2-10 『仏心凡心一体の御文』 ー他力本願という言葉の本当の意味ー | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

2-10仏心凡心一体の御文Bom dia Rito matinal do Templo em Marília. ブラジル🇧🇷お寺から朝のお参り中継Live.

 

おはようございます。毎日ブラジルはマリリア市のマリリア真宗本願寺から朝のお勤めを中継してます。

 日本時間だと夜の7:30になってしまいますがそこは録画してあるので自由に調整できます。 夜にお夕事(夜のお勤め)ということでもできます。日本でも中継を時々友達や家族が見てくれることがあります。

 中継していると誰が見てくれているかはコメントをもらったらわかるのですが、人数は表示されます。今まで一番多いのは10人でそれでもびっくりしました。いつもは0から1ですから。

それでも一つでもついていると嬉しいものです。不思議なもので続けていると最近は2−3人が見てくださっていることもあってやりがいがあります。 コメントなどくれたらもっと嬉しいです。

 

今日は阿弥陀経のお勤めです。

伽陀

 

阿弥陀経 8ページ

短念仏

和讃 十方微塵世界の 添 万行の  50ページ

回向 願以此功徳

です。 御文はページの下に原文を掲載して、リンクを辿れば言葉の意味もわかるようになっております。

最後に私の感話を書いています。

 

 

毎日お勤めして、仏教の言葉を聞き、感想を各自述べていく、話し合う、書き留めると仏教の教えが生活の中でわかりやすく響いてくれるようになります。

 

それでは今日も一緒にお参りしましょう!

 

 

 

 

2-10 仏心凡心一体の御文

 

 それ、当流親鸞聖人のすすめましますところの一義のこころといふは、まづ他力の信心をもつて肝要とせられたり。この他力の信心といふことをくはしくしらずは、今度の一大事の往生極楽はまことにもつてかなふべからずと、経・釈ともにあきらかにみえたり。さればその他力の信心のすがたを存知して、真実報土の往生をとげんとおもふについても、いかやうにこころをももち、またいかやうに機をももちて、かの極楽の往生をばとぐべきやらん。そのむねをくはしくしりはんべらず。ねんごろにをしへたまふべし。それを聴聞していよいよ堅固の信心をとらんとおもふなり。

 答へていはく、そもそも、当流の他力信心のおもむきと申すは、あながちにわが身の罪のふかきにもこころをかけず、ただ阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、かかる十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人までも、みなたすけたまへる不思議の誓願力ぞとふかく信じて、さらに一念も本願を疑ふこころなければ、かたじけなくもその心を如来のよくしろしめして、すでに行者のわろきこころを如来のよき御こころとおなじものになしたまふなり。このいはれをもつて仏心と凡心と一体になるといへるはこのこころなり。

これによりて弥陀如来の遍照の光明のなかに摂め取られまゐらせて、一期のあひだはこの光明のうちにすむ身なりとおもふべし。さていのちも尽きぬれば、すみやかに真実の報土へおくりたまふなり。しかればこのありがたさたふとさの弥陀大悲の御恩をば、いかがして報ずべきぞなれば、昼夜朝暮にはただ称名念仏ばかりをとなへて、かの弥陀如来の御恩を報じたてまつるべきものなり。このこころすなはち、当流にたつるところの、一念発起平生業成といへる義これなりとこころうべし。

さればかやうに弥陀を一心にたのみたてまつるも、なにの功労もいらず。また信心をとるといふもやすければ、仏に成り極楽に往生することもなほやすし。あら、たふとの弥陀の本願や。あら、たふとの他力の信心や。さらに往生においてその疑なし。しかるにこのうへにおいて、なほ身のふるまひについてこのむねをよくこころうべきみちあり。それ一切の神も仏と申すも、いまこのうるところの他力の信心ひとつをとらしめんがための方便に、もろもろの神・もろもろのほとけとあらはれたまふいはれなればなり。しかれば一切の仏・菩薩も、もとより弥陀如来の分身なれば、みなことごとく、一念南無阿弥陀仏と帰命したてまつるうちにみなこもれるがゆゑに、おろかにおもふべからざるものなり。

またこのほかになほこころうべきむねあり。それ国にあらば守護方、ところにあらば地頭方において、われは仏法をあがめ信心をえたる身なりといひて、疎略の儀ゆめゆめあるべからず。いよいよ公事をもつぱらにすべきものなり。かくのごとくこころえたる人をさして、信心発得して後生をねがふ念仏行者のふるまひの本とぞいふべし。これすなはち仏法・王法をむねとまもれる人となづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

  [文明六年五月十三日これを書く。]

 

 

感想

 

今日の御文は昨日に引き続き、仏の心と人間の心が一つになるということを中心にして展開している。

 これを梵我一如 世界と自分が一体になる恍惚とした信仰心と間違えられそうですが、蓮如上人は「他力の信心」である、つまり阿弥陀仏の本願が我々に完成することで、全ての人が救われるのであってあなた一人が仏の心と一体になって悟りを開くような教えとは一線を画しているのだと思います。

また、南無阿弥陀仏の教えを信仰することが、他の仏教や教えと対立を煽るようなものではないことを念を押して、教えを盾にして我を立てる信仰では無いことも示唆している。

 その証として他力の信心を得たものは感謝の念仏を心がける人になるのであるとさらに念を押して、信心を得たといってまるで自分が仏になって人々を救う人になるようなおこがましい信仰と他力の信仰とは同じ「信」という字を使っていてもまったく内容が違うことを教えてくださっているように思います。

つまり他力本願こそが、真に「私」を見出してくれる働きなのでしょう。 その時「自分の悟り」という観念は消えざるをえず、共に助かっていく道を歩みが始まる。 始まるというか、すでにとうの昔に始まって背中を押してくれていたことに気づき感謝し、懺悔するのではないでしょうか。

 

 

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