「許せない」という感情は、ときに、相手に対する「一方的な期待の裏返し」の場合があるような気がします。


大好きな人や、仲間だと思っていた人が、自分の意見とは違うことをSNSで発信していたとか、「こんなふうにふるまうはず」という、一方的な期待に反した行動をとったとか。

「あなたなら、当然こう言うと思っていたのに」
「この状況で、あなたはこうすると思っていたのに」

そういう、「自分の期待したとおりにやってくれなかった」というがっかり感・・・。 

 

それが一方的に、「裏切られた」という気持ちにつながって、 「許せない!!」という感情に結び付くのかも。

 
芸能人や有名人の方が、本来はファンであるはずの人から、SNSで誹謗中傷をされたり、攻撃を受けたりするのには、こんなこじらせた心理によるケースって、わりと多いのではないかと言う気がします。

それとは逆に、いわゆる「アンチ」と言われる人達による、ターゲットに対する誹謗中傷などの攻撃は、一般的に「マウンティング」の心理によるものだと言われています。

結局、自分に自信がなかったり、劣等感を持っているような人が、人気のある人や、人生が充実して見える人、自分よりも優れた才能を持っていると思える人に対して、嫉妬心を持ってしまい・・・。

その人に対して否定的な言葉を浴びせることで、自分の方が優位に立てた気分になれたり、自分の方が優れていると錯覚することで、安心できるのかもしれません。

いじめられっ子が弱い人間で、いじめっ子が強い人間だとは、私は昔から思っていません。 
 
人を攻撃することで満足する人は、自分の弱さを隠すために、そんなことをやってしまうんだと思います。
 
「思いやり」という言葉があるように、他人のことを思ったり、考えたりする気持ちというのは、やっぱりポジティブなものであったほうがよい。

だけど実際に、自分が誰かに危害を加えられたとか、酷い扱いを受けたとか、裏切られたり傷つけられたりしたならば、そりゃ、恨んだり「許せない」という気持ちになっても仕方がないですよね、だって人間だもの。

それでも自分の中に、ずっとそんな感情を持ち続けることも、なかなかつらいものです。
 
聖書の中に、『人を裁いたり、復讐するのをやめなさい。 それはあなたの仕事ではない。 神の仕事です。』という言葉があるのだそうで、私はこの言葉が大好きです。

この言葉を知ってから、どれだけ気持ちが救われてきたことか。

なので、私は「許せない」と思うことがあった時には、必ずこの言葉を思うようにしています。

もし、「神」という言葉に抵抗を感じてしまう人なら、「自分が復讐のネガティブな気持ちのエネルギーを使わなくても、人を傷つけるようなことをした人には、必ず同じ大きさのものが戻ってくるんだ 」 という風に考えると、この言葉がすんなり受け入れられるかな、と思います。 
 
それを神の力だという人もいれば、自然の法則なんだという人もいるでしょう。 きっと道理は同じことです 。

ところで、ネット上での炎上や誹謗中傷などに関する、ネットリテラシーやマナーの問題で、先ほど語った「こじらせたファン」や「アンチ」以外にも、私がとても厄介だなと思っているものに、「正義を振りかざす」タイプの人がいます。

正論は、場合によっては著しく人を傷つけることがあるものですが、それとは別に、正義を振りかざして攻撃するというケースは、「自分が間違ったことを言っていない」という絶対的な自信から、ある意味、非常にタチが悪い。

果たして、正しいという自信があれば、容赦なく誰かを傷つけたり、とことん追い詰めたりしても良いといえるのでしょうか。

世の中の物事に、正解がたった一つだけではないものって、とても多く存在すると私は思っていて、むしろ、「命と同じように人の心を尊重する」こと以外に、絶対に守られるべき正しいことって、世の中にそれほど多くの数存在しないかも。

自分の考え方が正解でも、違う人の考え方だって、それはそれでとても正しいということが、世の中にはたくさん存在すると思うのです。

だから、普段から「自分は正しいことしか言わない」と言っている人は、とても危険だし、その考えこそ正しいとは言えないよ、と私は思ってしまうのです。

それこそ「おごり」というものです。
 
『人を裁いたり、復讐するのをやめなさい。 それはあなたの仕事ではない。 神の仕事です。』
 
正しいことを言っているという信念があれば、人を裁いたり、攻撃することで、傷つけたり追い詰めたりしてよいという理由にはならないと私は思うのです。


さて、私のオフィシャルブログ「Ayaのラブスピリチュアル」は、お陰様でもう12年続いております。 そして、裏ブログとしてスタートしたこちらのブログも、気づけば先月で6年目に入っておりました。 早いものです。

何も成長していない自分を恥じるばかりで、お付き合いくださっているあなたには、もう、感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、我が身を振り返った時に、私が何気なく気持ちを綴っているこのブログの中でも、誰かを傷つけたり、いやな気持にさせたりしたことがあったかもしれません。 私が体験したように。

お気づきの方もいらっしゃるかもですが、実は、ヘタレな私は、このブログにはコメント欄を設けていないのです。 

それは数年前までは、ブログランキングでは常に上位5位以内に入っていた、私のオフィシャルブログのほうのコメント欄が、過去に荒れてしまったり、匿名の方から非難や批判を受けたりしたという経験があるからなんです。

ですがそれも、最初にメルアド入力していただいてからコメントをしてもらう承認制に変えたとたん、コメント自体をさっぱりいただけなくなってしまいました。

過去にはたくさんいただいていた、応援やお礼を伝えてくださる内容のコメントすら、さっぱりいただけなくなってしまい、淋しい思いをしている次第です。

誰かに言葉を伝える際に、自分の身元を明らかにするということは、けして身バレが困るような内容ではなくても、「メルアド入力が面倒」という理由も含めて、かなりハードルを上げてしまうものかもしれないですね。

いずれにしても、私のブログを読んでくださった方の中に、嫌な思いや悲しい思いをされた方がいらしたら、本当にごめんなさい。

こちらのブログは裏ブログであるだけに、読んでくださる方が少なかった頃は、私も結構毒を吐いたり、好き勝手なことを語っておりまして、ある意味ストレス解消の場になっていたことは否めません。

そんなこんなで、結局、どちらのブログもなんだか中途半端なものになってしまい、かつては読者数が結構いらしてくださったオフィシャルブログのランキングでさえ、最近はやっとこ100位以内にはランクインできている…という状態になってしまいました。

実は、これまでに、このブログをやめてしまおうと思ったことが2度あります。

一度は、「あなたの文章はメリハリがなく、文章の構造もおかしいから、わかりにくくて、何を伝えたいのか全然理解できない。」というお叱りをいただいたとき。 だったら、やめちゃったほうがいいのかな、と思いました。

私のブログは、特定の誰かを否定したり、批判することはしないということを旗幟としています。

ですが、たとえ自分の日常を綴っただけの内容でも、読む人によっては深く傷ついたり、嫌な気持ちになってしまうのだということを、つい最近、私自身が体験することがあり、それで今回再び、私のこのブログを続けるべきかどうかを考えました。

いえ、悩むほどたいそうなブログではないことも承知の上ですが、めったに更新しないのに、毎日、数百人の方が見にいらしてくださっていて、それがとても有難いことで…。

そこで、方向性が定まるまで、しばらくこのブログを休止しようかと考えました。 

引き続き、オフィシャルブログ更新のご案内のみさせていただきます。


何かと大変な時ですが、どうぞ皆様、くれぐれもお体に気を付けて、笑顔の多い毎日をお過ごしくださいませ。 

こちらで再び、お目にかかれます日まで。  あなたのご健康とご多幸をお祈りしております。 


Thank you so much for the wonderful time, I had such a good time.
I am looking forward to seeing you again.




妹が、私のためにオーダーしてくれていたクッション。 海外から届くまでに4か月ほどかかりました。
毎日抱っこして寝ます(笑)