大日本人 = 小市民 = 小坊主 | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

松本人志がテレビでカンヌの試写会の時に映画の途中で出て行く人がいて、「へこんだ」というコメントをしていたが、あれ程の人でも一目が気になるのだという、人間的な部分に感心した。

漫才やらテレビで舞台そうとう慣れしてるはずなのに、こういうナイーブな部分を失わないところが大切なのかもしれない。

日本でも、法事の後の法話の時に一番の前の人が居眠りしたり、時計を見たりされてもだんだん慣れてきました。
最初は、そんな事をされたら頭の中が真っ白になったり、混乱したりしてましたが。

人間図々しくなるものです。

最近は、居眠りされても
「ああ~ 眠れるくらいの法話が僕にも出来るようになったんだ、以前は聞いてる人も冷や汗をかいて眠れなかったのに」と思えるようになったし。

時計を見ていても、「わざと話を長くしてやる!べーっだ!」と逆に闘志を燃やしたりなんかします。

それでも全く気にならないと言ったらうそになりますが・・・・

逆にウンウンと頷いてくれたりしたら嬉しくって話も滑らかになるのも事実です。

プロなら状況に左右されずに、むしろどんなお寒い状況でも、仏法を一緒に聞く場の空気を作り出すのが本当なのでしょうが、なかなかそうはいかないものです。




ブラジルでは法事の後に法話をはじめるとサッと席を立って出て行く人がいます。
最近はあまり動じなくなってきましたが、最初はいぶかしく思いました。

何故?なのでしょう。これは未だにわかりませんが、他宗教の方で他の宗派の話を聞いてはいけないという戒律でもあるのかもしれませんが、理由を知りたいのですが、声をかけにくいです(笑)

法事のときはおいでになるのですが、話し始めると(たとえ日本語でも)サッと出て行く人たちに数回出くわしました。
こういったのは日本ではなかったですね。

これはまだまだ慣れません。




ブラジルの法事は椅子式です(いわゆる教会方式)そこに来る方々はほとんど普段着です。お葬式でもそうです。
これは日本では考えられませんよね?さらに一番前の席の人は足を組んだりかなりリラックスしてます(笑)
かしこまらない態度は、何事にもフランクなこちら特有のものかと最初思ってましたが、そうではないようです。

ある日教会に行くとその会場は敬虔な雰囲気でいっぱいで足を組んで座っているものは一人もいませんでした。
つまり「場をわきまえる」という事は国は変われど同じということです。


日本でも場をわきまえない人がいますが、こちらでも理由は同じなのかもしれません。
教会にもお寺にも行った事が無く、親にそういった教育を受けてない人が、親戚の法事だからという理由で仕方なく来ているのが、態度に出ているのかもしれません。

法事をしていても、足を組んだままにしているのは宗教以前の問題で人間として失礼な態度だと思いながらいつも眺めています。
もしかしたら、こういう事も口で伝えた方がいいのかもしれませんが・・・・。



こちらの方にも問題があるのかもしれません。

以前教会に行ったときは、写真を撮るのもはばかれるくらい、教会内は厳粛な雰囲気でいっぱいでした。
敬虔な人々の祈りの雰囲気はキリスト教を知らない私にも伝わってきました。



もしかしたら、わが別院や私の儀式執行や読経、お荘厳に問題があるのかもしれません。
法事が終わって椅子席に、配った経本が投げ出されているのを見る度に思う事です。