コメント | 石元太一のブログ

石元太一のブログ

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5.

石やん 御無沙汰してます。

ブログの情報を見付け

ほぼ全部拝見させてもらいました😄

ブログを初めて見て本当に変わらない石やんで

安心しました

早く復帰できるのを心から祈ってます!

あえて名前は残さないけど

また飲めたらいいね

追伸

団地の公園はもうなくなったけど

Bタックルの話がまたしたいです(笑)

AK

 

→誰なのかすぐわかりましたよ!

 

わざわざコメントを、そしてブログを全て

 

読んで下さり、ありがとうございますお願い

 

このブログは自分にとって

 

日記や備忘録のようなものでもあり、

 

長年自らの魂を削るかのような思いで

 

膨大な時間を掛け書き綴ってきているので、

 

そうやって全ての歩みを知ってもらえること、

 

とても有り難く思います。

 

 それにしても本当に久し振りですね!

 

自分はよく遊んでもらっていた12才の頃から

 

基本何も変わっていないですよ。

 

あれからちょっと背が伸びて、

 

筋肉がついたくらいです(笑)。

 

あの団地の公園、今はもうないのですね…。

 

月日の流れを感じます…。

 

Bタックルも懐かしいですね。

 

3才上の人からの大人気ないタックルは、

 

12才の心身にはかなり応えました(笑)。

 

 早く帰れるよう頑張るので、

 

またみんなで飲みましょう!生ビール

 

ここまで来たら、もう後少しなので。

 

 

6.

石元さんはじめまして。

私は裁判の傍聴を趣味にしています。

事件の中には検察側がゼロから事件を作るのは

承知していますが石元さんの裁判は

余りにもです。
どうやら検察警察共に推定無罪の原則を忘れ

弁護人が無罪を証明する必要はなく

検察官に立証する義務も忘れたかの様な

裁判だと思います。
あんなの公判維持出来ないと思って

居ました。

 

→初めまして!パー

 

「反証」の“終章”にも書きましたが、

 

星さんのように多くの裁判の傍聴を

 

している方からのそういった言葉は、

 

何よりの励みになります。

 

本当にありがとうございますお願い

 

星さんのおっしゃる通りで、

 

自分の裁判は立証責任を完全に押しつけられた

 

形になりました。

 

「無罪を主張するなんていい度胸だ。

 

なら証拠を出して証明しろ」といった感じで。

 

長い期間“接見禁止”され、

 

こちら側に有利となる物も含め、

 

証拠は全て検察や警察の手の中。

 

しかも、携帯電話の通話記録はなぜか検察の

 

主張に合わせて1箇所改ざんされており、

 

事件現場周辺の防犯カメラに至っては、

 

なぜか動画ではなく、検察の都合のよいシーン

 

(静止画)のみが裁判所に提出されました。

 

そのような圧倒的な不利な状況の中でしたが、

 

何とか頑張って無罪を立証したつもりでした、

 

自分は。

 

でも、裁判所も“公判前整理手続き”の場から

 

その秤は検察側に大きく傾いており、

 

「(金属バットを持っている者がいたことを)

 

知っていたはずだ」、

 

「予見していたと推測出来る」

 

といった感じで、まるで綿飴かのように

 

“ふんわり”と曖昧に判断されました。

 

もし本当に自分が事件が起こることを

 

予見していたのなら、果たしてそのような場に

 

配車サービスを利用してタクシーで

 

乗り付けるのでしょうか。

 

そんなことをすれば足しかつきません。

 

そもそも関与を断って自分は事件発生前に

 

帰っているわけですから、もし何か起きると

 

事前に予見していたのなら、挨拶の為に

 

立ち寄ろうとなど考えなかったはずです。

 

もしかしたら先に帰ることを主犯の見立から

 

止められるリスクもあったのですから。

 

そういった合理性のあること、

 

事実には裁判所は目をつぶってしまいます…。

 

本当に日本の裁判所というのは

 

検察や警察に過保護過ぎますし、

 

村上世彰さん然り、堀江貴文さん然り、

 

日本の裁判はイメージだけで裁かれることが

 

多々あります。残念で仕方ありません。

 

 

『2月6日、この日は雪が降っていた。

 

心なしかお台場の等身大ガンダムもいつもより

 

寒そうに見えた。

 

 いつものように取り調べが終わり、

 

検察庁から湾岸署へ帰っている車の中、

 

押送に付き添っている総務課の人が、

 

いつもは冗談ばかり言うのにその日は、

 

「俺が後ろで聞いている限りじゃ、

 

公判維持出来ないから大丈夫だよ」

 

 なんて前向きな言葉を真剣に言ってくれた。

 

そして続けざまに、

 

「太一は太一で、いろいろと考えてることも

 

あるだろうけど、人生楽もあれば苦もある。

 

川の流れのように、自然の流れ、気の流れと

 

いうのがあるから、今が底だとしても、

 

流れに逆らわずにいれば、必ず上にあがれる

 

から大丈夫だよ」

 

 なんていう言葉も言ってくれた。

 

 日に日に澱みはじめていた俺の心にも、

 

すっと入ってくる言葉だった。

 

 確かに今の俺は底辺もいいところだ。

 

あとはもう上がるという選択肢しか

 

俺にはない。

 

 自然の流れかぁ。自然が作り出すものは、

 

その時にしかない形があるもんな。

 

 波や雲、雨の降る量でさえもその時々で

 

まったく異なる。雪の結晶だって1つ1つ

 

違うだろ。

 

 人間の一生だって紆余曲折しながら、

 

皆が自分だけの人生を送っているんだ。

 

 こんな人生も俺らしい。愛せるよ。

 

自分らしく生きていけばそれでいい。

 

 そう思える1日だった。』

 

 

『接見禁止が解除となり、禁止中に届いていた

 

たくさんの手紙や電報がまとめて手渡された。

 

 届くかどうかも分からないのに手紙を書いて

 

くれた人たちがいたことには驚いたし、

 

ありがたかった。

 

 友人たちや地元の先輩、後輩のほか、

 

同じ中学校の友人、留置場で一緒だった人、

 

そして同じ境遇で争っている人や、以前書いて

 

いたブログを読んでくれていた人など、

 

本当にたくさんの人たちから手紙を貰い、

 

本当に感激し、励まされた。

 

 なかには、フェイスブックを通じて裁判の

 

傍聴を目的としたグループのメンバーという人

 

から手紙をいただき、「私たちの共通認識は

 

無罪でしたよ」と書かれていた。

 

この手紙には一体どれだけ心が救われた

 

ことか。』

            「反証」より抜粋