本光寺の雪垣の法座 | 新・坊主日記

新・坊主日記

2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

 最近座談会に衣を来たおじいちゃんがやってこられる80歳も半ばくらいの小さいけれど背筋のしっかりした人である。前回のおいでになった時に当寺の若い坊さんが法話を聞いたあとに、

「法話の前に三帰依文を読まんようなのは、法話じゃなくて雑談じゃ」
といわれた、と青い顔をして報告していたので今回はなんと言われるだろうか、とどきどきしながら参加した。そしてたまたま私は隣に座った。

 すると「あんたらはしっとるとおもうが」、と車座の向こう側のおばあちゃん方に向かっていわれるには

「あんたらは知っとると思うが昔の本光寺の十九日講はいつも満堂じゃった、ほんで法話後の法座はお堂の中心にどうぎょう おさ同行長が座って法談をしておった、その周りをいくえ幾重にも取り囲むようにして同行が聞き入った、その様子はいつしかー本光寺のゆきがき雪垣の法座ーと噂にのぼる位での」

 辺りを見渡すと、広い本堂の真中に十名ほどの輪があります、今の座談会です。
現在の座談会は二年程前、よくおいでになる方が「坊さんのお話をきいて帰るのもありがたいが、その後で世間話でもよいから、集まった者で語り合う場をもうけたい」という願いから始まったのですから、一時期途絶えていたことになります。

 「当時は拡声器もなく、皆耳に手をあて当て聞いたものじゃ、子供のわしはまだ輪の外側にしか居れなく、ちっとも聞こえんかった。しかし今仏法に出会えたワシやあんた方が、ここにこうおるのも、お寺に連れて来てくれたばっちゃん や、法座で「かたいこやー」いうて、頭を撫でてくれたおどうぎょう御同行のおたすけなんや」
護衛
 本堂いっぱいの人々を想像してみました。何故か私の幼い頃、多くはなかったものの、故郷の報恩講のご老人達のおだやかな顔が思い出されました。

 話は続き、聞き入っていたはずですが、はやくも記憶にはありません。しかし人生を仏法により鍛えられた人物を目の前にして圧倒された、その感じは忘れないでしょう。

本光寺の法話と座談会のある日は毎月7日19日28日の午前9時30分からです
どなた様もお参りください、お待ちしております。
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