法事の記憶 | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

あれだけはしゃいでいた子供が泣きながら、入って来た。
「ごめんなさい、もう騒ぎません」
と泣きじゃくりながら

法事のとき子供が騒ぐのはよくある事で。
でも、その子ははしゃぎ過ぎだった。
おこられるのも無理はない。

でも、怒られたのは訳がある
お参りが終わった後、親戚の長老が「ありがとうございました」
と言った瞬間子供は「ありがとうございした」と長老の言葉をまねしつつ
飛びながら連呼し続けたのだ。その時の顔はまさにアホづら。
私が「だいじょうぶか?」と笑いながらつぶやいたのが両親に伝わった。
わたしが一言つぶやいたせいで、親の心に火をつけたのだ。

子供の頃よく親に怒られた身としてはその理由がよくわかる。
「親の私が恥ずかしいのよ」とよく怒られたものだ
「子は親の鏡」

悪い事つぶやいたなと少し反省した。
私も家に人がたくさん集まると興奮したもので、その度おこられた。
その事を話すと親戚一同も同感していた。

でも、そこで子供に謝らすぐらい怒るのは、親として当然の事で、そういう親は今では少ない。

はしゃぐのは子供の気持ち、それを精一杯怒り上げるのも親としての勤め。
これも法事の儀式の一部なのである。

坊主の自分が言うのも変だけど、法事は退屈なものである。子供が騒ぐのは当たり前。
だけどもそれをほったらかしにするのは当たり前でない。
法事の時に怒られたな~という記憶が、子供には必要なのだ。

後にそれが懐かしい思い出になるのだから、

お参りの時によく怒られていた私の意見です。

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