またまた、お久しぶりの更新です。
実は明日から数日間ソウルなので、出発前までに留守中には対応できない仕事を片付けておこうと、先週からシャカリキで働いておったのでございます。 うん、我ながらよく頑張った
シャカリキとは、釈迦力と書きますが、これは字の通り、お釈迦様が人々のために力を尽くされたことに由来している言葉だそうです。
ということは・・・自分ごときの頑張りを、「シャカリキ」などど例えるのは、あまりにおこがましいことですね、大変失礼いたしました
ところで、4月8日は「花祭り」でしたね。
花祭りは、灌仏会(かんぶつえ)、とか、降誕会(ごうたんえ)、龍華会(りゅうげえ)などとも呼ばれているそうですが、この日がお釈迦様のお誕生日なのですね
小さかった頃、眠る前に父に、「何かお話しをして ~ 」とせがむと、父はよく、お釈迦様のお話しをしてくれました。
今になって思うと、父は中高大と一貫して、仏教系の学校で過ごしたため、おそらくお釈迦様がとても身近だったのと、きっと他にはあまり子供向けのお話しを知らなかったのだと思います。
なにしろ、お釈迦様以外では、必ず桃太郎の話だったので、「それはもう飽きた~ 」とクレームを出していた記憶があるのです。
お釈迦様がお生まれになった時には龍が現れて、甘露の雨を降らせたと言います。
それで、今でもお釈迦様のお誕生日には、仏像に甘茶をかけてお祝いするのだそうです。
父の話はいつも、お釈迦さまは生まれてすぐに、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して、『天上天下唯我独尊』とおっしゃったという有名なくだりから始まりました。
王子様として生まれ、何不自由なく育ったお釈迦さまでしたのに、やがて出家を決意なさいます。
そうして、一人の家来をお伴に従え、カンタカという名の馬にまたがり、パカパカと旅に出るのです
それからお釈迦様のきびしい修行が始まるわけですが・・・、だいたいこのあたりで眠くなるので、続きはまたのお楽しみ・・・ということになるわけでした。
私がまだ小さかった頃、父は仕事が忙しく、帰宅するのは子供たちが眠ったあと、ということが多かったので、当然ながら釈迦の壮大なスケールの物語を最後まで聞くのにはかなりの日数がかかりました。
続きを語ってくれる機会がめったになかったのです。
さて、いよいよお釈迦様の最期の時。 悲しいシーンなのですが、幼かった頃の私は、このお話の中で、実はここの部分が一番好きでした。
なぜならば、お釈迦様との別れを嘆き悲しみ、たくさんの動物が集まって、お釈迦様の周りを囲んで泣いたのだと言います
「動物は、みんなお釈迦様の周りに集まってきたんだよ 」
「スゴイ~ キリンも
ゾウも
」
私は知っている限りの動物の種類を挙げ、父が「来たよ 」と答えると、非常に満足したのでした。
考えてみると、カンガルーなどの有袋類は、おもにオーストラリアに生息しているため、当時のインドにはいなかったはずです。
しかし、このような一大事ですから、カンガルーやウォンバットやタスマニアデビルも、やはり無理をしてでも駆けつけたのかもしれません。
ましてや、シロクマやペンギンなどは、暑いインドではさぞかしご苦労であったことでしょう。
ところが、1匹だけ来なかった動物がいました。 父の話によると、 それがヘビです。
「だから、ヘビは今でもみんなに嫌われとる 」 と、父は言っていました。
そうだったのか 確かにヘビは私も苦手だ。 すごく怖い。
でも、なんでヘビだけお別れに行かなかったんだろう イメージ的には似てるけど、ミミズやウナギは、きっと行ったんだな
そのようにして、私は、何故かこの部分に妙に納得して大きくなったのですが、実際、お釈迦様のお話の中で、実際そうだったのかは、今でも謎です。
ところで、お釈迦さまは、臨月の母君様が、桃の木に実った実を採ろうとして、腕を上げた時に、母君様の脇の下からお生まれになったのだそうです。
その件に関してだけど、幼いわが子が、「じゃぁアタシもワキの下から赤ちゃんを産む 」 と決心したらば、父は一体どうするつもりだったのだろう。
福岡城の夜桜です。
今年も美しかった
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