初めに結論ありき | 石元太一のブログ

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よく文通をしている方から

「なぜ店内に入ってもいなければ

事前に断って帰っているのに石元さん1人が

共謀罪を問われるのかが疑問です」といった

内容の手紙をいただくのだが、もちろん

そのことはこちら側の弁論要旨内に組み込んで

もらった。こちら側の弁論要旨の内容を抜粋しよう。


「凶器の存在を認識し、本件被害者を一旦店外に

連れ出してKであることを確認する際に、

暴力をふるってもこれを連れ出すことをある程度

認識している。」

という評価は、百井とずっと行動を共にしていた

K城の立場の方が被告人(石元)よりははるかに

あてはまりやすいはずである。しかもK城は、

当該被害者の様子を百井に報告していたので

あるから、本件被害者をどうするかについての

百井らの計画については被告人よりはよく

知りうる立場であった可能性もある。

 しかしながら検察官は、K城については、

凶器準備集合罪だけで起訴しているのである。

これはすなわち、K城については、フラワー

店内に入っていないので、傷害致死罪で起訴

することは、共謀があったのだろうという

推測だけで行なうことになるため、

差し控えたものと思われる。それならば

被告人(石元)にもそのことはそっくり

当てはまるはずである。

 K城と同じくフラワー店内に入らず、そして、

K城よりもより規範意識の高い「自らフラワー

店内に入ることを断る」という行為をし、

さらにK城と違い、凶器となるバットの存在すら

知らなかった被告人(石元)が、なぜ、凶器準備集合

どころか建造物侵入、傷害致死の結果まで

問われるのであろうか。

 被告人にのみ、そのような過大な制裁を

加えるべく、憶測に基づく起訴がなされたことは

明らかであるが、それをそのまま支持する原審の

事実認定は、論理則・経験則等に照らして全く

不合理ということは言うまでもない。



Y我は、フラワー店内に入る直前の後藤に、目出し帽を

手渡している者である。これは、凶器準備をある程度

推測しているのみならず、ロアビル店内に入る前の

共謀の成立という検察官の主張によれば、暴力を

ふるってでも本件被害者を一旦外に連れ出すことを

認識していた(それ故に目出し帽を手渡しているといえる)

とも推測できるであろう。また、前記のとおり、Y我は

K兄弟から襲撃を受け、K弟に刺され怪我を負った者で

あるから、K弟に対し、強い恨みを抱いていることは

経験則上強く推測できる。

 このようなY我に対してさえ、検察官は、凶器準備集合罪

だけでしか起訴していない。そして、Y我は執行猶予付きの

判決を受け、社会復帰することが出来ている。

これに対して、前述のように、凶器の認識すらなく、襲撃を

予期すらしていない被告人が、しかもY我と同様フラワー

店内に入らなかった被告人が、凶器準備集合どころか

建造物侵入、傷害致死の結果まで問われるというのは

証拠の総合判断において論理則・経験則等に照らして

全く不合理ということは言うまでもないところである。



 詐欺事件に対する検察側の弁論内容といい、この説明といい、

全く答えになっていなければ、いくら解釈しようと努めても

理解することも出来ない答弁だ。

検察のテクニックの1つでもある曖昧言葉で適当に濁して

でもいれば、また一審の時のように裁判所が善解して

くれるとでも思っているのだろうか。

 ところで一審での判決分に矛盾が生じていることは

「反証」の中でも触れたが、なぜこのような矛盾が生まれたかに

ついても弁論要旨に組み込んでもらった。


なおさらに言えば、この理由は、原審判決が「量刑の理由」

で述べる理由づけと自己矛盾していることも指摘して

おかねばならない。すなわち、原審判決は「量刑の理由」の

項では、「本件は、被害者と同席していた人物が実行犯らの

方向に歩いてきたのを、見立が殴ったことをきっかけとして

百井らが被害者を本当にK弟であると思い込み、同人に

集中的かつ強度の暴行を加えて死亡させたもので、いわば

突発的出来事をきっかけに怒濤のように実行した事件である。」

と説明している。

その説明は、関係証拠から導かれる素直な帰結であり、肯首する

ことが出来る。

しかし、「突発的出来事をきっかけに怒濤のように実行した事件」

という認定と、「集団で暴行をふるってでもK弟らしき人物を

連れ出す意図を知りながら協力した。」という評価は矛盾して

しまうのではないか。なぜそのようなことになるのか。

それは、原審判決が「量刑の理由」の箇所では、事件の本質を

つかみ、証拠から帰結する無理のない結論に到達している一方で

「事実認定」の箇所では、「被告人は共謀共同正犯として

傷害致死の責任あり」という前提に立って事実を曲げた認定を

しているからである。

原審判決は、「量刑の理由」の箇所では、検察官の描いた

ストーリーすなわち、「被告人は自らの目的を達成するために

見立を焚き付け百井らを操り、事件発生に影響を与えた

張本人」という絵図を排斥し、被告人を黒幕と位置づけることは

できないとしたうえで、

「見立は被告人に対しては、フラワー店員との連絡以上のことを

期待していなかったと考えるのが自然である」と評価している。

そうであれば、その「連絡役」というのが、傷害致死罪の責任を

負わされてもやむを得ないほどのものであったのか否かを精査

すべきであり、「傷害致死罪の責任は負うことを前提に、あとは

量刑で判断しよう。」というのは完全に順序が逆というか、

発想として誤っているとしか思われない。

原審が「結論先にありき」の事実認定を行ったことを端的に示す

ものであり、被告人の有罪を認定する理由付けとしては失当で

あることは明らかである。



当然こちら側の弁論であるし、自画自賛をしているようで

非常に申し訳ないのだが、本当に的を得ている主張だと思う。

共謀罪認定を前提に置いてでの判断では、事実を曲げるしか無い為

このような明らかな矛盾が生まれてしまっている。

この「本件は、被害者と同席した人物が実行犯らの方向に

歩いてきたのを、見立が殴ったことをきっかけとして、百井らが

被害者を本当にK弟であると思い込み、同人に集中的かつ強度の

暴行を加えて死亡させたもので、いわば突発的出来事をきっかけに

怒濤のように実行した事件である」や

「見立は被告人に対しては、フラワー店員との連絡以上のことを

期待していなかったと考えるのが自然である」という評価は、

事前のの共謀がなかったことは勿論のこと、俺自身の立ち位置、

役割の率直な評価であるはずだ。

だが、このように事実を曲げてまで認定したということは、

石元太一は決して無罪であってはならない、そのような先入観が

一審では働いていたとしか俺には思えない。


詐欺事件の立件は、ロアビル事件において被告人に重大な刑を

科すための材料探しの過程で持ち出されたいわゆる

「別件逮捕・勾留」によるものであること

(1)詐欺事件の位置づけについては、控訴趣意書で詳述した

とおりであるが、そのことは

 ⅰ 被告人がロアビル事件のわずか5日後である平成24年9月7日に

マンションの賃借権を違法に取得したといういわゆる賃借権詐欺の

容疑で逮捕され、その事件は不起訴処分で終わっていること

 ⅱ しかも、賃借権詐欺の逮捕の際に、なぜか通常は考えられない

被告人の衣服の押収までなされていること、ちなみにその衣服とは

被告人がロアビル事件の当日身につけていたものであること

 ⅲ 被告人はロアビル事件に関与したとして平成25年1月9日に

凶器準備集合罪の容疑で逮捕されているが、それ以前である

平成24年11月から捜査機関は「殺人事件の被疑者石元太一」と

して被告人のことを特定し、しかも多数が関与した事件であることが

明らかであるにもかかわらず、被告人をその犯行グループの代表として

位置づけていたこと

 ⅳ 被告人は賃借権詐欺事件で釈放された直後にパチンコ攻略情報

詐欺事件で逮捕・勾留されたが、当初の勾留期間満了後は起訴されず

やはり釈放されていること

という事情に鑑みればより明らかであり、賃借権詐欺事件での釈放と

ロアビルの事件での逮捕との時間的隙間を埋めて被告人の身柄拘束を

継続せんがためにパチンコ攻略情報詐欺事件での逮捕・勾留が

繰り返されていたことがわかるのである。

(2)このような事実の経過からするに、パチンコ攻略情報詐欺事件は

もともとそれ自体では被告人の関与が強く疑われ被告人を詐欺犯人と

して起訴できる確信があったというようなものではなく、ロアビル事件に

被告人が関与しているはずだ、この際関東連合の象徴として最も

まずメディアに登場し名前が知られている被告人を逮捕・起訴し有罪に

持ち込んで関東連合そのものの持つ若者に対する求心力ないし憧れの

ようなものを払底させようという捜査機関の意図の表れともいうべき

事件であり、はじめから有罪という結論ありきの立件であったことが

きわめて強く推認されるところである。

 そうでなければ、被告人が有罪とされたパチンコ攻略情報詐欺では

なく、最初に被告人をマンションの賃借権詐欺という微罪で逮捕し、

しかもその事件は処分保留にして結局起訴していないことや、

同マンションの賃借権詐欺の際に、被告人がロアビル事件の当日

着ていたものという、賃借権詐欺とは全く関係のない着衣の押収まで

していることの説明がつかない。

 なぜ被告人のみが特にロアビル事件において事実と異なり黒幕で

あるとか犯行の中心的人物と扱われるのかといえば、これはもう

そうしたいという捜査機関の意図と考えるほかはないのである。

今からさかのぼること数年前の平成22年12月、歌舞伎役者が

西麻布において、酒席でのトラブルから傷害を負った際に被告人は

現場にいたのであるが、その事件の加害者とされた人物が

元関東連合のメンバーだったということで、同組織の名前は

一般国民にも広く名が知られるようになった。

そして、関東連合とはいわゆる不良グループの中でも危険性の

高い団体という位置づけを捜査当局からされるようになった。

その関東連合の元リーダーという触れ込みでマスメディアに

登場するようになった被告人は、捜査当局にとってはまさに

関東連合を象徴する存在ということになった。そのため

被告人を逮捕・起訴するということは、関東連合そのものに

対する否定的なメッセージを世の中に発信するという効果を

もたらすものであり、捜査当局としては被告人を逮捕し、

重罪での有罪判決を獲得することを、もともと予定していたと

考えられる。

このような背景の下、ロアビル事件発生直後の平成24年9月7日

に被告人は暴力団住吉会の組員が身分を偽ってマンションの

賃貸借契約を締結したという容疑で、同住吉会の構成員である

などと、事実に反する認定をされて詐欺容疑で逮捕されたのである。

 もちろん被告人は住吉会の構成員ではなく、当該逮捕は明らかな

誤認・別件逮捕であった。そのため被告人は当然ながら不起訴処分と

なった。なお、不思議なことに被告人は賃借権詐欺での釈放から

数ヶ月後の平成24年12月13日に警視庁の住吉会担当と名乗る刑事から

「暴力団登録していたのはこちらの手違いだったので本日付けで解除した」

とわざわざ面談され告げられている。

 ともかく、被告人は賃借権詐欺事件で起訴されず釈放された直後、

警察署から一歩も出ることなく今度はパチンコ攻略情報詐欺事件の

犯人であるという名目で再び逮捕されたのである。

 この経過を素直に見れば、捜査当局としてはまずマンションの賃借権

詐欺事件という微罪で被告人の身柄を押さえて、被告人及び関東連合に

対する否定的なメッセージの発信をまずは実施し、当該勾留期間を

使ってパチンコ攻略情報詐欺の資料収集を行い、賃借権詐欺事件の

勾留期間が切れるやパチンコ攻略情報詐欺容疑で被告人を逮捕し、

被告人を外部との連絡が遮断された状況に置くことによって

情報の孤立化を図り、最後に本丸のロアビル事件でさらに

逮捕したというほかない。

 このことは、被告人のみがロアビル事件のわずか5日後に逮捕され、

他方自首してきた小池や國田はそのまま身柄拘束すらされずいったん

帰され、ほかの実行犯らも、自ら出頭しているにもかかわらず全員が

そろってから出直すように捜査機関から命じられていることと比して

異常であると言うほかない。

3 小活

原審は、捜査機関の意図に引きずられ、被告人がパチンコ攻略情報詐欺

でも有罪にならなければならないと始めから結論先にありきの姿勢で

審理臨んだとみるほかない。そうでなければ、詐欺事件とロアビル事件を

分離して、先に裁判官のみによる裁判体で詐欺事件有罪か無罪かの

結論だけを出し、後に裁判員裁判の場で、もし詐欺事件の有罪とされた

ならばその量刑だけを一緒に判断しようなどという発想には

ならないはずである。

分離して部分判決を得るということの意味や効果がわからなかった

被告人にとってはまさに悲劇であるとしか言いようがない。

 このような、裁判員に予断を抱かせるだけの手続きとなる可能性が

ある審理方針を被告人が望んでいたということはないし、一般人の

合理的意志からしてもそのようなことはあり得ない。

 原審弁護人が、最初にパチンコ攻略情報詐欺事件だけの部分判決を

得るという分離公判の審理にあっさりと同意していることは非常に

残念であるが、それがゆえに裁判員らに自らの主張の合理性に

ついて判断してもらう機会を失い、証拠の詳細な検討や被告人の弁解の

合理性の検討を全く怠られたまま有罪判決を受けるに至り、

有罪を前提として量刑だけを決められているパチンコ攻略情報詐欺事件に

ついては、重大な事実誤認が存するものであり、当然破棄を免れないもの

である。



このような印象操作が最初からずっと行われてきたのだ。

それに引きずられてしまうのも無理はないのかも知れないが、

それは裁判員までだろう。

いわばプロである裁判官からすれば、捜査方法及び検察側の

主張が異常であることぐらい気づいてもおかしくないはずだ。

それに、そもそも今回は分離公判であったが、同じ鬼澤裁判長が

共犯者とされている人間達全ての審理を行っている。

そして、最後に審理をしたのが俺の裁判だ。

果たして本当に予断を抱かず公平な審理が出来たのだろうか。

裁判というものは機械が審理するのではない、人が審理するんだ。

やはり一審ではバイアスがかかり、最初から結論ありきで審理

されたとしか俺には思えない。


 最後に話は変わるが、アメリカの有罪率は高くても90%を超えて

おらず、他の先進国も同様らしい。

そう考えるとそれらの数値が正常に近いのであって、日本の99.9%

(裁判員裁判は99.6%)という数値が少し異常なのではないかと

感じてしまう。

そこには検察が有罪獲得の為、例え何をしてもという姿勢がその

数値に表れているのではないか。

少しずつでもこの数値が変わること、検察基本規程を意識し、

検察の姿勢が変わることを望んでやまない。



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