会計はもとより、お寺の事は全て知っていた方でした。
わたしが3年前にブラジルに来た時も、様々なお世話をして下さいました。
若い頃日本においでになって、苦労されてポルトガル語も少し先生についたけれど、お金がないので映画館で自力で覚えたそうだ。(昔の映画館は一度入館すると一日中見ることができた)
ハンフリーボガード似のISOさんは日本人離れした端正な顔をしておいでになるが、ハーフというわけではなく一世でなのですが、日本人ばなれした大きな目と睫毛に彫りが深い顔立ちで、いつもシックな背広を着てお寺においでになっていました。
ダンディーという言葉が似合う人で、そのてんでもボガードに雰囲気が似ていました。
背も小さかったし(笑)
「わしは、いろんな仕事をした。苦労をしたしおまけに商売として成功したとは言えなかったけれど、自分の好きな挑戦をいろいろやらしてもらって、人生としては申し分無い。満足している」
と自分の人生を振り返ってお話をされた事が何度かあります。
昨日は初七日でした。
最近体の調子を崩しておいでになったものの、いつも元気そうな電話の声だったし、先日お会いした時もお元気そうだったので、突然に亡くなった思いが強く、いまでもまだ亡くなった感じがしないのです。
もしかしたら、ずっと亡くなっていない気持ちは無くならないのかもしれません。
事務所の電話が鳴ると「プロント」と言って対応するその独特の言い方が好きでした。
いつかはisoさんのように渋い声で「プロント!」と電話に出るのが目標です。
亡くなってから数日が経ちましたが、やはり亡くなった気がしないという気持ちの方が本当なんだという方に心は傾いています。
それは霊になっているとか、天国に居るとか、浄土にいるとか、心に思い出として残っているとか・・・
世の中には色々な言い方があるかもしれないけれど。
どれも、あたっているのかもしれないけれど、残された者の気持ちを言い尽くすには足りないとも思います。
わたしは仏教の世界にいるものですから、お浄土に帰って仏様となったisoさんとの新たな関係が始まったのだという言い方がしっくりきます。
それは親鸞聖人の教えではないと言う方もいますが、浄土教の大切な伝統の一部分だと思います。
お別れは現実だけど、確かに生きているというこの事実は、物語という形をとるのが自然なのかもしれません。
人の心や人生は理屈では収まりきれないものを抱えているという現実に添う為に。
寂しくなりますが、短い間でしたがisoさんには大変お世話になりました。
ありがとうisoさん。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。
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