「南米の念仏者」 ラジオ放送「東本願寺の時間」より | 新・坊主日記

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2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

東本願寺のホームページ でラジオ放送「東本願寺の時間」での放送がアップされました。
その題は「南米の念仏者」

講師は両瀬 渉 住職 です。


日本人移民の一人としてここ南米の地で生活された、金子秀雄さんの詩が取り上げられながら、
南米の地に念仏の教えに生きる人々がおいでになる事が、放送で語られています。



放送でも語られていますが、両瀬 渉さんのお父さんはここ南米別院で僧侶として活躍された方です。
そして、金子さんの義理の息子になるfuruyamaさんは現在別院の熱心な御門徒です。

是非放送をお聞きください。








ラジオ放送そのままがテキストとして東本願寺のホームページに掲載されています ので、
そのまま転載します。


  ラジオをお聞きのみなさん、おはようございます。

 もう20年近く前になりますが、私の父がブラジル、サンパウロ市の南米本願寺に勤めていたことがあり、赴任中にそのブラジルを訪れたことがあります。イグアスの滝やアマゾンの奥地を観光し、リオのカーニバルも見て参りました。広い国土、豊かな資源、今ブラジルはめざましい発展を遂げようとしています。

そして、日本とは地球の反対側の、しかも最も遠い国・ブラジルには多くの日系人の方が住んでおられます。
 そのブラジルで、すでに故人となられたのですが、金子秀雄さんという、一人の日本人の方とお会いすることができました。

その後何年かたった2001年の春、サンパウロのニッケイ出版社から発行された『ひとりごと』という一冊の冊子が金子さんから送られてきました。それは、金子さんが農業移民として、コーヒー園での生活が始まって以来書き続けてこられた、短歌や詩をまとめたものでした。
 
あとがきに、「コーヒー園での生活の中で私は何か書きたくなり、書き始めたのがこの『ひとりごと』だった。…だが、これはぐちゃぐちゃした私の日記のようなもので、まったく『ひとりごと』以外のなにものでもない」と言われていますが、一頁一頁にその時の思いや情景が述べられ、厳しい苦難の生活を読みとることができます。
 金子さんは1912年、新潟県でお生まれになりました。1934年、22歳の時、奥様とその奥様の家族とともに農業移民としてブラジルに渡られました。農業移民としての生活はたいへん厳しく、苦難の連続だったそうですが、日本に残してきた母親からの「念仏申せ」という教えを拠り所にして人生を歩んでこられました。『ひとりごと』のなかで、金子さん自身が、自らの人生を省みるようにして記された次のような作品があります。

 その日その日
 
川向こう その日その日 空は自然そのままなのだが
 ある時は すばらしい青空よと思い ある時は困った青空だと思う
 待てど待てど来ぬ雨 暑い暑い日照り続きの夏
 困った青空よ いやな青空よ にくたらしい青空よ
 ああ 南無阿弥陀仏を忘れた 哀しい煩悩
 空は自然法爾で その日 その日なのだが


 自然法爾とは仏教の言葉です。この言葉を通して自分自身を省みておられます。
 快晴の青空をすがすがしい思いで眺めていた人間が、日照り続きになると、とたんにいやな青空よ、困った青空よと、身勝手な都合ばかりを押しつける。そんな念仏を忘れ去ってしまった自分にきづく。
 「悲しみは」という次の作品も心を打たれます。

 悲しみは

 「悲しみは なお悲しみて かみしめて それをうなづきて 業を尽くさん」
 もう一度紹介します。
 「悲しみは なお悲しみて かみしめて それをうなづきて 業を尽くさん」

 遙か南米の地に生きた念仏者、金子秀雄さんは、あとがきで次のように述べています。どんな困難な生活の中にあっても、どっしりと腰をすえて、愉しいまま、うれしいまま、苦しいまま、淋しいまま、正直にむきだしに、この『ひとりごと』を書きつづってきたのだ、と。

*引用文献  金子秀雄 『ひとりごと』、ニッケイ新聞社、サンパウロ、2001年


   ↑ 金子秀雄 夫妻  『ひとりごと』 収録 (金子 太郎  画)


法話のラジオでの放送予定はこちらでご覧になれます


放送が終了した過去の放送を聞くことができます。



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