五島列島直行瀬渡し船「邦王」 | オタ君の五島列島釣り日記

オタ君の五島列島釣り日記

少しデザインを変更してみました

2005年4月17日 嵯峨ノ島にて

 

2014年12月27日 名護屋港にて

 

先月、悲しい連絡が入りました。

邦王の中尾船長が亡くなったと。

 

この邦王と中尾船長との出会いは今から27年前、24歳の時になります。

学生時代、4月から社会人になる前に一度は五島へ行ってみようとなり、今は廃刊となった「釣紀行」に掲載された広告の中から選んだ船が邦王でした。

初めて乗り込んだ邦王は呼子から船に揺られること3時間、着いたのは荒々しい五島の礒...とは思えない静かな無人島。

釣りを始めるとカゴ釣りで大型イサキが入れ食いになり、「五島恐るべし」と思ったものです。

後でわかったのは、ここがその後何度も大物を仕留めた下五島「姫島」でした。

 

それから邦王、そして中尾船長との長いつきあいがスタートしました。

下五島に詳しく、天候がよければ遠く姫島や嵯峨ノ島まで走ってくれる半面、時化たときの中止の判断が早い船長でした。

さらに天候は常にチェックして海が荒れる前には磯から回収して安全面を最優先しました。

 

釣りクラブには所属せず、一人で釣りに行くことが多かったので、釣りのノウハウは中尾船長が教えてくれました。

石鯛釣りを始めたときは釣り方やエサのことだけでなく、釣れるポイントをあちこち案内してもらいました。

夜は礒でなく船から釣らせてもらったこともありました。イサキやアジがクーラー一杯になったものです。

釣りをせずに船で飲み明かす…なんてこともあったかな。

他船に乗ったときも「今の潮ならそこより××のほうがいい」と電話で瀨替わりの指示をしてもらうなど面倒を見てもらったものです。

ただ、ここ数年はコロナ禍で五島の瀬渡しをせず、壱岐方面への船釣りがメインでした。

姫島、嵯峨ノ島がとても懐かしく感じます。

 

オタ君の釣り人生は中尾船長に育ててもらったようなものです。

本当にお世話になりました。

これからは自分の力で大物を釣り上げてみせます。

 

合掌。

 

2005年4月17日 姫島にて

2012年5月12日 ママコ瀨にて