「僕の生きる道」を二日間で見た感想の続きです。
このドラマを見てある人の事を思い出した。
草なぎ君の病状が進み、衰弱していけばゆく程、その記憶が呼び覚まされて来ました。
そうです!大学時代の同じクラブの後輩だったINOUE君です!
って、ほとんど私しかわからんけど(^^;)
当時彼は哲学科、キルケゴール
が専門。いつも思索していた彼は、独特のため息ばかりついていたっけ。
「あ~あ、やだやだ」とけだるくつぶやいていた彼は、「キルケINOUE」とも呼ばれていた。
彼と話していると、キルケゴールとかその他の偉人の言葉がつらつら出て来て、「で、しゅうさんはどう思います」とよく聞かれたものだ。
難しい言葉であるが、浅い人間と見破られるのが怖くて、私なりに一生懸命答えていたが、実のところよくわからない事が多かった。
「よくそんなに言葉が出てくるね」とある日尋ねたら
「そりゃ 命がけで勉強してますから」と言っていたっけ
彼は卒業後、京大の哲学科の大学院に推薦されたにも関わらず、「京大の哲学科に魅力はない」と言い放ち、倫理の教師になった。
そのころ流行の高校教師。女子校の教師である。
「どうよ、じょしこうは?」と
下衆な感じで尋ねたら、現実は全く違いますよ。と具体的に教えてくれた。
あまり知りたくない情報だったのでココには書かけないです。ご了承ください。
それはともかく、当時彼と喋っていると半分はよくわからない会話になったが、自分も思索者になったような気持ちになったものだ。彼の影響で「死に至る病」を読んだり、しばらく「実存」という言葉を使っていたのを思い出す。
会話の中に「実存」という言葉を入れただけで、深い人間になれたつもりの期間があったのです。
しかし、哲学的雰囲気というものの一端でも私が知っているとするなら「キルケINOUE」君の影響である。哲学とは言葉(単語)ではなく、生き方だということを教えてくれたのが彼だったのでしょう。
実際、INOUKE君という存在は哲学者の雰囲気を持っていました。
彼との会話の中には独特の重みや思索、そして自分自身の人生を込めて話す勢いがあった。
でも時々そんなINOUE君が嫌みに感じて、喧嘩(議論の)もしました。
彼が高校の同僚と結婚したと聞いて、もう何年もたつ。
どんな教師になり、どんな夫になっているのだろうか。
キルケINOUE君が言ってた言葉を最後に記したい
彼が「壁が、ああ人生の壁が乗り越えられない」と呻いていたので、「ど~こにそんなものがある。気にし過ぎじゃ」と軽く言ったところ
壁は自分でつくるものですよ、しゅうさん!しゅうさんは自分の壁に気づいていないだけですよ!
ある日、わたしが「実存」って言葉を使っていたら・・・
実存ってなんですか?最近はネコもしゃくしも実存・実存ってぞんざいに使い過ぎなんですよ(ニヒリズム的、笑)ちなみに(じつぞん)と(ぞんざい)のゴロが少しかかっているとこも笑いのつぼ
キルケINOUE君が言ってた言葉(本物のキルケゴール編)彼の独特の語り方を思い出しつつ
絶望とは死にいたる病である。自己の内なるこの病は、永遠に死ぬことであり、
死ぬべくして死ねないことである。それは死を死ぬことである。
—「死にいたる病」—
全てか、しからずば無。
—「あれかこれか」—
女というのは泣かせてやらなければならない。
泣きぬくと、泣くべきものがなくなって、あとはすぐに忘れてしまうものなのだ。
—「反復」—
われわれが恋愛について話し始めるや否や、ただちに第一の問題が出てくる。
すなわち、人は何を愛すかという問題である。これに対して人がなし得る唯一の答えは、
人は愛されるにふさわしいものを愛す、ということである。
—「追憶の哲理」—
一見、分けがわからんようですけど、惹き付けられる言葉ではないでしょうか。
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