甘い親の重みあるかたまり
1980年代、自分が、いくつもの広告会社の面接を受け落ち続けているときも、そしてどうにかこうにかコピーライターになった後も、父は息子がどんな職業を目指していたのか、具体的にどんな仕事をしているのか、しばらく理解ができなかった。
さずがに「そのコピーライターってのは、複写機かなんかの営業かなんかか?」とまでは言わなかったが、自分が制作にかかわった新聞広告や雑誌広告を見せても「この活字を作っているのか?それじゃ写植を打っているのか?」といった質問をして、息子を困惑させていた。
とはいえ、父は、母とは違って、「お前は、広告屋なんかより銀行員のような堅い仕事が向いている」といったぼやきのような、小言のようなことは一切口にしなかった。
どうやら息子は広告の文章やCMのアイデアをこしらえる仕事をしているのだ。とおおむね父にとって合点がいくようになった後も、息子の仕事に対する批評めいたことは全く言わなかった。度重なった転職にも、だ。
父が長いお休みに入ってすでに10年以上を過ぎた今にして思えば、優しいと言えば聞こえはいいが、ひたすら息子に甘い父親だったのかもしれないと思い返す。
しかし、勤め人としての現役を退いたからと言っても、普通の男なら小説などわざわざ書いたりはしない。もともと文学青年であったわけでもないのだ。読書家ではあったが、蔵書家ではなかった。
いかに召集間際に経験した二人の女性との関係がそれなりの題材になるからといって、一冊の本にまですることなどしない。
父は、いたって平凡な勤め人だったのだ。しかし、少なくともこの小説書きの一点では例外的な存在であり、一人孤独にこの小説作成にとりかかり、最晩年にやり遂げた。
その息子も、つまりこの自分も実は最近、小説を書いてはみた。いや、厳密にいえば、小説風の物語を書いて、電子書籍にしてみたのだ。
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そのとき、本のタイトルとしてあえて小説という言葉を使わず、「小説風」としたのはなぜだったのか。
それは、父の書いた小説に比べれば、自分のは小説とは呼べまいという一種の気おくれのようなっものがあったからだ。(もちろん、英語学習のための本ということもあるが)
父の書いた小説は文章がいかにも素人のものであり、そしてレトリックらしいレトリックもないし、読者が後からにやりとしてしまうといった趣向もない。
しかし、戦争を経験した人間にしか書けない、あえてたとえれば「黒々とした重みあるかたまり」のようなものが作中に深く刻み込まれていることは間違いない。
それはいまのところ、自分には真似できないものだ。
バブル期にセイシュン時代ってやつを過ごし、その後も、のほほんとこうして還暦過ぎまで生きてきた自分には。