私は広島県生まれなので、小さいときから原爆の恐ろしさを学校で習ってきた。
でも「広島県生まれなので、習ってきた」と知ったのは、京都の大谷大学に行って、いろんな県の友人と話してみて、そう思うようになったのだ。
それまでは、原爆は、恐ろしいもの、あってはならなかったもの、戦争の恐ろしさの象徴的なもの。という共通の思いが、少なくとも日本中にあると思っていた。
でも、私の人生の中で、広島を離れて生活をした年数の方が長くなった今は少し違う。
高野連の田名部和裕参事が「原爆は広島だけのこと。この場でみんなを巻き込むのは良くない」と制した。
という記事を読んでも、十分あり得ると思った。好意的に取れば、大会の運営上今朝になって急に提案されても無理ですよ。という意味の答えになると思うが、原爆は広島だけのこと
とかみんなを巻き込むのは良くない
という言い方にトゲがありまくりで、そんな言い方されたら、原爆は広島だけのも問題ではないと言いたくなるし、沢山の人が戦争に巻き込まれて悲惨な目にあったんだ。平和を祈る黙祷に高校生を巻き込む事は多いに奨励される事ではないか。と反論したくなる。
特に原爆は広島だけのこと
という発言の中には、戦争で酷い目に遭ったのは広島だけではないという感情が垣間見えて、背筋が凍る。
しかし、これらの事は「知らない、習っていない」という事の象徴的な話しだと思う。
戦後60年を経て被爆者はすべて還暦を迎え、後世に原爆の悲惨さを伝えていく営みが風化していく危機感を持っていると、今朝のNHKで広島平和記念公園
での中継のナレーションで言っていたが。
風化している事の象徴的な話しだと思う。
私が幼い頃、親に連れられてデパートに行く時、市内電車のホームで待っているとケロイドを負ったお年寄りを見かけたものである。(幼い頃だから、今思えばそんなにお年寄りではなかったのかもしれない)
母親が、「あれは原爆におうた人なんよ」と教えてくれた。そのケロイドを負った人を見て、幼心に原爆の怖さを肌身で感じた。
私の実家は市内にあった。原爆で全壊というか消滅しており、現在の実家の位置と違う場所にあったそうだ。留守番をしていたおばあちゃんは家の下敷きになり亡くなっている。
戦争は怖い、戦って死ぬのが怖い、平和が良いという感情が、最近「国際社会を知らない軟弱な感情」とう烙印を押されつつあるように思う。
正義の戦争はいらない、戦争で得られる平和はない。
和とは不和なり 不和の悲しみなり (曽我量深)
という言葉がある
戦争によって平和は獲得できない
戦争を悲しむ心は軟弱な心ではない
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