大分慣れて来ました。焼香のとき目の前で十字を切られても平気になって来ました(;´▽`A``
こちらのお葬式については以前にも書いたのですが、新たな発見がありました。
葬儀式が終った後、納棺のお勤めをしますが、持って来た線香と蠟燭全部に灯を灯してしまうのです。
とにかく全部です。
今回は持って来ている線香と蠟燭がいつもよりもさらに多くて、しかも一本一本お参りの方々に配っているのです。
雨が降っているので、
「納棺のお勤めは簡単に済ませましょう」
と話し合った後なのに、これでは参詣者の方にまたその線香を墓前にお供えしてもらわねばならなくなりました。
それはともかく、線香を薪のようにくべて、雨に負けない勢いでけむりがモクモクと立ち上がってます。
野外だからよかったですが・・・・
しかしなんで、こんなに燃やすのか?
線香を売る方としては喜ばしい習慣なのでしょうが・・・・
享年82歳のお婆ちゃんでしたが、大変愛されていた方らしく、老人会の人や家族は元より、お孫さん達が涙が涸れるまで泣きすがっていました。 高齢のお婆ちゃんの葬儀では珍しいと思いました。
納棺のお勤めが終わり、家族の中のおばあちゃんが
「このお茶碗などはどうするのですか?」
と私に尋ねました。
私はブラジルに来て見る事になるとは思いませんでしたが、お婆ちゃんの枕元に、御飯茶碗に盛り飯をして、そこに箸を一本立ててあったのです。
私は「持って帰って下さい、お墓においておくと鳥等が来て荒らしますから」と言ったら意外な顔をされました。
そこで気づいたのです。
昔、あるいは今でも、ある地方では盛り飯をしてそこに箸を立て、家から出棺する時に茶碗を割る習慣があります。
それは、亡くなったお婆ちゃんが帰って来て友を引かないように、という昔の風習、げんかつぎ、迷信なのです。
私は、お婆ちゃんにその意味を説明して、「あんなに、お孫さんに愛されていたおばあちゃんが共を引くはずないでしょう?」
と説明すると納得されていました。
水も、水を入れたコップも、コーヒーも?と尋ねるので、そこでやっと気がつきました。
「蠟燭や、線香を全部ここで燃やしてしまうのは、とにかく葬儀でお供えしたものは家に持って帰ってはならないという風習に、先の風習が成り変わっているのだ」
と気がついたのです。
意味も分からず行っている儀式や風習が、先に旅立たれた方に失礼になるばかりか、送る側の気持ちまでも不安におとしいれる事があるものです。
茶碗を割った瞬間、「来るな」という死者をけがれたものという気持ちが確立されるし、家に帰ってかばんの中に燃やし忘れた線香が一本入っているだけで、不安になるでしょう。
亡き人を仏様として尊ぶ心にはそぐわないものです。
げんをかついだりする必要のない人生を歩みたいものです。
以上、何故線香を全部燃やしてしまうか?の一考察でした。
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