おそらく今年最後になるであろう、花祭り法要(お釈迦様の誕生会)に行ってきます。
私は日本では、いろんなところで花祭りをした事がないので、5月に花祭りか!?と驚きましたが、
日本でもお盆が7月だったり8月だったりするのと同じかな?と思い直してます。
宗祖である親鸞聖人のご祥月命日の報恩講でも早いところは10月から、遅いところは年明けにするお寺もあるのです。
マリンガはこちらブラジルに来てはじめて行く場所、はじめて行くお寺なのでとっても楽しみです。
しかし、法話をするのでとっても緊張もしてます。
法話ではお釈迦様の誕生の話をするつもりです。
はじめてだから自己紹介も・・・・
いや、 お釈迦様のお母さんの話もいいな、母の日も今月あったばかりだし・・・・
などと、あれこれ考えるばかりでまとまりません。
「人間は一生のうち何歩あるくのか」
サンパウロからフォス、アルゼンチン、そしてパラグアイを釈尊のお誕生日を祝う花祭巡回としてお勤めをして来ました。
沢山の熱心なご門徒に迎えられ、大変よくしていただきました。皆さんと共にお務めさせていただき、言葉では尽くす事の出来ない感動を頂きました。それは今でも言い表せないのですが、食べたものが自然と体の一部になるのと同じように、私の中で少しづつ消化されて形となってきています。
18時間もの夜行バスでの帰り道、ふと思いました。
人間は生まれて死ぬまで何歩あるくのだろうか、
私は生まれてから何歩あるいて来たのだろうか。
私は、遠くブラジルまで来てさらに広大なブラジルの土地をあちこち移動しているけれど、どっちの方向へ向かっているのだろうか?
お釈迦様は生まれてすぐに七歩あるいて「天上天下唯我独尊《てんじょうてんがゆいがどくそん》」と叫ばれたという有名な話があります。
花祭りのときに飾る花見堂の真ん中に立っているお釈迦様の像が天と地を指しているのはその瞬間を表現しています。
万歩計に刻まれた数字がいくら増えても、飛行機で地球の反対側に飛んでも、また宇宙へ飛び出たとしても私は六歩以上を出ない生活をしているとは教えてくれます。
六つの歩みとは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人として表現される迷いの人生の事です。
仏教の教えでは、人間はどれだけ歩んでも、またいくら時代が進歩したといっても、人生の誠にふれなければ、先の六つの世界を巡り巡って自分の殻を出ることができない、それは迷いの歩みであると説きます。
私が今回の巡回で出会った方の一人に、登坂渓雪という僧侶がいます。この方はすでに十五年前に亡くなっていますが、巡回する家々で、次々と登坂先生の話がその家人の口にのぼるのです、その語り方からは、仏教経典の中で仏弟子が「いまは亡きお釈迦様はこの様に私に説かれた」と言い伝える同じ響きを持って迫ってきました。
登坂先生は二十年にわたってフォス・アルゼンチン・パラグアイの家々を自ら開拓し、念仏の教えを伝えていった人である事が分かりました。
それは、まさにお釈迦様が生涯をかけてインド中を遊行された行為そのものです。
そういう方がほんの十数年前にいた事、そしてその道をたどるように私自身が巡回した事の有り難さ、事の大きさ。
今回の巡回を通して様々な方々に出会った事は、登坂さんの生涯をかけた第七歩めのあゆみを知るとともに、皆さんが私に「あなたも、世界にただ一人の自分自身なのだから、生涯を通して一歩をふみだしなさい」との励ましにあったのだと思いました。
むかって中央のやや右寄りの僧侶がありし日の登坂先生。
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