アラカンだろうが、アラフィフだろうが、アラフォーだろうが、英検1級1発合格はできる。やり直し英語でかまわない。
英検1級1発合格に計画通り実現した自分が収集して実践したノウハウを、相当数投稿しています。
ここでは、それとは少し切り口を変えた形で「ためになる英語」について考えを共有しています。
今回は、「日本の英語学習者は、過保護に慣らされ過ぎているのではないか」という考えについて説明します。
既に英語アレルギーという名の、日本人にありがちな、その大いなる甘ったれ根性を指摘する旨の↓投稿をしています。(未読の方は一読ください)
さて、、過保護でない、やり方とその裏付けとはどんなものでしょうか。
それは、たとえるなら、「ごじぶんをそれまで乗っていたボートからじぶんで海に突き落とすようなやり方」ということになります。
「おいおい、久しぶりに泳ぎ方(英語のテクニック)を思い出しているんですけど。そんな荒っぽいやり方は、やめてください」。そうお考えになるとしたら、もう少し先まで読んでいただけないでしょうか。
まず、こんな実験をしていただきたいのです。
PC上やスマホ上の動画スピードをいつもより上げて見つめてくだっさい。You tubeなら、思い切って速度を通常の2倍に上げていただきたいのです。できれば、字幕の入ったのがいいのですが、出し方がわからなければ、字幕なしでもかまいません。
さて、3分でもいい、2倍速の動画を見ていると、視力がかすかに上がることに気が付くでしょう。字幕の文字や映像の動きに目がが追い付けない?いや追いつけなくてもいいのです、最初のうちは。
そのうち、文字や映像が前よりもはっきり見えるようになっているはずです。
そして、これとおなじことがListeningでも起こります。
同じくYou tubeなり、Podcastingなりで、BBCNewsでもCNNnewsでもいい。2倍速とはいかずとも1.5倍速で聞いてみてください。こんどは聴覚の方ですね。
もちろん、聴き始めは、よく聞き取れないかもしれません。しかし、耳がいつのまにか追いつくようになっていることに気が付くはずです。
もちろん、全部が全部ではないかもしれませんが、視覚上の倍速に対していつのまにか視力向上が生じたように、聴覚にもいい変化が生まれます。
一時的にせよ、追いつけること、前よりも聞き取れるようになっていることを実感できます。
このような実験結果を前提にすれば、やり直し英語において、初級から順々にカメさんよろしく歩み始め、それを延々と続けるやり方は、あまりにもあまりにも回り道ではないでしょうか。
もう一つ例を出そう。かつてテニスブーム全盛だったころ、あるテニススクールに入ったことがあります。そのときどう見ても自分の実力よりは下のクラスに入れられてしまいました。
なぜか。
それは、その方がテニススクールにとってありがたいからである、と推測します。
テニススクールというのは、別に合格が義務付けられている予備校でも学習塾でもありません。
できる限り「ながーくスクール生が通ってくれること」、すなわちスクールにお金を払い続けてくれるお客様でいてくれることが重要だからです。
あるいはこうも言えるかもしれません。
一つ或いは二つ下のクラスに生徒を入れて、適当な時間が経った後、上にあげることによって、生徒のモチベーションをくすぐる。すると生徒は「ああ、あげてもらったから、もう少しづづけようかな」と思う仕掛けになるわけです。別に悪いやり方とまでは申しません。
しかし、こんなことは、この自分が英検教室をもし経営していたら、言えません。が、そういった経営者ではない立場を利用して、ここでは指摘をさせていただきます。繰り返しますが、教室もヴォランティアではないし、こういう「ながーく塾生が通ってくれること、学んでくれること」が非難されるべき行為だと言っているわけではありません。
また、「人生にはまだまだいくらでも時間をかけてもいい、いくらでも、誰かからのなぐさめや動機付けをしてほしい、それがないと英語学習ができない」といった願望の強い方には、この「じぶんでじぶんをあえて海に放り投げてみたら、意外と泳げるようになった」式勉強は、合わないでしょう。無理におすすめは、しません。
それでは、最後にもうひとつ別の例を挙げてしめくくりにしたいと思います。
たとえば、独学ではあっても、数年でショパンの英雄ポロネーズ(かなりの難曲である)を演奏できるようになった方がいます。別に天才でも何でもない。その方が、著書の中でこうぼやいていました。
「クラシックの先生のところに行くと、『まず基本から学びましょう』とおっしゃってずっと練習曲ばかりやらされる、いつまでたっても英雄ポロネーズはやらせてもらえないんです」
いかがでしょうか。
だいたい「基本を積み重ねて応用へ」とか、「初級から中級へ中級から上級へ」とか、本当にそんな道を誰が決めたのでしょう?
それは、あくまでも結果論ではないでしょうか。教育者にとって都合のいい。
しかも、この方の夢は別にショパンコンクールに出たい、コンサートピアニストになりたいといったような夢ではありません。
ただ素人なりに難しい曲であっても、じぶんの気に入った曲をじぶんの指で弾いてみたい、弾けるようになりたいという夢なのです。
だから、いつまでも練習を続けるのではなく、どんどんやらせてみればいいでしょう。
英語に話をもどしましょう。英語は、そもそも言葉なのです。
身振りや手振りやら、双方の共通認識(たとえば仕事の内容)とかいくらでも、やりとりを助ける材料はあります。いくら、日本語とかけ離れた構造の言語ではあっても。
したがって、あんまり悠長なことばかりしていないで、ボートから海に思い切ってじぶんを放り込むような荒療治的学習に切り替えないとやりとりの本当の実力は、つきません。まさに畳の上の水練で、役に立ちません。自分の経験から、はっきり申し上げます。
Reading にしても、読んですぐわかるものから、だんだんとわかりにくいものへ、といったなやり方もいいでしょう。まさにカメさんのやり方ですね。
しかし、自分はこれも見直す必要があると考えます。
あえて思い切ってわかりにくい文章を読んでみる。そして、何がわからないか、何でつまづいているかをチェックして改善していく。そんなやり方の方へ。
なぜか。
どんなに勉強すると言っても、我々は英語学者になるのでなければ、英検教室の先生になるわけでもありません。ビジネス英語で不自由しないようにするとか、少々難しい単語の並ぶニュースなどを見聞きしてうろたえない程度、で十分なのです。
船の上で安穏としているじぶんをじぶんで海に放り投げてみたら、溺(おぼ)れるどころか、前より泳げるようになる。そう敢えて言ってしまいます。
少なくとも自分はこの、この一見荒々しいやり方でスキルアップをしてきましたし、英検1級1発合格もこのやり方あってのものだと信じています。
以上、英語や英会話の参考書には記載されていないでしょうが、本当に「ためになる英語」を身に付けるためのヒントとして読んでいただければ、幸いです。