勤学の志士たちへ【中編】 現代貨幣理論から考察する日本の福祉介護の続きの記事です。
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祈りと愛をこめて
夢リハチームから貴方へ、記事をお届け致します。
夢のリハビリテーションをめざす楽園の逸材、偕楽園ホームの夢リハです。
どうぞ宜しくお願い致します♪<(゚ー^)ノ
【僕のいる場所。社会福祉法人一誠会のホームページ 】
鉄鋼王のカーネギーは言いました。
「お金が貴い理由は、正しく得る事が難しいからだ。
また正しく得ても、正しく使う事が難しいからだ」と。
アメリカの大富豪といえば石油王のロックフェラー、金融王のモルガンらがよく知られていますが、彼らに匹敵する大富豪でありながら異彩を放つ人物が、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーです。
鉄鋼王のアンドリュー・カーネギー
「人を動かす」の著者、デール・カーネギーではありませんよ
「蓄財は偶像崇拝の悪い種の一つだ。金銭崇拝ほど品位を低下させる偶像はない」
「金持ちが金を持ったままで死ぬのは恥だ」
カーネギーにはそのような座右の銘があったそうです。ラバーバロン(泥棒貴族)の一角として批判を受けましたが、彼は巨大財閥を築きませんでした。
カーネギーの「Wealth」に共感する私は、それでも貨殖至富に志ある人々を応援しています。
江戸時代の心学の祖石田梅岩が「商人の売買の利益は、武士の禄と同じ」と説いたように、或いは渋沢栄一が官尊民卑の弊風を一新せんが為に大蔵省を辞して実業家になったように、正当な手段でお金を稼ぐ事は素晴らしいと思います。
何と言っても、GDPが増えますし。
此処で大切な事は、石田梅岩が石門心学という民衆の道徳教育に力を注いだ人物である事や、渋沢の言に「世の貨殖致富に志あるものは、宜しく論語を以て指針とせらん事を希望する次第である」とある事など、彼らもアンドリュー・カーネギーと同じく「正しい稼ぎ方、正しい使い方」を重視していた点です。
勲業不朽
(くんぎょうふきゅう)
勲業不朽とは、国や主君に尽くした成果は、永久に朽ち滅びる事がないという意味です。単なる成功者の名が殆ど何れ消えていく事に対し、渋沢やカーネギーのように正しくお金を得て正しく使った人物は、偉人として末永く名を残すのでしょう。
私達、半分公費で運営される業界で「お金を正しく得て、正しく使う」には、貨幣論を正しく理解する事が不可欠。夢リハ達はそう考えています。
お金って何だろう?
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貨幣の歴史をまた少し紐解いてみましょう。
之は、勤学の志士たちへ 【中編】で紹介したナポレオン戦争の、凡そ200年前。
17世紀イングランド王国の話です。
当時のイングランド王国の通貨は、金貨でした。
金貨はとても嵩張(かさば)ります。
商人達は、日々増えていく金貨の保管方法にずっと悩んでいました。毎日持ち歩くには重量がありすぎ、かと言って何処かに備蓄しておけば、泥棒は勿論、雇っている金庫番にさえ持ち逃げされる事が珍しくなかったからです。
イングランドの商人達は、金貨をロンドン塔へ預けることにしました。
ロンドン塔は王国の要塞で、非常に安全と思われたからです。しかし‥‥
1640年。イングランドのチャールズ1世という王様が戦費調達に行き詰まり、何とロンドン塔で預かっている商人達の金貨を全て没収しようとしました。
商人らの猛反対を受けてチャールズ1世は金貨没収を諦めました。
しかし、もうロンドン塔に金貨を預ける人は誰もいなくなりました。
_| ̄|○ ガックリ
ロンドン塔から取り戻した金貨を、商人達は何処に持っていったのでしょう?
答えは、ゴールド・スミス(金匠)の金庫です。
ゴールド・スミスとは、金細工職人を指します。彼らは金貨を鋳造するという職業柄、大量の金を保管する堅牢な金庫を持っていたのです。
ゴールド・スミス達は金貨を預かると、同等の金貨と何時でも引き換えられる証書、金匠手形(ゴールド・スミス・ノート)を発行しました。
此処までは、普通の話。
しかし間もなく‥‥
ゴールド・スミス達は、気づいてしまいました。
金匠手形を持つ商人達が、全員一斉に金貨の引き換えに来る事はない‥‥と。
かくしてゴールド・スミス達は、預かっている金貨を、困っている人々に貸し付けるビジネスを始めました。
ところが、金貨を借りた人には、前述した金貨保管のリスクがあります。
また、金貨を借りた人から支払いを受けた人は、その金貨をまたゴールド・スミスに預けて金匠手形に交換するという面倒くさい工程が生じます。
結局、楽に管理できるし合理的な金匠手形が紙幣として流通するようになりました。
ゴールド・スミスは金匠手形に金額をサラサラ~っと書いて貸し出すだけ。
之が銀行の始まりです。
勿論、金匠手形を持っている人に要求された時は、ゴールド・スミス達は金貨を渡さなければいけません。
ですからゴールド・スミス達は、以下の事に気をつけました。
手持ちの金貨の量と相談しながら、世間への貸付量を考えるという事です。
之こそが、預金という貨幣を創造できる(=信用創造)銀行が、利子を払ってまで国民からお金を集める理由の一つです。本連載記事の最後の話題でもあります。
此処を理解する事が「お金とは何か」を理解する要点、と個人的には思います。
日本のお金の単位は円ですが、その円は一種類ではないという事です。
・硬貨と国債は、政府が発行する貨幣(円)です。
・現金紙幣は、日銀が発行する貨幣(円)です。
・預金は、銀行が発行する貨幣(円)です。
仮想通貨は貨幣なのか、という疑問に関して、之はまだ新しすぎて定義が定まっていないようですが、私見を申し上げておきます。
之で税金を払う事はできません。また政府や日銀と関係なく誰でも発行できます。単位は円ではありません。よって、之はまだポイントや投機商品の類の域を出ないのではないでしょうか。
銀行は、預金という貨幣を発行できます。
しかし、現金という貨幣は発行できません。
此の事から、預金者が一斉に口座から現金を引き出したりして、銀行の現金が底を突く事を――
取り付け騒ぎ(Bank run)
と言います。
草莽崛起を呼びかけています。
財務省はじめ省庁に居並ぶ「選び抜かれた超エリート戦士達」と斬り結ぶ為には、鍛え抜かれた知識・見識の刃が不可欠です。
見識の刃を鍛える方法の一つは、歴史から学ぶ事です。我々はともすれば、科学が過去から未来へ向けて進歩する事と同様に、政治や経済も過去より現代の方が優れていると思いがちです。
しかし、その思い込みには根拠がありません。
終戦以降でさえ、池田勇人首相の所得倍増計画や小渕恵三首相の金融再生法のように、過去の政治家の方が優れた成果を上げている事も少なくないのです。
世界経済で言えば、「ケインズは死んだ」と宣言したミルトン・フリードマンの経済学説が主流になった後、貧富の差は恐ろしい程拡大し、中流階級の多くが没落しました。
「2021年になっても、新型コロナウイルスの脅威は続いています。
まるで透明な爆弾を使った空襲のように、国内の生産力を破壊しています」
愚生も寒空の下で半ば凍えながらお昼を食べたりしていますが、この新型コロナウイルスに関しても、1843年生まれのロベルト・コッホによる感染症研究から見ておかしいと主張する人々がいます。
現代の感染症研究は、過去よりも優れているのでしょうか。
(コッホの原則に関する参考資料:https://www.youtube.com/watch?v=L9Ss6MTU5_0)
偕楽園ホームでは、無毒化した次亜塩素酸ナトリウム(カンファスイ)や
アルコール消毒等で、一生懸命! 感染症対策に努めていますよ
お金の話に戻しましょう。
日本初の取り付け騒ぎは、1927年です。当時、関東大震災の影響により、日本国内には経営悪化している中小銀行が数多くありました。
そんな金融不安の折も折、衆議院予算委員会で片岡直温という大蔵大臣が、「東京渡辺銀行が、とうとう破綻を致しました」と失言してしまったのです。
之は全くの失言であったのですが、大変な事態に発展してしまいます。
苦しいながらも破綻回避に尽力していた東京渡辺銀行は、片岡の失言が止めとなり、休業に追い込まれてしまいます。すると鈴木商店(現在の双日株式会社のルーツの一つ)が倒産する等、金融不安の炎はどんどん燃え広がり、遂には全国的な取り付け騒ぎとなって大混乱となります。
昭和金融恐慌です。
時の若槻内閣は、総辞職。
あとを次ぐ田中義一総理の依頼で、73歳のある人物が――
加齢に加え病後の衰弱も激しく、とても激務に耐えられる状態ではなかったのですが、「かかる国難を見過ごせぬ」と火中の栗を拾うべく、大蔵大臣に復帰したのです。
田中義一
田中義一から昭和金融恐慌の解決を託された73歳の人物こそ、夢のリハビリテーション特集号の最後を飾る人物、高橋是清です。
だるまさんの愛称で親しまれた高橋是清。
まずは、その人生をご紹介しましょう。
高橋是清
・10歳でヘボン塾に入る。
・米国留学するも、手違いで奴隷として売られてしまう。
・帰国後は、15歳にして遊女のヒモになる。
・ヒモをしながら英語教師をし、詐欺にあって一文無しになる。
・困っているところを森有礼に拾われる。
・農商務省の官吏から特許局長にまで昇進する(日本の特許制度の父)
・南米でまたもや詐欺にあって家屋敷も失い無一文になってしまう。
なかなか豪快な人生を送るうちに、高橋是清は30台半ばになります。
省庁時代の先輩である前田正名から三菱商会の大番頭の川田小一郎を紹介され、数年後には日銀の副総裁になります。同時期、「坂の上の雲」でも有名なエピソードですが、井上馨から日露戦争の戦費調達の為の外債募集を依頼されるのです。
井上馨
高橋は、井上馨による難題を見事解決しました。
反ロシア帝政に情熱を燃やすジェイコブ・シフ(ユダヤ人でアメリカの銀行家)の支援を得られた事が大きかったとも言いますが、欧米列強から見ればまだまだ信用のない日本の戦時国債を売って巨額の戦費を集めたのですから、高橋の交渉力には驚きます。
日露決戦にあたり命運を握った一人は、薩英戦争で鹿児島城下が火の海にされる場に居合わせた東郷平八郎でした。此の一戦に敗れれば日本全土が鹿児島城下の如く火の海になるという思いと共にバルチック艦隊に挑み、勝利したと言われています。
それは胸を打つ逸話ですが、私は高橋の働きがなければ、そもそもバルチック艦隊を迎え討つ為の軍艦を日本は準備できなかったと考えています。我々はロシアに敗れ、国土は火の海になり、悲惨な破壊と略奪を受けていた事でしょう。
講和条約記念館
(写真は日清戦争のもの)
セオドア・ルーズベルトの仲介による講和条約締結まで日露戦争を戦い抜く事ができた影の功労者として、高橋は重要な役割を果たしました。
日露戦争講和後、高橋は日銀総裁になりました。
その後は政界に身を投じ、総理大臣を1回、大蔵大臣を6回務める等の大活躍をしました。そして昭和11年、226事件で陸軍青年将校の凶弾に倒れ、波乱の生涯を閉じたのです。
金兌換の停止や不換紙幣に関して、勤学の志士たちへ【中編】のナポレオン戦争の項でご紹介しました。
明治・大正期の日本は、大隈重信による不換紙幣と積極財政、松方正義による緊縮財政と銀本位制(金本位制)の間で揺れた時代でした。
大隈、松方の後を継いだ高橋是清は、不換紙幣によって1927年の昭和金融恐慌を44日で解決し、さらに1930年の世界大恐慌から世界で最も早く日本を脱出させたという救国の士です。
片面印刷の紙幣
市民を安心させる為に膨大な量のお札を刷りましたが、
あまりに急いでいた為、裏が白かったのです。
高橋是清、73歳。
昭和金融恐慌の時代に戻ります。
高橋は1927年4月19日に就任し、わずか3日後、4月22日には大胆な策を実行に移しました。全ての銀行を3日間休業させたのです。
そして片面白紙の紙幣を、造幣局をフル稼働させて刷りまくりました。
4月25日。休業開けの銀行の窓口には札束(片面白紙)が山積みになっていて、市民の目に触れる事になります。
更に、3週間のモラトリアム(支払猶予令)を実施。
取り付け騒ぎに端を発した昭和金融恐慌は、僅か44日で沈静化しました。
大蔵大臣が何て事を! と思わせる程の天衣無縫の一手は、先に紹介したように豪快な人生を送ってきた高橋らしさに溢れていると感じます。
歴史の分水嶺とも言える国難を回避した辣腕家、高橋是清の貨幣観は、豊富な実務経験(関与と実践)に裏打ちされたプラグマティズムの極致であり、日本史上の奇跡の一つです。
同じような危機を迎えた時。
過去という教科書があって尚、現代の政治家達に同じ奇跡が起こせるでしょうか。
不忘念
(高橋是清 一行書 ふもうねん)
1927年の昭和金融恐慌を日本は乗り切りました。
1930年、世界大恐慌が日本に襲いかかります。
日本資本主義の父、渋沢栄一が92歳の大往生を迎えたのが、1931年。
日本資本主義最大の危機がその年、やってきたのです。
高橋是清は人生5度目の大蔵大臣として、此の危機に処しました。その際、高橋がケインズ主義的な財政金融政策を実行し、世界に先駆けて恐慌からの脱出に成功した事は、あまりにも有名です。
「日本のケインズ」とも称された高橋の主な政策について要約すれば、金本位制からの離脱と金兌換の停止、金利の引き下げ、日本銀行券の発行限度の引き上げ、そして日本銀行による国債の直接引き受けと財政支出の拡大です。(※参考:中野剛志著「日本経済学新論」)
高橋財政が挙げた成果は、正に劇的なものでした。
1931年~36年迄。
日本の国民所得は60%増加し、1936年には完全雇用の状態を達成しました。
しかも!
ハイパーインフレーションどころか、消費者物価は18%しか上昇しなかったのです。
経済自由主義(金本位制や健全財政等)が、当時は正当で主流とされていました。
破天荒な高橋の政策は、そうした主流の考え方から大幅に逸脱するものでした。
それは同時に、1936年に刊行されたジョン・メイナード・ケインズの「雇用・利子および貨幣の一般理論」を先取りしていたのです。
常識破りのだるまさんは、またもや奇跡を起こし、76歳にして日本を救ったのです。
組織や国家、共同体への偉大な貢献は、救った――或いは救おうとした人々から、理解されない事が少なくありません。
寧ろ「権威を傷つけられた。面子を潰された」と捉えてしまう嫉妬深い人々によって憎まれたり、時には激しく攻撃されたりするのです。
高橋是清は世界の経済学者に先駆け、機能的財政論を完全に理解していた。
私もそう思います。
機能的財政論とは、何か。
夢リハ的にざっくり言うと、デフレ⇔インフレのバランス論です。
高橋は1936年以降、高インフレによる嵐の気配を察知していました。
それを回避する為、最大の内需、膨張する軍事費を一転して抑制したのです。
その理由を理解できなかった一部の重鎮や高橋の活躍を快く思わない者達が、青年将校を唆(そそのか)し、226事件の標的に高橋を加えたという説があります。
◇◇◇
巧言令色鮮し仁と言いますが、舌先三寸の扇動者達によって、胆識を有するプラグマティストが排斥された事例と言えるかも知れません。
残念ながら、よくある事です。
ずっと貨幣の歴史を、福祉介護と重ねながら見てきました。
忠君愛国を掲げる渋沢は、当時の農工商階級の地位向上を訴えました。之は、農工商の事業を営む事は国益に資するという信念に由るものでしたが、現代で言えば福祉介護も当時の農工商と同じく、国の為に国民たるの本分を尽くす事業です。
之は、ただの美辞麗句ではありません。
霧の偕楽園ホーム
私達が幼い頃、親は畏敬の対象です。
しかし、子供が成長する一方、親は徐々に衰えていきます。
「現代人は、良い年齢(とし)をして、最も尊敬する人物に親を挙げる人が少なくない」 私淑する方が、そう嘆いているのを見聞きしました。
大人はその時々に於いて、敬の対象を変えていくべきです。衰えた親が敬の対象のままですと、敬する人への失望から負の感情が生じてしまう事もありましょう。
敬は何処かで孝に変わらねばなりません。孝の精神によって、年老いても安心して共同体で過ごせる事は、ネイションにとって非常に有益です。
我々の仕事は孝の精神をもって国体を護持する尊いものであり、更に孝の精神を義理合一で産業化しているのです。
◇◇◇
孝の守護者たる私達を公務員化する事に、何の支障がありましょう。
まして労働者全体の底上げは、社会全体を豊かにするのです。
一部の富豪が消費する量など、たかが知れています。国民全体が豊かになる事によって消費は勿論、実体経済への投資が高まり、日本は復活するのです。
流行語に反論しておきましょう。
よく考えれば、誰でも分かる事ですが‥‥。
何処かの働き者の総理大臣が盛んに仰っている言葉、生産性の向上。
そんなものは、まやかしです。
当たり前です。
同じ物を、同じ量だけ作って売り続けたとします。
1931年の高橋財政をモデルにして考えましょう。
高橋財政では、国民所得が60%増加して消費者物価が18%上がりました。
自分の作った品物も18%値上がりして同量売れていれば、どうなるでしょう。
答えは、自然に労働生産性は18%向上しているのです。
(参考:https://bowgl.com/labor-productivity/)
労働生産性を、上図で考えてみましょう。
・分母(従業員数・時間あたりの労働量)を減らす。
設備投資も含め、之だけが労働生産性を高める手段ではありません。
・分子(労働による成果)を増やす。
此の方が、労働者に負担なく労働生産性を高める事ができます。
生産性が向上しないからGDPが上がらないのではありません。
GDPが上がらないから生産性が向上しないのです。
その程度の現象なのです。
高橋財政に倣うには、緊縮財政を終わりにし、(当時なかった)消費税を見直す他に、何をしたら良いでしょうか。
関税自主権の積極的な行使が必要です。海外の安い労働力から国内産業を保護しなくてはなりません。
明治の先人達が、日本の塩や煙草産業を守ったように。
福祉介護に於ける生産性の話を此処で綴っていたのですが、チームで討論しながら書いた部分が消えてしまいました。字数制限もあり、次回以降の話題に致します。
◇◇◇
キング牧師は言いました。
「正しい事をするのに、時を選ぶ必要はない」と。
パワフルな政治家や成功者に会った時。
我々は、浮かれて写メしてインスタしている場合ではありません。
偕楽園ホームからほど近い桂福寺で、天然理心流の剣を磨き有事に備えていた多摩の郷士達のように、見えざる見識の剣を抜く備えを日頃からしておくべきです。
自戒を込めて
渋沢栄一も、大蔵省を辞した動機について、次のように述懐しています。
「当時の民間事業者は旧来卑屈の風がまだ一掃せぬから、在官の人に対する時にはただ平身低頭して敬礼を尽くすのみで、学問もなければ気象もなく(中略)自分は慨嘆のあまり現職を辞して全力を奮って商工業の発達を謀ろうという志望を起こした」
◇◇◇
3日前、前回円滑な食事介助をうまく再現できなかったご利用者の昼食に、また私は関与しました。
KKD(勘と経験と度胸)主義に陥る事がないよう、反省点は誰でも見られる場所になるべく科学的に記録してあります。そこから新しい仮説を立て、スプーンを運びました。
こほんと小さくムセる場面すらなく、円滑にお食事は済みました。
(そして今日は、傾眠強く食べてもらえず‥‥(T_T)
百発百中でスーパーマンのようにカッコ良くはできません。
上手くいったり、失敗したり。
手応えがあったり、見失ったり。
事上磨錬という泥濘の道。知識を学び見識の刃を研ぎ澄まし、官尊民卑に陥る事なく、堂々と意見を主張していきましょう。
曾子曰 慎終追遠 民徳帰厚矣
偉大な日本よ、再び!
最後までお付き合いくださり、有難う御座います。