ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」学習について手に入りやすい本の案内として説明をしていきます。
今回取り上げるのは、この本、
「日本のクラシック音楽は歪んでいる」(森本恭正著)で、2023年12月初版の比較的新しい新書スタイルの本です。
なぜ、こんなクラシック音楽について語っている本を英検1級1発合格者が英語学習に役立つかもしれないという視点でわざわざ取り上げるのか。
それは、この本のタイトルの「クラシック音楽」の部分を英語または英語教育に読み替えると、通じてしまうからです。非常に的を得ていると感じるからです。
すなわち、「日本の英語あるいは英語教育は歪んでいる」なのです。
実際、クラシック音楽と、英語あるいは英語学習、どちらも日本においては位置づけが似ていないでしょうか。
すなわち、いずれも高尚そうで、どこかおそれ多いところがある。つまり、自分で演奏したり鑑賞したりなんて難しいし、同じように英語を読んだり書いたりするのは、遠慮したい。避けたい。
しかし、その一方で軽やかにモーツアルトを楽器で弾いたりする友達の姿や、ちゅうちょなく英語で会話したりメールを書ける同僚のふるまいを目にすると、なぜ、自分はああうまくできないのか、と恨めしく思ってしまう。
いかがでしょうか。似ているでしょう。
ところが、内実はもう少し深刻なのです。この著者は現役の作曲者としてあるいは演奏家として活動しています。
いわば「知る人ぞ知る」といった存在ではありますが、その舌鋒はかなり辛辣。
たとえば、かつて日本のピアノ界に君臨していた井口基成氏、あるいは当代随一と称された音楽評論家の吉田秀和氏といった「偉人」を国際的な視点から見れば、とんでもないほど稚拙な芸や文章を臆面もなく世に出し続けた人物と断罪しています。
また、そんな「裸の王様」たちをもろ手を挙げて称賛していた多くの人々に対しても、手厳しい。そして、「日本のクラシック音楽界はこんなにも歪んでいるではないか」と訴えかけます。
そして、ここに本ブログの筆者は、英語教育との相似性を感じてしまうのです。
すなわち、日本の英語教育においてそれこそ受験の問題集、参考書を書いている予備校の先生から、TOEICや英検の対策本を書いているその道の「大家」まで、おおよそその教授法なり、教え方は、国際的な視点からから検証されたことがないでしょう。
ちなみに、SVOとかSVOCとかいうあの方程式も、日本独自のもの、ということを最近筆者は知りました。
英語学習の参考書などは、ほとんど日本人的視点で日本語で書かれているのに、有難がってしまう。
そこに歪みがみじんも存在しない、などとどうして言えるでしょうか。
日本人の日本人による日本人のための英語。
といえば聞こえがいいようにも思えます。しかし、そこになんら批判精神とか違和感を感じていないとしたら、とんでもない鈍感人ということになるのではないでしょうか。
もう一点、この本から圧倒される勢いで教えられたことがあります。それは、日本の伝統音楽には、西洋音楽に顕著な自己主張とか攻撃性が皆無だということです。
そこからこんなことを考えます。
すなわち、日本人の書く、話す英語がいかに温和で抑制的になってしまうために、「使えていないのではないか」という疑問がわいてくるのです。
たとえば、西洋の管楽器、アルトサックスなどに顕著ですが、タンギングという舌を使うテクニックが要求されます。この舌をつかうというのは、当然、言語の延長であるとも見ることができます。
ところが、日本の尺八では、タンギングは使いません。すなわち、日本の管楽器は「言葉とは無縁の世界で鳴る」とまで言い切っています。それくらい、西洋と日本の間には、カンタンには埋まらない谷間が横たわっているというわけです。
また、バイオリンを思い浮かべてください。弓を持つのはどちらの手でしょうか。
右です。
なぜ右なのか。
それは、右手を司る左脳が言語もコントロールしているから、と筆者は解きます。
本来であれば、聞き手の右手が音程という複雑な調整をコントロールした方がいいとも考えられますが、そうはなっていないのです。
左脳で言語を制御している延長だからこそ、左脳が制御する右手で弓を演奏しているのだと説明しています。
そこに「相手に音という言葉で伝える、とどかせる、あまつさえ動かす」という仕掛けが内在しているというわけです。
ところが、和楽器にはそう仕掛けが無い。ということは、とどかせようとか、動かそうという仕掛けが無いのですね。
いかがでしょうか。
あまり、「英語を難しい難しい」とは言いたくありませんが、ただとっつきのいいだけの英語学習では、「使えない」のではないか、と言いたくなります。つ
いいかえれば、英語を使っている人々は、おしなべて人を動かそうとしてしゃべったり書いたりしているのです。それに対して、日本人は仮に英語をしゃべっているときも、相手になじもう、溶け込もうとして使っている。
英語を使っていても、そこにコミュニケーションギャップが起きるのは、明らかでしょう。
といった注意を自分の中で喚起する意味でも、この一冊は英検1級1発合格者を圧倒してくれたのでした。
以上、あなたの英語学習の参考になれば幸いに思います。