20年間ブラジルへ | 新・坊主日記

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2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

南米開教区開教使に応募しようと思い始めて、色々な人に相談をした。

ある先輩と、後輩(今京都でお世話になってるiさん)にある人を紹介してもらった。
takasinaさんという方である。

20年間ブラジルで開教使をしていた方である。
早速会いに行った。

小松の隣の町大聖寺教務所に現在おいでになる。教務所とは真宗大谷派の出張所であり、仏教興隆の為に全国に沢山 もうけられている。

会いに行くと頭にバンダナ服装もラフな格好で、ブラジルの香りがする?
というのも、教務所では背広の人が多いので今日はOFFなの?と思ったくらいだ。
お話をするに従ってて昨年11月に日本に帰って来たばかりで、まだこちらのやり方に慣れてないとのことだった。

最初に聞いたのは「何をするのか?
でした。開教使というと宣教師のフランシスコザビエルを思い浮かべるのは
私だけではないと思う(笑)

しかし、やる事は日本と同じであるとの事でした。
そもそもブラジルへ真宗寺院が出来たのは、1908年から日本人の移民が始まり、その時点で仏壇を持参する真宗門徒が多かった。
そこで亡くなる人の葬儀をやその後の月参り、命日の法事を要請されて出来たという歴史がある。

カソリック教徒が大半を占める南米に仏教を広める為に派遣された訳ではないのである。

しかし、仏教のエッセンスはその教えにあり、法話もかならずするとの事である

また、ブラジル人は熱心に精神的なよりどころを求める機運が強く、儀式のみで終る事はないとの事。
日本では法事の後に「法話は短くね~ もしくは無くても(笑)」昼からの御斎の時間がせまってるから・・・という方がたま~においでになるが(暴)

現在日系3世4世は日本語の理解出来る人が殆どいなくなっており、ポルトガル語と日本語の両方の言語で法話を行っている。つまり同じ内容の法話を二度するわけである。

そのポルトガル語の習得について尋ねた。

ポルトガル語の習得は現地で行う。
まず、サンパウロ別院で1年ないし2年研修をかねて勤める。その間現地の儀式作法と言語を学びつつ、法務儀式を勤めるとの事。

その間三食及び居住は確保してもらえるそうだ。寮生活っぽい。

takasinaさんの場合3年ほどで普通のコミュニケーションが出来るようになったとの事。
ポルトガル語は英語より難しいらしい。心配である。
最初言葉が通じずとても辛かったらしい。
きっとこの壁を乗り越えれば20年現地で法務をこなせるのであろう。1、2年が勝負と見た。
ポルトガル語辞典を紹介してくれた
池上 岑夫, 高橋 都彦, 武田 千香, 金七 紀男, 富野 幹雄
現代ポルトガル語辞典



あと色々と聞きました、インターネットはどこでも出来るのか? ーー yes
私はアトピー性皮膚炎の持病を持っているが病院はあるか    ーー yes
ブラジルに行くと死ぬよという人がいるが本当ですか?
実はこれが一番聞きたかった。

ある人は酒で死ぬ、いや実際○○さんは死んだ。とか、強盗に教われる、いや実際○○さんは一日に二度襲われた。とブラジル行きをやめた方がいいと言う人はかならず、危ないとの忠告をしてくれました。

takasinaさんは「いや、私は20年間ブラジルに住んでたけど一度もそんな事ありませんでした」とおっしゃいました。少し安心しました。やはり大げさに言っているのです。

つづけてtakasinaさんは
それには秘訣があります。
※ 現地の人の忠告通り、行っては駄目な場所には行かない。(やはり危ない場所があるらしい
※ 現地の人の忠告通り行って危険な時間帯に出ない。   (危険な時間帯があるらしい)
※ 現地の人と同じ格好をする。             (無防備な観光客が狙われる)

忠告は決して大げさではないようである。

 という訳で、なんかドラクエで町の人忠告を聞く気分です。いや、真剣さではドラクエどころではないですね。

 つまり、レベル1の私の活動範囲はかなり狭いという事。安全は自分で確保せよという事です。

  最後にtakasinaさんはこう言って下さいました。

 「とにかく行ってみる事です、あまり気を張らないで。 そして自分の体で確かめて下さい。いやなら帰ればいいのですよ。合う合わないは行ってみなければわかりません。私はブラジル行きをお勧めします。ブラジル良いところですよ。」
 
 「応援しますから、何でも聞いて下さい」

 この出会いがあり、南米開教区へ応募する気持ちが具体的に固まったのです。
 
  
2006年3月中旬の頃の話です。


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