4-9 疫癘の御文 Bom dia Rito matinal do Templo em Marília. ブラジル🇧🇷お寺から朝のお参り中継
おはようございます。
今日もとっても寒くって北陸時代を思い出しました。倉庫から電気ストーブを取り出してつけました。
ブラジルは六月から冬に入って行きます。雪は降らないものの朝晩寒くなって電気のシャワーが効かなくなってきますが、
私のおうちには電気風呂があるのでそれで温まっています。 ブラジルのコロナのニュースが日本まで伝わっているらしく、
たくさんの心配のコメントがありました。ありがとうございます。
さて、今日は正信偈のお参りです。
こちらからお勤めの本をダウンロードできます。 (無料です)
正信偈は29ページからとなります。動画内でもページ数をアナウンスしております。
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4-9 疫癘の御文
当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。
しかれども、今の時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきやうにみなひとおもへり。これまことに道理ぞかし。このゆゑに阿弥陀如来の仰せられけるやうは、「末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、罪はいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべし」と仰せられたり。かかるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、極楽に往生すべしとおもひとりて、一向一心に弥陀をたふときことと疑ふこころ露ちりほどももつまじきことなり。
かくのごとくこころえのうへには、ねてもさめても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すは、かやうにやすくたすけまします御ありがたさ御うれしさを申す御礼のこころなり。これをすなはち仏恩報謝の念仏とは申すなり。あなかしこ、あなかしこ。
[延徳四年六月 日]
感想
今日の御文は京都山科での御文の最後になります。疫病とは流行病や伝染病のことです。いまでいうコロナ騒動と同じことがおこっていたのです。当時はまだ戦国時代で、そのうえ大雨や洪水で飢饉もおこり、いまのコロナ以上の騒ぎだったと思われます。
それなのに、というかそれだからこそお寺に参って仏法に耳を澄ましていたのでしょう。
しかも現代でもコロナが治るとかコロナ退散というお勤めがあるのですが、蓮如上人は
「疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。」
と仏教の生死観に立って念仏を勧めておいでになります。つまり念仏の教えによって病気を必要以上に恐れず、また他人が病気ならば助け、共に病気とともに生き死んでいく身をもって励ます合う世界が生まれることをおっしゃっています。
いまの頃な騒動でも必要以上に他人を責めたり、時には必要以上に恐れて病ではなく精神的に参ってしまう人がたくさんおいでになります。実は私達の命はコロナ騒動以前も儚く、いつ病気や事故で失われるかわからないのでした。
であるからこそ、この与えられた命を慈しみ、一日一日の今を大切にすることが求められているのです。
今回の御文のテーマだと思います。
それではまた明日一緒にお参りいたしましょう! コメント感想など気楽に書き込んでください。
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