2-1出立の御文Bom dia Rito matinal do Templo em Marília. ブラジル🇧🇷お寺から朝のお参りlive
2-1出立の御文
そもそも、開山聖人(親鸞)の御一流には、それ信心といふことをもつて先とせられたり。その信心といふはなにの用ぞといふに、無善造悪のわれらがやうなるあさましき凡夫が、たやすく弥陀の浄土へまゐりなんずるための出立なり。この信心を獲得せずは極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。これによりて、その信心をとらんずるやうはいかんといふに、それ弥陀如来一仏をふかくたのみたてまつりて、自余の諸善・万行にこころをかけず、また諸神・諸菩薩において、今生のいのりをのみなせるこころを失ひ、またわろき自力なんどいふひがおもひをもなげすてて、弥陀を一心一向に信楽してふたごころのなき人を、弥陀はかならず遍照の光明をもつて、その人を摂取して捨てたまはざるものなり。かやうに信をとるうへには、ねてもおきてもつねに申す念仏は、かの弥陀のわれらをたすけたまふ御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべし。
かやうにこころえたる人をこそ、まことに当流の信心をよくとりたる正義とはいふべきものなり。このほかになほ信心といふことのありといふ人これあらば、おほきなるあやまりなり。すべて承引すべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
- いまこの文にしるすところのおもむきは、当流の親鸞聖人すすめたまへる信心の正義なり。
- この分をよくよくこころえたらん人々は、あひかまへて他宗・他人に対してこの信心のやうを沙汰すべからず。
- また自余の一切の仏・菩薩ならびに諸神等をもわが信ぜぬばかりなり。あながちにこれをかろしむべからず。
- これまことに弥陀一仏の功徳のうちに、みな一切の諸神はこもれりとおもふべきものなり。総じて一切の諸法においてそしりをなすべからず。
- これをもつて当流の掟をよくまもれる人となづくべし。されば聖人のいはく、「たとひ牛盗人とはいはるとも、もしは後世者、もしは善人、もしは仏法者とみゆるやうにふるまふべからず」(改邪鈔・三)とこそ仰せられたり。
- このむねをよくよくこころえて念仏をば修行すべきものなり。
[文明第五、十二月十二日夜これを書く。]
感想
いつも参考にしている現代の聖典 蓮如五帖御文に牛盗人について詳しく説明がしてあって参考になった。興味のある方はリンクをたどって読んでください。 親鸞聖人の言葉ですが、牛盗人のエピソードは唐の時代の悟ったお坊さんのエピソードなんだそうです。また、熱心に勉強する御門徒を「牛盗人」といって揶揄する負の歴史があった事がリンク先には指摘されている。これにもびっくりしました。いまでもありがちな話では無いでしょうか。
昨日の御文と今日の御文両方を読んでいてふと頭によぎったのが『朗読者』という本です。ほんの一場面に綺麗好きだった女性が変わってしまっていたという内容の描写がるのですが、その描写にたどり着くまでにいろいろな心が痛む経緯があり、この本と御文によく登場する「罪悪の身」とを比較した文章を書きたいと思って、本を思い出すためにいろいろネット検索していたら夕方になってしまいました・・・・
しかしこの本は流石ベストセラーになり、映画化もされただけあって奥が深いです。 いつかこの小説を読んだ感想を私も書きたいと思います。
ところで御文は解説本というより、朗読を想定して書かれている節があります。理解するための教科書ではなく、心に念仏をとどけ、読んだものの口に念仏が宿るように書かれていると思います。 今回の出立ちの御文も私たちに立ち上がる決意を湧き上がらせる心のこもったお手紙だと感じました。 「今、ここで立ち上がれ!始めよ!」という言葉は数々ありますが、添書きからも懇切丁寧な気持ちが溢れていてありがたいことです。
それではまた明日お参りしましょう! チャオ・チャオ!
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