お話をする時、聞いてくれる人との関係 | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

先ほどまで、門徒さんのお宅でごちそうになっていました。
毎月のお参りの後、家族と一緒にご飯を頂き、お酒を飲みながらお話をするのですが、
大杉さんは、私の勤めているお寺の者をみんな呼んで、ごちそうして下さるのです。

それもほぼ毎月。

誤解が無いように書くのは難しいですが、大杉さんと私たちの間には何の利害関係もありません(笑)

一つだけ言えるのは、そのようにして私たちを育てて下さっているのです。もちろん、「ボウスにもの申す」みたいな説教じみた事を、仰るわけでもないのです。楽しく飲みます。

しかもこちらが育つかどうかも保証は全くありません(ごめんなさい大杉さん)

でも、そうやって私たちをかわいがってくれるお宅なのです。

実は先日私がお話しにいった町の人々も同じなのです。
私のお話を聞いて何か仏教の知識やありがたいお話を聞きたいと思って、わざわざ私を呼んで会を催すというよりも、仏教の教えを尊ぶ方々が私を交えて会を開いているのです。

もし、仏教の素晴らしいお話を聞きたかったら、もっと人選に選択肢はあります。
私の壇上に呼ぶと決まった時点で、私を育てるという意味合いが強いのです。

この事は私の先輩が教えてくれた事です。「みんな我慢して聞いて下さっているのだ」
だから、上手い話しや、受ける話しや、自分を立派に見せようとする話しはしなくていい。
育てて頂いていると思って、ありったけの今の自分をさらけ出せばそれで良いのだ。と先輩は教えてくれました。

結果的にそういう飾らないお話が、仏教の教えに通じていくようです。
親鸞もそういう人だったようです。
だら。

おやすみなさい

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