(34) 弥陀の回向成就して  往相・還相ふたつなり ー2つで一つ、すべての人が救われる道ー | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

おはようございます。ご機嫌いかがですか?

シュウチャンネルのしゅうです。

今日も一緒にお参りをいたしましょう。

 

ファビアの実家で家族ともども一緒にシュハスコ(ブラジルの焼き肉)を頂きました。皆でワイワイと楽しそうに話していますが未だにほとんど意味はわかりませんがこちらも楽しい気持ちになります。味付けは岩塩だけで炭火で焼くのですがお父さんは薪で焼くのです。味わいがまた違うそうですが、実際かなり美味しいのです!ビールが進みます。

 

おはようございます。

正信偈 Shoshingue p29

https://www.dropbox.com/s/yzwfdyup0v4wxn8/gongyo-shu.pdf?dl=0

 

 

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(34)

弥陀の回向成就して

 往相・還相ふたつなり

 これらの回向によりてこそ

 心行ともにえしむなれ

 

 

(34)

弥陀の廻向成就して

往相・還相ふたつなり

ワウサウハコレヨリワウジヤウセサセムトオボシメスヱカウナリ

グヱンサウハジヤウドニマイリハテハフゲンノフルマイヲセサセテシユジヤウリヤクセサセムトヱカウシタマヘルナリ

これらの回向によりてこそ

心行ともにえしむなれ

 

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 

往相還相

おうそう-げんそう

 【左訓】「往相はこれより往生せさせんとおぼしめす回向なり。還相は浄土にまゐり、果ては普賢のふるまひをせさせて衆生利益せさせんと回向したまへるなり」(異本)(高僧 P.584)

 

 

Mida no ekô jôju shite

Ôsô Gensô futatsu nari

Korera no ekô ni yorite koso

Shingyô tomoni eshimu nare

 

A realização da Transferência de Méritos do Buda Amida

Possui dois aspectos: A Graça da Ida e a Graça do Retorno.

É devido a essa Transferência de Méritos,

Que nós recebemos a prática e a essência do Voto Original.

 

Kôsô Wasan (Hinos em louvor dos Patriarcas) composto pelo Tonsurado Ignorante Shinran

– Hinos em louvor a Tan-luan (Donran Kashô).

 

Rev. Wagner Haku-Shin / Shinshû Ôtani-Ha Apucarana Nambei Honganji

http://honganji.org.br

 

 

お西オフィシャル

 

(34)

Na realização dos Votos de Amida, através dos quais recebemos virtudes,

Há as duas fases, a Ida e o Retorno. 

É devido a esta Transferência

 Que podemos receber a Fé e o Nembutsu. 

 

 

1 Duas fases, a Ida e o Retorno 往相還相 Há duas fases da transferência dos méritos por Amida para nós: uma é irmos à Terra Pura e realizarmos a lluminação, e outra é retornarmos a este mundo de Samsara para salvar outras pessoas. 

 

感話

 

人間が努力する道に色々ありますが、その道のあり方と努力の方向性を回向とか他力とか、往相還相 おうそう-げんそうという言葉を駆使して私達の迷妄の日常を破ってくれるのです。

いつも自分を中心にしてしか世の中や他人や自分を確認できない人間に、他力とか如来の行とか言われてもピンとこないのが当たり前なのかもしれません。

しかし「お陰様で」とか日常に家族に「行ってらっしゃい!」と行く人に帰ること前提で話しかけたり、実はいつも使っている働きなのです。そこを自覚化することで多くの人が救われて来たのが誰でも平等に救われる念仏の道なのではないでしょうか?

 救われないようにしているのは誰なのか。そこも明らかにしていきましょう!

 

それでは明日もまた一緒にお参りをいたしましょう! チャオチャオ!

 

 

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