ君の顔をまともに見れない。




しばらくそのまま下を向いていた私は、サカキ君が微かに震えているのがわかり、目を上げる。




また、あの男が出てきたのかと思った。




でも、そこにはサカキ君がいて、いつもと違うことと言えば、目に涙をたくさん溜めていることだけ。




サカキ君は何も言わずに私を抱き締めた。




私はサカキ君の胸に顔を埋めた。




どれくらい時間が経っただろう。
私はそっと顔を離し、サカキ君もゆっくりと私から離れた。




何だか照れくさくて、目を見合わせて2人で笑った。




「りか、だいじょうぶか?
俺は守ってあげられなかった…」




私達は石段に座って海を見た。



サカキ君は私の頬の下、湿布が貼っていない所をそっと撫でた。



「サカキ君、今日あった事、覚えてないの?」



私は恐る恐る聞いてみた。



「私、あなたに守ってもらったんだよ」



「野口が、りかを殴ろうとしてる瞬間までは…
りか、実はね、俺…」



そう言ってサカキ君は空を仰いだ。



「いや、なんでもない」




サカキ君は下を向いて、拳をギュッと握った。




私はサカキ君の握られた拳にそっと手を重ねた。



「私だいじょうぶだよ。
…ルェハの事知りたいよ」




ルェハは私の顔を見て、弱々しく微笑んだ。



ルェハは自分が時々わからなくなると言った。



「俺、感情が高まったとき、意識が無くなるんだ。
でも、全部覚えてないんじゃなくて、少しは覚えテた」




「覚えてたって?」




ルェハは頭を抱えた。



「日本に来てかラ、記憶がぽっかり無くなるんだ。
前は記憶がなくなっても所々覚えテいて、朝起きたら普通だった」





ルェハは…



ルェハはリュウの存在を知らないんだ。




ルェハは続けた。




「でも…日本に来てかラは違ウ。
何にも覚えてナイ…。こういうふうにいきなり意識が戻るんだ…もしかしたら…りかの事も傷つけてシマウかもしれない」




ルェハが震えているのがわかる。
私はしっかりその手を握った。




「あなたは記憶を無くしても私を傷つけたりは絶対にしない」




『あなたが記憶を無くしても、アイツは私を傷つけたりは絶対にしない』




私は心の中でそう繰返した。




「それに、幸せだったらもう記憶も無くなったりしないよ。
ね?絶対だいじょうぶ。
ルェハには私がついてるよ」




私はルェハの顔をみてニッコリ笑ってみせた。



「私、こう見えてもすっごく強いんだから。
ルェハが悪い事してたら、ひっぱたいてやるわ」



そう言って私は宙を叩いて見せた。



「りか…」




私とルェハは見つめ合い
ゆっくりと唇を重ねた。



あの日とは違う、優しいキスだった。







ルェハは私を家まで送ってくれて、帰り際に「ありがとう、大好きだ」と言って、私をもう一度抱きしめた。



誰かに見られるんじゃないかと、ひやひやしたが夕方過ぎの商店街は静かだった。




私は、これまで感じた事の無い幸福感で満たされ、制服のままベッドに倒れた。



私はこの時、リュウの存在をルェハに話しておけば、と今になっても後悔している。