J・McEnroeの自叙伝「Serious」をこう読んだ(7) | ひとときのときのひと

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広告業界で鍛えたから、読み応えのある文が書ける。
外資系で英語を再開し、アラカンでも英検1級1発合格。
警備業界にいたから、この国の安全について語りたい。

そんな人間が、ためになる言葉を発信します。


まずは英語から。

 J・McEnroe、ジョン・マッケンロ。1970年代から1980年代前半にかけて、B・ボルグやJ・コナーズらと共に世界的テニスブームを巻き起こした米国人プレーヤーです。

 

 この本「Serious (まじ)」は、そんな彼が40歳を少し過ぎたごろに幼少期から現役引退ごろまでを回想する内容となっています。

 

 翻訳版が出ていないものの、テニスファンでない方でも、にやりとするようなエピソードがいくつもあるので、ご紹介しています。

 

 

 スーパースターであったコナーズとマッケンロ。この二人の軋轢(あつれき)についての続きの続きとなります。

 未読の方は、こちら↓の二編をぜひお読みください。

 

 

 

 さて、1984年当時、マッケンロは世界ランキングで1位となり(その後、レンドルと1位を奪い合うようになります)、先輩コナーズは、自分より下位にいる状態になっています。

 

 そんな状況下で、いよいよ、ギャラの入りの悪いデビス杯という国別対抗戦にコナーズも出場せざるをえなくなります。

 

 その理由は、デビス杯の監督がアーサー・アッシュという、ウインブルドンでもコナーズを打ち負かした元選手に変わっていたことにありました。このアーサー・アッシュ監督の代理人ドナルド・デールがコナーズのマネージャーも兼ねていた、そんなしがらみから、コナーズも、これ以上デビス杯参戦を拒むことができなくなったのです。

 

 マッケンロはこんな風に当時の状況を説明しています。

 

Anyway, Arthur said, ‘Look, we’ve got the two best players in the worldm Connors and McEnroe; it’s slam-dunk; let’s put them together.’ So Jimmy came on board, for his one and only year while I was on the circuit. It was a big deal; the USTA was very excited. They took a picture of us together: McEnroe and Connors, The Dream team.

 

とにかくアーサーは言ったんだ。「いいか、コナーズとマッケンロ、世界で最高の2人のプレーヤーだよ。成功間違いなしなんだ。彼らを巻き込もうじゃないか」。それで、コナーズは僕がプロでいる間で唯一、この年だけ(デビス杯に)参戦したんだ。ごりっぱなこった。全米テニス協会は騒ぎに騒いで、僕らの写真を撮った。マッケンロとコナーズ、ドリームチームてやつを。

 

 ここからまた奇妙なストーリーが始まります。

 

 そもそもコナーズは、1977年、つまり5年前のウインブルドン大会でのロッカールームで対戦相手のマッケンロからのあいさつを完全に無視しています。おそらく青二才とでも見ていたのでしょう。1984年、つまりこの年のウインブルドン大会ではマッケンロがコナーズに勝利しているのですが、二人の確執はずっと続きます。

 

 そして、この年、1984年の半ば、アトランタでのデビス杯、米国対アルゼンチン戦を控えた前夜祭にあたるディナーパーティをめぐって予想もしないことが起きてしまいます。

 

 先に述べた監督のアーサー・アッシュからマッケンロに電話があり「ディナーパーティにでないでくれないか」と告げられるのです。

 

 もともとジャケットを着たりネクタイを締めたり、全米テニス協会の役員のスピーチを聞いたりと、マッケンロにとってはどうでもいいことではあったのですが、理由を聞いてみると、監督が「コナーズがそうしてほしいというんだ」。

 

    ‘Jimmy would prefer it,’ I repeated, incredulously, ‘I’ve played every match for last six years, and now Jimmy prefers that I not come, so you don’t want me’ Gee, Arthur, that doesn’t seem like too cool thing.’

 Arthur thought bout it for a minute. ‘You’re probably right; that probably isn’t too cool a thing.’ He apologized, and told me to come a head to the dinner.

 So then Jimmy refused to go. Not only that, he also refused to stay in the team hotel-mainly because of me, I assume.

 

「コナーズがそうしてほしい」。僕(マッケンロ)は信じられないって感じでオウム返しをした。「僕はこの6年間、デビス杯の試合をつぶさにプレーしてきたんだ、なにかい、コナーズが僕に来ないでくれって言ってる、それで監督のあんたは来るなって、ねえ、アーサー、それは、カッコわるすぎんじゃないの」

  アーサーは少し考えてから「そうだよな、あまりカッコよくないことなんだろうな」と謝罪してくれて、改めてディナーに来てほしいと言った。

 それで今度は、ジミーが出席を拒んだんだ。それだけじゃない、コナーズは米国チームの宿舎に泊まるのも拒否したんだ、たぶん、僕のせいだと思うが。  

 

 ちなみにこの対アルゼンチン戦に関して、米国チームは5試合全部で勝利します。しかし、コナーズとマッケンロはその間、一回も一緒に練習せず、1回も話をしなかったとマッケンロ本人がこの本で述べています。