Visaの問題もすぐ上がってきた。
私はその頃、20代前半の仕事経験が浅い日本人。
どうしても、取れなくて断念し帰国せざる終えなかった。
日本に帰って来てからは、目的を失い空虚な日々を
送っていた気がする。
でも、例の社長は日本でやってみないか?と言ってくれ、
改めて新しいブランドを日本でやる事になった。
母は私の為に悲しみつつも、嬉しそうに都内に住む事に
なった私にほぼ毎日のように連絡をよこしていた。
日本での、アパレルもまた新たな発見や楽しみがあり、
最初は抵抗もあったものの、すぐ仕事づけの毎日になっ
ていった。ただ救いは、毎月、香港・中国・LAへ買い付け
や工場管理などで飛べた事。
ずーっと日本に滞在する訳ではなく、毎月海外へ仕事に
そして心のリフレッシュに行ける事がとにかく嬉しかった。
海外の人間たちに触れ合い、そしてその日本とは全然違う
時間の過ごし方に、私はとても安らぎを感じていた。
そんな毎日が、4~5年続いていた。
その間に、デザイン・工場管理以外にも、スタイリストとして
動いたり、またカメラマンとのセッションでモデルをしたり、
また自社ブランドでのお店を2店舗展開したりと、様々な
事が毎日のように起こっていった。
洋服に囲まれ、楽しい仲間に囲まれ、私はやりたかった事
をどんどん現実にしていった。
そんな時だった、突然電話がなったのは。。。
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