枇杷の思いで | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!


昨日、テレビのチャンネルを無造作にかえていると、NHK教育で楽器の琵琶の番組をしていた、山田邦子が解説をしている。
それで、思い出したのが広島の幼なじみ、しげる君の事だ。

ちなみに果物のビワと楽器の琵琶どちらが先にびわと名付けられたか知ってます?
楽器の琵琶に形が似ているから、果物のビワに琵琶という名前がついた。というのがテレビでの正解でした。

小学生の頃、ひまな時間は沢山あるけれど、テレビゲームもないし、ディズニーランドもないし、たいしたおもちゃも買えない頃の小学生の頃。近所の幼なじみしげる君が遊びに来た。

「しゅーうちゃん。あーそーぼ」

その日は何故だろう?家に両親がいなかった、兄もいなかった。

で、しげる君が来たとき、私は塀越しの隣の家から伸びている枝になっているビワの実を一人食べていた。うめ~と思いながら。

それで遊びに来たしげる君を、食事に招待した。

しげる君は「でも、隣の藤田病院の木じゃろ~ 取ったら怒られるよ」
と心配した。
でも、私は
「大丈夫、見て。塀からこっち側に伸びている枝はボクん家の領域だから食べても良いんよ」
と、自ら取って手渡しした。
そして、二人で食べた(食べさせた?)

一つ食べてしまえば共犯者である。そして私たちは夢中で次から次へともぎ取り、食していった。
最後には二人で塀に登って、こちらの領域に無い分も食べ尽くした。

「毒を食らわば皿まで」
の感情を学んだ夏である。


その数時間後、中庭に散乱しているビワの種と皮を発見した母親に問いただされて、フルーツのカゴをもって隣の藤田病院に、母と共にあやまりに行った恐怖の思い出は忘れられない。

風邪を引く度にお世話になっていた藤田先生は、ニコニコとしながらうなだれて謝る私に「ちゃんと洗って食べたか?」と拍子抜けするほど優しかった。

先生が亡くなり藤田病院を次ぐ者も無く、現在その跡地には10数階建てのマンションが建っている。
ビワの皮を剥くたびに、藤田病院の先生を思い出す。
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「スローな食に、スローな家 」さんより、びわの絵を頂きました。ありがとうございます!
祖母の絵はがきの挿絵だそうです。


TB   素敵なビワの絵があるページ