私は昭和42年生まれなので、生の原爆の体験はありませんが、
子供の頃は、町中に出ると原爆で受けた傷をもつ人をよく見かけたのを覚えています。
原爆の熱線で受けたケロイドは年数が経っても癒える事が無い傷なのです。
私が生まれたお寺も原爆で焼失して、お婆ちゃんは家の下敷きになって亡くなったと聞いています。
おじいちゃんである泉原寛海は、開教使としてロサンゼルスにおり、捕虜として収容されていたので原爆の難を逃れたという事です。
収容所での苦労はこちらを参照して下さい。
アメリカ日系一世・二世の証言集
戦後おじいちゃんが広島に帰り、お寺を再興したと聞いています。
幼い頃から広島では原爆の恐ろしさ戦争の恐ろしさの教育がされており、また実際原爆症の人々を見かけたりしたこともあったからでしょうか、
私自身は戦争を体験してはいないけれども、原爆ドームの前に立つとなにやら背筋にぞっとするものを感じてきました。
私のような戦争を直接に体験していないものでもそのように感じるのは、戦争の悲惨さを嘆く雰囲気が広島の町の中に今現在も漂っているからだと思う。
毎年8月6日の午前8時15分に広島の町にサイレンが鳴り響きます。
その時公共機関のバスや電車、車も停止し一分間の黙祷をしていました。
その瞬間、広島の町は静まり返り、まるで今のただいま、原爆ドームの上にキノコ雲が立ち上がり、一瞬の沈黙の後、町中に放射能の熱線を浴びた人々の叫びや、うめきが聞こえてきそうでした。
子供の頃感じた事です。
現在、車は停車してないと聞いています。
こちら南米でも「在ブラジル原爆被爆者協会 」があり、現在も平和と訴え、また日本国内の被爆者と同様の原爆被爆者関係の法律の適用を受けるべく、強力に各方面に申請の活動をしている。
2007年2月6日(火)最高裁で勝訴判決が出ています。
今日南米東本願寺で定例のお参りがあります。
原爆のお話をして、そのごお寺の鐘をつく事が門徒さんより提案されました。
最後に一句、
ブラジルに鳴り響け平和の鐘よ原爆忌
リンク集
きっこの日記 「原爆の日」
「戦争を語り継ぐ60年目の証言」
原爆ドームをQuickTimeVR HD で見ることができます。貴重な内部からの撮影もあります。
広島原爆資料館
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