よく、私は廻りから”いいなぁ”と言われていた
のを覚えている。
自分がやりたい事を仕事にして、それこそ華や
かな世界にも身をおいていたから。
でもそれに疑問が全く無かったわけではないけど、
ある意味タイミングとしてその生活から脱退する時
が突然やってきた。
あの時、大げさではなく電話が鳴った次の日に
突然やめる事を決意して言った私の我侭をそのまま
受け入れてくれた会社と同僚は、今思ってもすごい
と思う。
普通は許される事ではない・・・。
でも、本当に私はあの時のチョイスに後悔も何もない。
電話を切る前から、もう決まっていた。
久々の実家暮らしは、はじめちょっとしたイベントになった。
なつかしの友人たちと会いながら、母と祖母の介護、そして
家業の手伝いは久しぶりの初体験のような、ちょっとした
人生の変化だった。
母の病名は、”特発性間質性肺炎”。
身体障害者として登録できる、難病だった。理由もなく、
今の技術では直す事も出来ない病気だった。
病気といえど、いろんな物があるが、実際一番大変なのは
肺だとも言われている。呼吸が出来ないのは、痛いのよりつらい。
痛みは痛み止めで飛ばす事が出来るけど、呼吸ができないのは
意識を飛ばしてしまうしか方法がない。
狂ったように、一時は病気について調べた。医学が進んでいると
言われれば、英語のサイトも熟読した。
でも、更年期障害も併用していた母には、もう移植手術も出来なかった。
→Ⅶへ続く