ベンジャミンさんにもお会いできる事が出来、同僚のhosinoboriさんとおいしい食事を頂き、早めに就寝。
快適な朝を迎えております。
先ほどから教会の鐘が鳴っていて、いい雰囲気です

今日は研修会!
テーマは
「「たとひ名号をとなふるも、佛たすけたまへ・とはおもふべからず…」
助けてくださいでは、たすからぬ」
今回のテーマは。蓮如上人が初めて書かれたお文によります。
以下に全文を掲載します。
御筆はじめの御文章(寛正2年3月、47歳)
当流上人《とうりゅうしょうにん》の御勘化《ごかんけ》の信心《しんじん》の一途《いちず》は、つみの軽重《けいじゅう》をいはず、 また妄念妄執《もうねんもうしゅう》のこころのやまぬなんといふ機《き》のあつかひをさしをきて、 ただ在家止住《ざいけしじゅう》のやからは、一向《いっこう》にもろもろの雑行雑修《ぞうぎょうざっしゅ》のわろき執心《しゅうしん》をすてて、 弥陀如来《みだにょらい》の悲願《ひがん》に帰《き》し、
一心《いっしん》にうたかひなくたのむこころの一念《いちねん》をこるとき、 すみやかに弥陀如来光明《みだにょらいこうみょう》をはなちて、そのひとを摂取《せっしゅ》したまふなり。
これすなはち、仏《ぶつ》のかたよりたすけましますこころなり。またこれ信心《しんじん》を如来《にょらい》よりあたへたまふ といふもこのこころなり。
さればこのうへには、たとひ名号《みょうごう》をとなふるとも、仏《ぶつ》たすけたまへとはおもふべからず。
ただ弥陀《みだ》をたのむこころの一念《いちねん》の信心《しんじん》によりて、やすく御《おん》たすけあることのかたじけなさのあまり、 如来《にょらい》の御《おん》たすけありたる御恩《ごおん》を報《ほう》じたてまつる念仏《ねんぶつ》なりとこころうべきなり。
これまことの専修専念《せんじゅせんねん》の行者《ぎょうじゃ》なり。これまた当流《とうりゅう》にたつるところの一念発起平生業成《いちねんほっきへいぜいごうじょう》とまうすも このこころなり。あなかしこあなかしこ。
寛正2年3月日 1461年
言葉が古いこともあってむつかしいですが、やはり蓮如さんの文章は簡潔で美しいですね。
お文は声に出して読むとその心が伝わってきます。
サブテーマである「助けてくださいでは、たすからぬ」は高史明《こうさみょん》さんのお話の一節です。
以下に抜粋します。
蓮如上人は・・・
「たのむ」と、「助け」とは違うんだということを非常に鋭く見分けておりました。 助けるという字、力をつむと書きます。漢字で書くと。どこへつむのか。力がなくなった自分のところへ積んでもらうわけです。だから助けです。しかし、その自分とは何か。助けてくださいと叫ばざるを得なくなったときの自分とは何であるのか。自分のことが自分で信じられない自分が、はじめて助けてくださいと叫ぶわけでございましよう。その自分のところへ力を積んでもらってどうなるのでありましょう。 どんなに力をもらっても、まるでザルのようなもので、一向にたまりません。
高史明
先の蓮如さんの言葉よりはかなり分かりやすくなっています。
今回は私が北陸で出会ったおばあちゃん達(念仏者)のお話からはじめようと思っています。
毎月のお勤め中、ロウソクの灯が揺れていたら、ゆれているぶんだけ、
「おお~ 今日はじいちゃんよろんどるわ」
が口癖だったおばあちゃんの話しです。
でわ、いって参ります。
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